いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『ブログのおわり世界のはじまり』


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 このエントリを読んで、いろんなブログのことを思い出しました。
 冒頭のブログの書き手は「まだまだけっこうみんな現役でがんばっている」と仰っていますが、3年半のあいだに、だいぶ減ってしまったなあ、というのが僕の実感なのです。
 多くの人が更新頻度を減らしたり、ブログをやめてしまったり、noteやSNS中心の更新、あるいはライターの仕事に移行していきました。
 「もう個人サイト(ブログ)の時代は終わった」なんて、僕は15年前から書いていたのですが、ここ数年は、「もう『終わった』なんて言っても、『何をいまさら』って思われるだけだよな」というのが実感です。


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 数字にしてみると、僕の場合、『いつか電池がきれるまで』が、いちばん読まれていた時期って、3〜4年前で、当時のPV(ページビュー)は年間200万くらいでした。『琥珀色の戯言』もあわせると、ピーク時は1日1万くらいあったんですよね。いや、数だけでいれば、2000年代前半に『エンピツ』て書いていたときには、その倍くらいの時期もありました。当時のニュースサイトの威力はすごかった……

 ちなみに今は、3〜4年前の3分の1から4分の1くらいです。
 Googleから検索で来る人が減ったというのもあるし、ブックマークで採りあげられることも少なくなりました。SEO対策はほとんどやっておらず、『はてなブックマーク』に対しても喧嘩を売ってばかりなので致し方ないところではありますが、ブログを読んでくれる人が右肩上がりで増えていった時代のことを思い出すと、今はもう、何をやっても人が来なくなってしまったなあ、などと、映画『カーズ』に出てくる、新しい道ができてしまったがために、寂れる一方の町でお客さんを待っている車たちみたいな気分になります。

 PV至上主義、みたいなものとは一線を画してきたつもりだし、「読まれなくても、稼げなくても許されるのが、個人ブログの最大の長所」なんてうそぶいてはいるのですが(それは真実ではありますし)、こうして自分なりに時間を費やして更新を続けていても、「手応え」みたいなものがどんどん無くなってきているし、この『いつか電池がきれるまで』も、何か書こうとすると「それ、似たような話を前にしたな」と手が止まってしまうことが多くなりました。ひとりの人間が書けるコンテンツには、自ずから限界というものはあるのでしょう。『琥珀色の戯言』という『読書感想ブログ』は、そういう意味では、「新しく読んだ本を、すぐにブログに書ける」という点で、非常に継続性は高いし、そのフォーマットみたいなものをつくったからこそ、こんなに長く書き続けていられるのです。ただし、「フォーマット」をつくってしまうと、どうしてもマンネリ化というか、「型にはめた感想を流れ作業的に生産する」ということになりがちです。それじゃつまらないよね。自分でもわかってはいるのだけれど、ただでさえ読まれなくなったのに、更新しなくなったら、今みてくれている人たちにも見捨てられるのではないか、という怖さと惰性もあって、なかなか更新を減らせなくなってしまっているのです。

 最近は「書けない」と思うことが多くなって、『いつか電池がきれるまで』の更新頻度も下がってしまっているのですが、現状は「年に何回かホームランを放つものの、後の打席はほとんど三振」みたいな、元広島のランス選手みたいな状況です。いや、なんのかんの言っても、ランスはホームラン王にもなったものなあ。ランスに失礼だよねこの言い草は。更新したって読まれないのは変わらないから、更新しなくてもいいか、みたいな感じ。惰性で更新するよりは、自分の残りの人生を自分が好きなものを消費するのに使おう、とも考えてしまうのです。ただ、こうして長年ブログをやっていると、「コンテンツを消費して感想を書くまでがワンセット」になっていて、どうも、アウトプットしないとスッキリしないところもあります。そもそも、「アウトプットしやすいものばかりをインプットしようとしてしまう」という偏りが僕のなかにできてしまった。それがまた、僕のブログを「オワコン」にしている理由ではないか、という気もします。

 終わっているのは「ブログ」というジャンルじゃなくて、お前自身だろ、という声が聴こえてくるわけですが、他の人のブログの状況がどんなものなのか、僕には他者の内心やアクセスカウンターは覗けないのでよくわからないんですよ。
 こういう「あがいても右肩下がりが続いているブログ」は、僕が書いているものだけなのか、全体的な傾向としてそうなのか。

 ただ、登録しているブログの更新頻度とか、非有名人の個人ブログのエントリが、炎上以外でSNSやブックマークで話題になる頻度を考えると、少なくとも「ブログを書く人も読む人も、どんどん増えてきている」ようには思えないのです。

