【Nintendo Switch2 当落アンケートまとめ】5/31時点
— NintendoSwitch2速報@予約抽選販売・最新情報まとめ (@2021nZelda) 2025年5月31日
皆さんからいただいたXのアンケート結果を当選確率高い順に集計してみました⚡️
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発売日が6月5日に迫ってきたSwitch2。
ネットでの抽選がはじまってからは、抽選結果に一喜一憂(というか、現実的には一喜二十憂くらいだった)しているうちに、もう「その日」が近づいてきている、という感じです。
僕はニンテンドーストアの抽選には2回ともマリオカートセットが外れ、もうこのままSwitch2を入手できないまま寿命を迎えてしまうのではないか、ゲームウォッチから任天堂のゲームをずっと買ってきて、ニンテンドー64もゲームキューブも添い遂げてきたのに、なんなんだこの仕打ちは!と憤っていたのですが、ついにGEOと楽天ブックスで「当選」させていただきました(1台は子供用にします)。
田舎のGEOの実店舗枠けっこう強い!PS5もGEOの抽選で当たったんだよなあ。たぶん、割り当てが店舗ごとで、都会に比べて田舎(地方都市)では競争率が低くなりやすいのではないかと思います。
TSUTAYAはけっこういろんな商業施設の中にあったり、本を買いに行ったりでカードやアプリを現役で使っている人が多い一方で、GEOはレンタルDVD、CDが斜陽化するなかで、テレビゲームやオリジナル商品、中古家電やトレカなどに力を入れていて、ヘビーユーザーと、もう離れてしまった人が二極化しているのかもしれません。
とりあえずよかった。俺だけ無抽選じゃなかったんだ……
などと喜びつつ安堵もしているわけです。
6月5日はもともと休みだったので、博多のヨドバシに様子を見に行ってみようかな、とも思っています。
新しいハードの発売日という「祭り」を、残りの人生であと何度体験できるか、と考えると、もしかしたら、これが最後か、最後から2番目くらいになるかもしれません。生きていても、ゲームを楽しめる全身状態にあるかどうかはわからないし。
MicroSDカードexpressやSwitch2用のプロコントローラーも見つけたら買いたい。
さて、こうして「当選組」に入ってみると、もちろんものすごく嬉しいし、なんだかホッとしてもいるのですが、その一方で、「なんのかんの言っても、マメに応募していれば、ほとんどの人が当たるんじゃない?」みたいな気持ちが僕のなかに湧いてきたんですよ。
こんなにしゃかりきになって応募し、落選のたびにがっかりする必要なかったよな、とか。
20%の確率ならば、5回抽選にチャレンジすれば、だいたい67%、3人に2人は当たるはずなのです。
もっとも、この20%というのは、いちばん当たりやすそうな抽選群であり(ニンテンドーストアの1回目や条件がかなり厳しいヨドバシ、穴場っぽかったGEOなど)、各店舗の抽選条件なども考えると、そんなに試行回数を稼げない人も多そうです。
この抽選というのは、転売屋でもない限り、当選した人から抜けていくので、分母がどんどん減っていくはずです。
供給数的には、最初に手元にある分を放出して、あとはできた分だけ出荷していく、という感じになると思うので、最初がいちばん出荷数は多くなりそうですが。
あらためて考えてみると、僕は当たってから心の安寧を得たのと同時に、抽選結果に期待して過ごした日々が懐かしくなりました。
それと同時に、当たる前は「どこに応募しても、何をやっても当たらないじゃねーか」だったのが、当選してみると「これって、マメに応募すれば、けっこうみんな当たるんじゃね?」という心境になってしまったんですよ。
SNSなどを見ていれば「全員当選」なわけはないし、実生活で周りの人の話を聞いていると「全然当たらない、応募しているのはマイニンテンドーストアとAmazonだけ」みたいな感じではあるのですけど。
うーむ、人間って(というか、僕だけの可能性もありますが)、新しいゲーム機の抽選結果ひとつとってみても、「自分がダメなことは、自分だけダメな気がしてくるし、自分にできたことは、みんなにできそう(できて当然)だと思い込んでしまうものなのだな、と感じています。
「本当に全然当たらない、任天堂は俺に恨みでもあるのか?ちゃんと生産しろよ!」から、当選してしまうと、
「Switch2、マメに応募していれば、どこかで当たるだろ」へ。
結局、人間というのは「現在の自分の立場」からしか、物事を見ることができない。
僕は僕なりに苦労をしてなんとか生きている、と自分では思っているし、それは、自分の感覚としては間違いはない。
「努力しても大谷翔平になれる人はごくごく一握りだろうけど、医学部くらいだったら、(ほぼ)誰でも死ぬ気で受験勉強すれば入れるんじゃない?」と内心考えてしまうのです。
それぞれの人の自己肯定感とか自己評価にもよるのでしょうが、人は、自分の幸運よりも不運、できることよりもできないことをより大きく、深刻にとらえてしまう傾向があるようです。
行動経済学の本とかによく書いてあるじゃないですか、「1万円もらうときの喜びより、1万円失うときの落胆のほうが、3倍大きい」って。
「パンがなければお菓子を食べればいいのに」という言葉で、マリー・アントワネットは大炎上したわけですが(実際に彼女がそう言ったかどうかは否定的な見解が現在では多いそうです)、あの立場だったら、それが「実感」なのでしょう。
「私は自分で米を買ったことがない」と発言した大臣が(実質的に)更迭されましたが、僕はけっこう長い間田舎で暮らしていたので、あれは「生活感の無さ」というより「地元の農家との仲間意識や信頼関係」の表明のつもりだったと解釈しています。
まあ、大臣という立場と米高騰の現状を客観視できていなかった、という、「国政レベルでの政治家として立ち回りのセンスのなさ」を露呈してしまったわけですが、地元の人たちからはけっこう親しまれてきた人ではなかろうか。
ほとんど「運勝負」のSwitch2の抽選でさえ、有名声優や俳優、ゲーム業界関係者でさえ落選している「公正な」ものでさえ、人は自分が「勝ち組」に入ると、「それが当たり前のこと」のような気分になってくる。
そして、そういう自分の変化を「自覚」するのは難しい。
勉強やスポーツの成績、収入などでも、「できた人」は、いまの自分の立場から、「みんなやればできるんじゃない」みたいなスタンスになりやすい。
でも、本人は「自分はこれだけ頑張ってきたんだから」「自分はなるべくフラットに世の中をみている」と思い込んでしまう。
逆もまたしかり、なんですけどね。
「できない人は、できない理由を探してしまい、可能性を上げるための努力や工夫を放棄してしまう」ことも多いのです。
結局、「格差」というのは、戦争とか大飢饉とか革命みたいな「これまでの価値観やポジションをリセットするようなこと」が起こらないと、なかなか変動しないのかもしれません。いや、太平洋戦争中の日本を考えると、非常事態でも、中間層あたりはかなりリセットされるけれど、超富裕層はあまり変わらない、のかな。
ネット時代、SNS時代にどう自分を見せていくか、あるいは見せないようにするか、というのは、それはそれで大変なことだと思います。
「わたし」を出さないと振り向いてもらえないし、「わたし」を出しすぎると「それはあなただからです」と突き放される。
中村悠一さんや有野課長だったら、任天堂から直接もらえなくても、ファンや関係者から、複数当選したものを定価で譲ってもらうことは難しくないはずだけれど、こうなってしまうと、「ファンの方から戴きました!」は期待に反することになりそうだし。








