僕は心の中に「ドヤコンガ」を飼っている。
いや、飼われているのは僕のほうなのかもしれない。
「ドヤコンガ」について知っている人も知らない人もいると思うけれど、だいたい、こういう話です。
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実際に、この『ドヤコンガ』さんが、『Re:ゼロから始める異世界生活』のレム役などで知られる人気声優・水瀬いのりさんと同一人物なのかはわからないし、「アカウント乗っ取り」みたいな話で公式は説明して、時間とともに忘れられていっている、というのが現在の状況ではある。
ネットでは当時けっこう盛り上がっていて、「検証」も行われていたのだが、僕は「しかし、あれだけの人気声優さんが、いろいろムカつくことがあったにしても、わざわざネットの裏アカウントで同業者の悪口とか書くリスクを冒すだろうか?」とも思っていたのだ。
客観的に考えたら、やらないよね。
水瀬さんは子役出身で、成長していく過程で売れない時期があって苦労もされていたけれど、ようやく人気声優としての居場所を確立した人だ。成功することの難しさと、ひとつ選択肢を間違ってしまった場合の転落のリスクも十分に承知しているはず。
……なんだけどね。
正直、僕は本当のことはわからないけれど、ドヤコンガの正体が人気声優でも、おかしくないとは思っている。
僕自身、長年ネットに接してきて、いろんなことを書いてきて、「そんなことは書かないほうがいい」と言われるようなことを何度も書いて自分を貶めてきた。でも、そのときは、自分の怒りや憤り、悲しみや絶望感をどうしても制御できなかったのだ。
僕は長年の広島カープファンなのだが、こんなに年を重ねてしまった現在でも、カープが悲惨な負け方をしてしまったり、競馬で馬券が外れてしまったら、「なんでそうなるんだ、おかしいだろこれ!」と書きたい衝動に駆られてしまう。
ただ、さすがに僕もネットに慣れ、自分自身にも慣れてきたので、いまはほとんど書かない。なんか「匂わせ」みたいなことを書くことはあるけれど。
なぜ書かないかというと、それを書いても誰も幸せにならないからだ。自分自身も含めて。
もちろん、そんなことは誰でもわかっている。そういうリスクを冒さないために、僕は今年、カープの試合の途中経過は追わないし、結果も確認しないようにしている。『X』では、スポーツニュースのアカウントもすべてブロックした。
心を落ち着かせる薬を内服したり(眠剤も飲んでいる)、情報を遮断したりして、自分が変なことをしないように、心に鎖を巻き付けている。
「そんなことは書かないように我慢しろ!」というのは正論なのだけれど、それができれば苦労しない。
だから、「自分の心を精神力で制御すること」は諦めて、薬や情報遮断やSNSそのものの利用一時停止などで、物理的に「暴言を吐かない、吐けない」ようにしている。
客観的にみれば、カープがどんなひどい負け方をしようが、僕の人生にはほとんど影響がない。その日、いい気分で過ごせるかどうかくらいのものだ。
G1レースの馬券だって、外れても数万円レベルの損害だ。もちろん痛いし悔しいが、所有している株とか投資信託は、僕が何もしなくても短期間に数十万単位で上がり下がりしている。
ところが、そういう金融資産が相場で大きく下落しても、僕の心はそんなに動かない(まだ含み益がある状態というのもある)。
にもかかわらず、1円も損するわけでもないカープの逆転負けや、数万円程度のマイナスのG1レースの波乱は、僕の心に強風波浪警報を鳴らしまくるのだ。
そこで、そのマグマのような「怒り」や「やるせなさ」を、思わずSNSやブログに書いてしまう。
そして、炎上したり、良識ある人にたしなめられたりする。
その一方で、そういう「文章を書かずにはいられないマグマが噴出するような感情」は、長年、僕のネットでの文章制作の源泉でもあった。
ムカつきながら書きはじめても、書いているうちに落ち着いてくることも多かった。
そして、こちらからすれば「意図を読もうとすらせずに、ただ批判したいだけ、からかいたいだけ」の反応(ブックマークコメント)に、また怒ったり、絶望したりもしていたのだ。
何かを書こう、公開しよう、というような行為は、ある種の衝動であり、暴走行為みたいなものであり、それが多くの人に読まれるには、それなりの「勢い」や「情熱」「技術」が乗っかっていなければ難しい。
発達障害の内服治療について、専門家に相談したことがあるのだが、「ADHDの薬で『落ち着く』ことが多いのは確かですが、発想の飛躍とか創造性が乏しくなる、という事例もありますよ」と言われたことがある。
結局のところ、僕は半世紀も生きてきて、まだ全然自分を飼いならせていない、それで50年以上経ってしまった。
それでも、さまざまな経験や工夫と薬や情報コントロールへの意識によって、なんとか生き延びている。
そういえば、最近書けなくなったな、と感じるのだが、たぶんそれは、僕の感情の揺れがそれなりに落ち着いてきたからなのだろう。加齢も影響している。
というか、揺れを他人に見せないようにする努力や工夫がようやく実を結んできたというべきか。
いまが12歳くらいで、ここからスタートだったら、全然違う人生だったのになあ。
ひとつの傾向として、僕は「自分が好きな物事や、自分でなんとかできそうなことほど、それがうまくいかないことに我慢ができなくなる」みたいだ。