 個々のブログで言えば、「ここ数年で人気を集めるようになった人」が存在するのは間違いないのですが、『note』で人気になっている人たちをみていると、書いている人の個性とかキャラクターが立っていること(あるいは、ファンの囲い込みが上手なこと)がもっとも重要になっていて、「いかに自分が特別であるか、あるいは、特別な体験をしているか」競争が泥沼化しているようにも感じるのです。『note』で起こっている諸問題は、あの場でアピールするには、いかに他人に上手に批判されるか、あるいは、いかに他人をうまく批判するか、という「(メジャーになる、という)目的達成の手段の尖鋭化」が要因のように僕は感じています。
同じことが、個人ブログ、いや、「ホームページビルダー」でつくられていた個人サイトや『さるさる日記』の頃から、繰り返されてきただけのような気もするのですが。


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 先日、そろそろ新しいテレビを買おうかな、と何年かぶりに『ゲットナビ』というトレンド情報誌(という括りで良いのかな)を出先のコンビニで買ったのですが、あまりに薄くなっていて、付録頼りのつくりで驚きました。連載記事も、雑誌には概略だけで、「続きが見たい人は、このURLから動画をみてください」みたいなことが平然と書かれているのです。ここまで雑誌(情報誌)が希薄化しているとは。
 とはいえ、ネットでも、どこまでが広告かわからないレビューが溢れていて、最近は「口コミ」に多くの人が回帰している印象もあります。
 
 ただ、「口コミ最強!」となると、また「口コミっぽい広告」が蔓延してくるわけで、まさにいたちごっこ
 結局は「信頼できるリアル知人の紹介」に戻っていくのだろうか。


fujipon.hatenablog.com


 さんざん、「新聞やテレビなどの既存のマスメディアはオワコン」「地上波テレビ番組もオワコン」「雑誌もオワコン」なんて言っていた「ブログ」が、収益化できるようになったこともあって、かえってその自主性や自由を失って、新聞やテレビよりも先に「オワコン」になりつつある、というのは、皮肉なことではありますね。
 もちろん、個人史的なブログ、というのは無くなることはないでしょうし、本来のあるべき姿に戻り、好事家の趣味のひとつとして、今後も続いていく文化だとは思うのですが、「多くの人に読まれる」とか「何かをアピールし、実現する」ためのツールとしては、もはや「時代遅れ」であることは否めません。
 よほど突出した才能を持った人でないかぎり、これからは「ブログで一旗揚げる」のは難しい(これまでも難しかったんですけどね)。


 僕がここでまだ書いているのは、結局のところ、他にできることもないし、習慣になっているから、というのが大きいのです。
 でも、気にしていないつもりだったのに、書いても書いても昔ほどの手応えもなく、読まれていないことに、限界を感じてはいます。
 いまさらYouTuberにもなれないし、そもそも、YouTuberこそ「レッドオーシャン」であり、ごく一握りの成功者が総取りしている世界なんですよね。
 SNSで当意即妙な大喜利をしてみせるような才能も、僕にはない。

 
 さて、これからどうしよう。
 それでもブログにしがみつくべきなのか、それとも、何か他の発信のしかたを考えるべきなのか。
 加齢に伴い感覚が古くなり、「ちょっと調子に乗って自分の常識で喋ると、現在のポリコレ的にアウト」になりかねないので、たまにどうしても書きたいことがあったときに書くくらいにして、あとは「コンテンツを消費する側」であることに専念するのか、本当に、それで満足できるのか。

 そんなに難しく考えなくても、書きたいときに書きたいだけ書けばいいんじゃない?
 書くことがないときは、放っておけばいいよ。
 たぶん、そんな感じで、ゆるくやっていく時期がきた、ということなのでしょう。


 『はてな』のレジェンド、コンビニ店長みたいに、書きたくなったら、『匿名ダイアリー』に書くと、誰かが「あっ!コンビニ店長だ!」って喜んでくれる。ずっと書いていなくても、みんなが覚えていてくれる。そんな存在が、すごく羨ましい。
 その一方で、コンビニ店長にはなれない僕は、長年ネットで書き続けたひとつの結論として、「結局、忘れられたくなければ、ボロボロになってもリングに立ち続けるしかない」と実感してもいるのです。
 ブログが「オワコン」だからこそ、その沈み続ける船で、最後まで演奏を続けたい。
 
 ただ、最近はそれと同時に、「自分が発信するという意識を持たずに、全身で世界を受け止めて、ただ感じてみたい」とも思っています。
 だからといって、急に世界放浪の旅とかに出るわけじゃないけれど、自分の残りの人生のために、日常を、もう少し丁寧に生きたいのです。


fujipon.hatenadiary.com

旅のおわり世界のはじまり

旅のおわり世界のはじまり

  • 発売日: 2020/03/11
  • メディア: Prime Video
※この映画の前田敦子さんの「危うさ」には、すごく惹き付けられました。

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