いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

2020年の『いつか電池がきれるまで』を振り返る


新型コロナウイルスにひたすら振り回された1年だった」としか言いようのない2020年も、残りわずかになりました。
年末恒例の企画として、2020年の『いつか電池がきれるまで』の10個のエントリを紹介しつつ、今年を振り返ってみます。




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 ブックマークがたくさんついて大勢に読まれる、ということはないけれど、僕のなかではけっこう大事、というエントリです。僕も更新中毒だったころは、「すぐ消したり、書かなくなったりするなんて情けない」と思っていたのですが、いまは、「書きたいときに書けて、書きたくないときには書かなくてもいいし、飽きたり疲れたりしたら止めてもいいのが個人ブログの良いところ」だと考えています。そういうのって、「仕事じゃない強み」だからさ。いろんな理由で、書かなくなってしまった人たちも、また気が向いたら戻ってきてくれるといいなあ。僕の老後の楽しみです。




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 「ラジオでこんな話を聞いた」シリーズ。YouTubeなども含め、ネットでも動画メディア全盛のなかで、ラジオって、「お金にもならない話を楽しそうにしている人たち」を観測できる場所として、すごく貴重だと思うのです。書くネタがない、という人は、お昼のラジオ番組の「リスナーからのメール」とかを参考にしたらいいかも。というか、「ラジオでこんなことを言ってたよ」っていうのは、ネットでもコンテンツになります。




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 いろんなことに「意味」を与えてしまうというか、自分にとって都合のいいように利用してしまいがちなのが人間というものなのかもしれませんね。これを書いたときには、自分の昔の経験を思い出して、ただ憤っていたのですが、少し時間が経ってみると、こうして傍迷惑なくらいに「利用」されてしまうのも、偉大な人の宿命なのかな、とも思うのです。




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 また書いてしまった『銀英伝』ネタ。このコロナ禍の時代に『銀河英雄伝説』を観ると、高校時代に観たときとはまた違った印象もあるのです。




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 いつも投げっぱなし、わかる人だけわかればいい、という内容が多いこのブログのなかでは、けっこう丁寧に書いたと自分では思っていたのですが、「女はカツオの刺身じゃない!」という反応が少なからずあって、自分の国語力にさらに自信がなくなりました。いつも書いているのですが、「嫌いなヤツが言うことは、やっぱり嫌い」になりやすい。むしろ困惑しますよね、嫌いなヤツがまともなことを言っていると。あと、『人間凶器カツオ!』の話に期待していた皆様、すみませんでした(これは本当に申し訳なく思っております)。




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 「人が死なないとわからないのか」の次に頭に浮かんできたのは、「これはイジメと同じ構造だよな」ということでした。
 誰がどんなことを言ったのか、で量刑が決まるというのではなくて、「言及した相手が死んでしまった」という理由で、風向きが変わり、「誹謗中傷した側」がどんどんバッシングされるようになります。
 どんなに酷い誹謗中傷の嵐が吹き荒れていても、相手がなんとかリングに立っていれば「反省が足りない」と飽きるまで攻撃はやまない。
 「死んだらみんなこっちの味方になって、あの連中がどんなに酷いことをしたかわかってくれる(あるいは、自分が死なないとわかってくれない)」と思ってしまえば、それは、死を選ぶ人だって出てくるでしょう。
 それしか「反論する」方法が無いのだから。




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 僕は本当に松屋大好きなんです。松のやも好き。それだけに、あの「ステーキ丼」「牛リブロースステーキ」には「なんだかなあ」と思いました。そして、それ以上に、あまりにもネットレビューで高評価されていることに愕然としたのです。いくらなんでも、あれが「柔らかジューシー」はなかろう。
 そういえば、「グルメレポートで、言いづらいことを婉曲に言う話」に、こんなのがあったんですよ。