競馬の場合、お金を損することよりも、「自分が一生懸命予想して、それが外れる、予想どおりにいかない」ことが、すごくストレスなのだ。なら馬券なんか買わなければいいのだが、買わないと「自分が買うつもりだった馬券が外れたときの精神的なダメージ」を想像してしまう。買い忘れる、もしくは、時間ギリギリになって買い損ねることはあって、レースが終わってしまえば「買えなくてよかったな」という結果になったことが多々あるにもかかわらず。
自分がやるスポーツは「どうせうまくはできない」ことがわかっているのでダメでも諦めとその時間が終わることを耐えようという気持ちしかないし、投資は「自分の力ではどうしようもなくて、目の前に現金も試合経過も買い目のデータもない」から、下がっても「ああ、今日は日経平均が下がる日だったな」と割り切れてしまう。
本人は説明しているつもりなのだが、読み返してみると、他の人にうまく伝わっているかは疑問な内容を長々と書いてしまった。
冒頭の黄金頭 (id:goldhead)さんのエントリなのだが、僕は「自分の衝動を抑えきれずに、そういう誹謗中傷をネット黎明期に書いていた人間」として、世の中には「応援しているからこそ、その気持ちが怒りに変わったり、絶望したりする人もいる。その中には、ネットに「吐き出さずにはいられなくなる人もいるのだ」と伝えたい。
そんなの迷惑だ、と思われるだろう。
やっている本人だって、そんなことは百も承知だ。でも、やってしまう。
正直、理性に頼るより、ツムラの54番とかパンセダンという市販薬を内服したほうがラクだぞ、と僕は実感しているし、周囲にも科学的な解決をはかったほうが良さそうな人もいるのだ。
しかしながら、「ひいきの野球チームが負けたり、ギャンブルで外れたりするとネットで『憂さ晴らし』をしたくなる」レベルだと、みんながすぐに「これをプリントアウトして精神科へ」とコメントする希死念慮などと違って、かえって「自制心の問題」と認識されやすい。
でも、「そう簡単に自制できない」からこそ、不適切なことをSNSに書いてしまうんだよね。
そこには本人の性格だけではなく、現在置かれている状況への不満や不満が反映されていることもある。
僕だって、100億円の資産があれば、競馬で数万円負けたくらいでいちいち憤らない。
……と言いたいところだが、僕は「自分の予想が外れた」ことに耐えられないので、金額や自分の資産はあまり関係ないかもしれない。
最近何度か書いたけれど、僕は野球に関しては、カープ関連情報や野球に関するポストをした人はブロックあるいはミュートしているし、新規公開株が当たったとか、僕が外れたG1レースで万馬券を獲ったとかアピールしている人も、片っ端からブロックしている。
我慢して苛立ちをつのらせたり、精神的にダメージを受けるよりは、「視界から消す」ほうが、僕にとっては簡単かつ有効な解決法だからだ。
スポーツの試合なんて、相手チームのファンが「〇〇ほー!」とかやっているのをみるだけでムカつくし。
新井監督のこれまでの2年間の秋の失速は、僕のカープへの愛着以上に、カープを応援して連日傷つき、落ち込むことへの恐怖を植え付けていった。
いま多少調子がよくても、「どうせ夏から秋の勝負所で毎日惨敗して、新井さんが『切り替えて』って言い続けるんだろ」という絶望的な予想しかできなくなっているのだ。
ファンなら信じろ、と言う人の気持ちは理屈ではわかる。
でも、去年の秋のような「ひどい負けかた万博」みたいなのを「優勝するぞ!」と期待していたときに見せられて、無策な首脳陣、あまり代りばえのしない選手たち(しかも不倫報道とかばっかり)という現実の前で、「それでも応援するのがファン」という綺麗ごとに付き合う気分にはなれない。
それでも、応援している人に水を差したくもないし、ただ、立ち去るのみだ。
罵声を浴びせる人は、まだ期待している(いた)とも言えるかもしれない。
あのマツダスタジアムの観客数の減少は、「熱いなか、お金を払ってまで自分を傷つけるものを観たくない」というごく自然な反応にしか僕には思えない。
3時間、酷暑のスタジアムでひいきのチームの悲しい姿をみるくらいなら、涼しいシネコンで映画をみて、ちょっと贅沢なご飯でも食べたほうがよくないか?
僕のようなタイプの人間は、応援している対象に「裏切られる」と、怒りの感情がわいてしまう。
そして、それをどこかに吐き出さずにはいられなくなりがちなのだ。
あのマツダスタジアムの観客数の状況は、「もうこれ以上カープを嫌いになりたくない」というカープファンの心境を反映しているように僕には見える。
いまの僕も、カープなんてどうでもいい、と言いながらも、試合結果が目に入ると一喜一憂してしまってはいるのだ。
馬券だって買い続けている。
Amazonでは使わないものをセールで安いからという理由で買い漁り、Steamは積みゲー満載だ。
こんな面倒くさい人間に生まれなければよかったのに。
自分にはどうしようもないことや他者の揺さぶりが気にならないAIになりたかった。
宣伝と釣りとマウンティングばかりのSNSは、危険な場所なのはわかっている。
だが、SNSでしか発散できないと感じてしまうか「怒り」や「悲しみ」を制御できずに苦しんでいる人もいるのだ。
僕の心のドヤコンガさんは、たぶん僕が生きている限り死なない。
人に迷惑をかけないように生きるというのは、難儀なものだ。