マクベス(藤原竜也)とバンクォー(河内大和)は荒野で三人の魔女(吉田鋼太郎ほか)と出会い、魔女たちはマクベスがコーダーの領主となり、国王となることと、バンクォーの子孫が王となることを予言する。
夫からの手紙で予言について知ったマクベス夫人(土屋太鳳)は、野望を遂げさせようと決意。マクベスはダンカン王(たかお鷹)を暗殺し、王座を手にするが、すぐさま良心の呵責に苛まれていく。
不吉な予言に不安と怒りに駆られ、マクベスはさらに残忍な行為を重ね、気丈だったはずのマクベス夫人は罪悪感と血の幻影に悶え苦しみ錯乱状態に陥っていく。
マクベスへの復讐をたぎらせるマクダフ(廣瀬友祐)とマルカム(井上祐貴)の軍勢が攻め入り、荒唐無稽な予言は現実のものとなっていく――。
僕の若い頃の読書って、マイコン関係とテレビゲーム、サブカルチャー、歴史にかなり偏っていて(恋愛小説とかを読むのはなんか恥ずかしい、みたいな感覚もあったのです)、「やっぱり『古典的名作』も読まなきゃな」と、思うようになったのは、30代後半くらいからでした。
しかしながら、そのくらいの年齢になると、読書に使える時間も、「読書に集中できる体力」もなくなってきて、ブログを書いていたこともあり、「流行りもの」を優先的に読む、という感じになってしまいました。
シェイクスピアの作品も、簡易版みたいなものを中学生くらいのときに読んだ記憶がありますし、『マクベス』もどこかで読んでいるとは思うんですよね。『マクベス』の派生作品というか『メタルマクベス』みたいな舞台を観たことも(たぶん)あります。
「きれいはきたない、きたないはきれい」
「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ」
とにかく有名な作品で、さまざまなところで言及されているので、「森が動く」とか「女から生まれた者はマクベスを殺せない」というような予言の「結末」がどうなるかも知ってはいたのです。
でも、この作品自体を舞台で通してみたのは、たぶんはじめてだと思います。
正直、最近の舞台での古典的名作に関しては「せりふが長くて回りくどく、意味がわかりにくい」「やたらと長いわりには話がなかなか進まず、ダイナミズムに欠けて面白くない」など、あまり良い印象を持っていないのです。
もっと「エンタメ化」された派生作品をたくさん観てきましたし、今回の『マクベス』も、最初はまず、「セリフが聞き取りにくいな」と感じました。言い回しが古典的なので、さらに意味がつかみにくい。これは僕の耳が遠くなってしまった影響や会場の音響の問題もあったのかもしれませんが。
そして、ストーリー上も、マクベスが「王殺し」をやった理由がいまひとつピンとこなかったのです。王に恨みはなさそうだったし、王は暴君でもなかった。妻にそそのかされたとか、魔女の予言で野心が刺激された、とかいうのは「魔女」の力を信じきれない僕にとってはよくわからず、「そんなに後悔するくらいなら、王殺しとかやるなよ。そもそも自分の居城でやるとか怪しすぎるだろ……」と疑問ではあったのです。
でも、一度そうやって権力の座につくと、自分の玉座を脅かしそうな人がどんどん怖くなってきて、次から次へと排除しようとする、というのは、「こういうのって、権力を手にしてみないとわからない不安なんだろうな」とは思いました。
藤原竜也さんのメンヘラ演技っぷりは、やっぱり安定感がありますね(なんだか矛盾した言い方ですが)。藤原竜也さんと土屋太鳳さんは、舞台に立っているだけで絵になる存在で、なんのかんの言っても、舞台は出ている役者の存在感だな、と痛感しました。
良く知らない人がやっている『マクベス』だと、「やっぱり古いな」で終わりだったかもしれません。
『マクベス』の登場人物の行動って、上映時間の限界もあるのでしょうけど、あまり理由が説明されていなかったり、唐突だったりして、正直、「マクダフ、お前がマクベスを恨むのは理解できるが、ひとりで逃げてきた時点でこうなることは『想定内』だろ……」とか、「女から生まれた者はマクベスを殺せない」はずが、「えっ?それだとOKなの?」という解釈になっているなど、なんかスッキリしないところもあるんですよね。
バンクォーの息子はどうなったんだ結局。
その「女から生まれたものは……」に関しては、詳しく説明しすぎるとネタバレみたいになっちゃうし、さりとて、予備知識なしだと、現代の日本人には「えっ?どういうこと?」みたいな感じがするのではないでしょうか。
いや『マクベス』ですからね、そのへんの訳し方問題もみんな知っている、あるいは、Wikipediaで検索してくれ昔のイギリスの戯曲なんだから仕方ないだろ、という話なのかなあ。
なんだかもう、不満点ばかり書いてしまったような気がするのですが、95分(+休憩)+75分、という上映時間も、あまりに舞台装置やハイテクに頼りすぎない演出も、話が進んでいくテンポも「ちょうどいい作品」で、観終えたあと「うん、こういうので良いんだよな!」といろいろ疑問点は残りながらも満足できたのも事実です。
劇団☆新感線だったら、もっとマクベスも徹底的に悪党人生を貫いてくれただろうに、とか思いつつ。
「生きているうちに観ておくべき宿題みたいな名作」を、とりあえずひとつクリアした、という喜びもありました。
「なろう小説」みたいなもので、いちいち「理由」とか「因果関係」みたいなものを描かないからこそ、観る側には「なぜ、マクベスはこうなってしまったのだろう?」と想像する余地がある、とも言えます。
藤原竜也さんのマクベスは、観ていて「くうーっ!キンっ、キンに冷えてやがる!」と、いつか言うのではないか、と内心期待してしまいましたが、「開き直ったメンヘラ」をやらせたら、まさに天下一品です。
セリフも最初は聞き取りづらかったのですが、途中からは慣れてきて、「こういう回りくどい装飾が多い言い回しが、古典芸能ならではのスタイルで、あえてやっているんだよな」とわかってきましたし。
歌舞伎を「わかりづらいから」と現代の話し言葉でやっても「なんか違う」のと一緒ですよね。
土屋太鳳さんはたいへん美しかったのですが、マクベス夫人はその退場も含めて、中途半端な存在のイメージがありました。
女性キャスト少ないですしね、シェイクスピアの時代は。
ちなみに、僕のこの観劇の感想をアメリカで『マクベス』を観たという息子に話したのですが、息子は「自分が観たものは、もっと上映時間が長くて、マクダフが単身でイングランドに行った理由もそれなりに説明されていた(と思う)」と言っていました。
「女から生まれたものは……」の話もそうなのですが、上映時間に制限があり、作られた当時のイギリスと現代の日本では文化的な背景・観客の常識があまりにも違うため、「古典を現代によみがえらせる」というのは思った以上に難しいのかもしれませんね。
もしかしたら、明智光秀も「なんか信長を倒せる状況ができあがってしまったので、なんとなく裏切ってしまった」だけなのかもしれないなあ、人間って、そんなものかもなあ。
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