いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

インターネットで繋がった人たちとの「センチメントの季節」


 3月31日というのは、感傷的な気分になる日だ。
 最近は1ヶ月くらい前から有給を消化して会社には出ない、というのも珍しくないみたいだけれど、病院勤めをして、入院患者を担当していると、空白期間を作りにくい、というのもあるし。
 5年くらい前までは平均して2年に1回くらい転勤していて、3月31日は引き継ぎのサマリーを書いたり、挨拶回りをしたり、それでいて日常業務はそれなりにあったりで、忙しくてうんざりしているか、周りの人がガラッと変わることに淋しくなっていた。


fujipon.hatenablog.com


 今年に関しては、とくに職場が変わることなく、それは心の安定のためにはとてもありがたいことなのだけれど、年齢的にも、もうそんなに転勤のときの慌ただしさや緊張感を味わう機会はないのだろうと思うと、それはそれで、なんだかせつない。長い旅行から帰ってきて、もうすぐ家に着く、そんなときのような気分だ。


 とか、こういう前置きを延々と書いているから、毎回長くなるんだよなあ。


p-shirokuma.hatenadiary.com


 このエントリを読んで、僕が今までネットで接してきた、いろんな人のことが次々に頭に浮かんできた。
 もちろん、心温まるエピソードばかりではない。
 「ファンです!」と近づいてきて、自分の言いなりにならないとわかると、手のひらを返して大バッシングをしたり、デマを垂れ流してきた人もいるし、その尻馬に乗って、面白がって煽ってきたクソ野郎もいた。そんなのが「尊重」なんだから(あえての誤変換)、腐っていたよな、「はてな村」って。

 僕は当事者だし、根にもつ人間だし、そういう負の記憶力だけは優れているので、ずっと忘れはしない。
 そもそも、大概のことは、ブログに記録してあるし。


fujipon.hatenablog.com

 
 まあでも、このくらい長くやっていると、結局のところは、因果応報というか、僕自身も他人の興味を引こうとあえて争いが起こりやすい場所に踏み込んできたので、自分だけが被害者だと思うべきではないのだ。書いてそれをインターネットに流すというのは、見えるところ、見えないところで、誰かに肯定されたり、否定されたり、喜ばせたり、怒らせたりすることでもある。……というほど、今の僕は興味を持たれていない、というのが現実なのだが。


 最近、ブログは書かなく(書けなく)なり、以前より本も読まなくなった一方で、スイッチでゲームをしたり、YouTubeをボーッと眺めている時間が長くなった。YouTubeで「あなたにおすすめの動画」などを少しずつ、つまみ食いするように観ていると、長い間続いているチャンネルで、7〜8年前は1回に100万再生されていたのに、最近の回は5〜6万、というのをけっこう見かける。


fujipon.hatenablog.com


 こういうチャンネルをみるたびに、「中の人」は、どういう気持ちでいま、このチャンネルを続けているのだろうか、と想像せずにはいられない。
 僕自身、ピーク時に比べれば、ブログのPV(ページビュー)数は5分の1くらいになっている。何かネガティブな理由がある、というわけではないと思うし、やたらと長い(とくに今の時代には)というのを除けば、ピーク時より内容が薄くなってはいないはずなのだが(更新頻度は減ったけど)、どうしてこんなに過疎化してしまったのか、と思っていた。

 あらためて考えてみると、こちら側からすれば「前とクオリティは変わりないはず」でも、見る側からすれば「いつまでも変わり映えしない」ということなのだろう。僕自身、読むブログの数は以前より減っているし、新しいブログを「開拓」しようという意欲も減っている。
 僕の場合は、これで食べているわけではないから、「人が減って寂しい」で済むけれど、一念発起してインターネットにコンテンツを上げて食べていこうとしてきたYouTuberやブロガーは、やっぱりキツいだろうな。
 音楽を演奏して話題になったブロガーや趣味やカップルの仲睦まじさ、ネタを配信していた人たちの大部分は、しばらくすると「何をやっても人が集まらなくなっている」ように見える。音楽家や芸人なら、プロとしてネット以外のところで稼ぐ、ということもできるのだろうけど。
 視聴者としてみれば「そりゃ、ずっと同じような『サプライズ』をやられても、飽きるよねそれは」なんだよなあ。