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 以前、渡辺文雄さん(故人)がレポーターをやってる番組で、料理を食べた直後に渡辺さんが、一瞬しかめっ面をしたことがあった。ボクはTVを見ていて(あっ、きっとまずいんだな)と推測し、(こういうとき渡辺文雄は何て答えるんだろう?)とワクワクして見守った。
「まずい」とは死んでも言えないし、かといって「うまい」は食通としては言いにくいものがあるだろう。毎週いろいろな料理をあの手この手の誉め言葉を駆使して少しでも違ったニュアンスや表現を出そうとして苦心してきた名レポーターともなると、あからさまな見え見えのヨイショ言葉などは、プライドからいってもできれば避けたいと思ってるはず。
 そういった期待をふくらませて画面に見入っていると、ものの見事な一言を渡辺さんはのたまった。
「いやー。好きな人にはたまらんでしょうなあ」
 ボクは引っくり返って大爆笑。いや、さすがは渡辺文雄大先生、非の打ちどころのない超A級のリアクションだとすっかり感心した。
「自分はこの味が好きだ」とは一言も言わないで、勝手に逃げて「好きな人にはたまらんでしょう」と無関係な他人の好みを推測するという、偉大なるおせっかい発言。それによって巧みに自分の嘘を回避し、一般論にすり替えることですべての責任を架空のだれかに押しつける。
 もしこれが「うまくもあり、まずくもあり」では問題になるけれど「好きな人には」と逃げを打つことで逆にその場がなごんでいく。

 この「渡辺文雄メソッド」、ネットの食べ物レポートでもけっこう使われているので、知っておくと筆者の「真意」を読み取りやすいと思います。




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さんざん「オワコン」と化し、「まだ電池きれねえのかよ」「もう切れてるだろ」とよく言われるこのブログなのですが、その「電池が切れかけたブログ(そして、それを書いている人)がどうなっていくのか」を生温かく看取っていただけると幸いです。いや、無理にとは言いませんし、興味なければスルーしてください。まあでも、いつか「終わり」は来るんだよね、何にしてもさ。




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 『note』『cakes』の話は今年けっこう書いたのですが、先日、加藤貞顕さんの「謝罪」を読んでいて思ったんですよ。
note.com

 「十分なチェック機構を備えた、より責任あるメディアの方向に体制をシフトした」cakesというのは、「ごく普通のネットメディア、あるいはプラットフォーム」になってしまうような気がします。
 みんな、下世話で無防備だからこそ、cakesを批判したくなる一方で、つい覗き込んでしまいたくなるのではなかろうか。品行方正になった『週刊大衆』や『デラべっぴん』を誰が読むんだ?(いやこれはたぶん、『cakes』『大衆』『デラべつ』のすべてに対して失礼な物言いですね)




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 僕にとっては「今年もっとも、予想外に読まれたエントリ」でした。こういう話、みんなあんまり興味ないんだろうな、と思っていたし、僕自身も、最近まで、「お金の話をするのは、なんかみっともない」みたいな意識があったので。でもこれ、現状ではどうしようもない話ではありますね。昔は「戦争とか疫病」で格差は一時的、部分的にでも是正されていますが、新型コロナ禍では、「テレワークや巣ごもりで感染を避けられる層」と「リスクを負って人と接触することが避けられない人たち」が分断され、「富裕層のほうが生き残りやすい」という状況になっているのです。この「はてしなき格差の拡大」は、いつまで続くのでしょうか。もしかしたら、次の「大戦」は、富裕層と貧困層のあいだで起こるのではなかろうか。



 2020年に書いたエントリのなかで、10個を選んでみました。
 年々更新数が減っていて、今年を振り返ってみると、けっこう書いてきた「テーマに沿って本を紹介するエントリ」が激減していることに気づきました。ニーズの有無はさておき、ああいうのが書けるのは長年の蓄積あればこそなので、来年は少し意識して、そういうエントリを書いておきたいと思っています。
 また、いくつかのメディアに書かせていただいたことにも、大変感謝しております。


blog.tinect.jp
ten-navi.com
kaigo.homes.co.jp


 基本的に、噛みついたり、ゴネたりしないおとなしい生き物なので、機会があれば、また使ってやってください。いままで縁がなかった皆様も、お待ちしております(最後に宣伝かよ、って感じですね)。
 僕は医者としてはまったくもって落第というか世の中の役に立てていないのですが、この年齢になっても、新しいこと、今までやってこなかったことに興味を持ち続けていられるのは、すごくありがたいな、と最近よく考えています。まあ、そんな綺麗な話をしながら、なんでこんなに小さなことでいちいちイライラするんだ!って悩んでもいる自分とも向き合っているわけですが。


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 それでは皆様、よいお年をお迎えください。


コロナの時代の僕ら

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