 特別なきっかけがなくても、人は、「いつのまにか、あるコンテンツから興味を失ってしまう」ことが多い。
 僕自身だってそうだ。
 そして、書き続けることをやめてしまう人もいる。突然、ネットから消えてしまう人もいる。
 僕はその人たちのことをときどき思い出す。中にはさりげなく生存確認している人たちもいるけれど。


 僕が「個人サイト」をはじめたときから知られていた、愛・蔵太(id:lovelovedog)さんや、「無断リンク論争」で僕自身も関わったことがあるekkenさん。
 当時は僕が「嫌がる人をわざわざ批判するためにリンクしなさんな」、ekkenさんは「ネットに公開されているものはリンクされ、言及されるのを拒絶できない」というスタンスだったのに、ekkenさんは不在になり、新しい人が入ってくるなかで、僕のほうが「ネットに公開されているものはリンクされ、言及されても仕方がない派」寄りになってしまった。今はネット上に公開されているものでも「知り合い以外はリンクするな、言及するな」と考えている人が多いから。

 しの(@raf00)さんが亡くなられたのは、2019年のことだった。

fujipon.hatenablog.com

 直接の交流はなかったけれど、すごい作品たちを残して亡くなられた伊藤計画さんや二階堂奥歯さん。

fujipon.hatenadiary.com
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itoh-archive.hatenablog.com


 最近は『はてな匿名ダイアリー』でもお見かけしないコンビニ店長。



 もちろん、ときどき「生存確認」をして、僕が勝手に安心している人たちもいる。

 僕が個人サイトを始めたときからの目標であり、道標だった半熟ドクターさんは、いまや立派な経営者となり、小児科のMari先生も丁寧に日々を過ごされている。

hanjukudoctor.hatenablog.com


 当たり前のことだけど、僕が年をとれば、同じだけ、周りの人々にも時間は流れていく。
 

 最近ふと、この方のことを思い出して、久しぶりに読んでみた。
 まだあるのかなあ、と気になって検索してみたら、まだアーカイブが残っていたので。

luvlife.hatenablog.com

 ああ、なんだか彗星のように現れて、あっという間にいなくなってしまったなあ、当時は「中身はオッサン疑惑」があったし、僕もネタなんじゃないかと半分くらい疑っていた。


 この記事、みんなまだ覚えていますか?
luvlife.hatenablog.com


 もう10年経った、のか、まだ10年しか経っていない、のか。

 僕にとっては、ブログの中で「読んでます」といってもらえて嬉しかったというのもあって、ずっと忘れられない書き手さんだ。
 Twitterを確認すると、とりあえず、生きていて、なんだか桜玉吉さんと『ゆるキャン』のハイブリッドみたいな生活をされていて、それでもまだ「アラサー」で(僕などもう「アラフィフ」で、ブックマークでは「この人も、もうおじいちゃんだね」とか言われています)。
 結局、「中身はオッサン」じゃなかったみたい。


 思いつきで書き始めたので、スッキリするようなまとめもオチもないけれど、転勤しても、引越ししても、誰にも読まれなくても、書こうと思えば、見返りを求めなければ書ける、というのは、インターネットに書くことの最大の長所ではある。

 だいぶ感じの悪いオッサンになってしまったが、そんな自分が以前ほど嫌いではなくなったのは、ネットのおかげなのか、認知機能が低下してきたからなのか。

 とりあえず僕は、インターネットがある、インターネットができていく時代を生きられて、運が良かったと思っています。


 消えたい、消してしまいたい、という衝動は、ずっとあるのだけれど。


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