いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「id:fujiponと『はてなダイアリー』」について、新規受付最終日の夜に僕が語ること


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 ああ、『はてなダイアリー』の新規受付終了なのか、とβテストから『はてなダイアリー』と付き合ってきた僕には感慨深いものがあるのです。


 しかし、『はてなダイアリー』のトップページをみていると、もう閑散としているのかと思いきや、新しい記事がどんどん投稿されていて、運営は『はてなブログ』に移行してもらいたいのだけれど、『はてなダイアリー』で十分、という人が少なからずいて、それは『はてなダイアリー』の優れたところでもあり、『はてな』にとっては、なかなか『はてなブログ』への移行が進まない」という悩みにつながっているのかもしれませんね。
 僕も去年の夏まで『琥珀色の戯言』というブログを『はてなダイアリー』でずっと書いていて、『はてなブログ』に移行したのですが、期待していたほど読んでくれる人は増えませんでした、というか、むしろ減りました。マンネリなのかな、うーむ。
この『いつか電池がきれるまで』も『はてなブログ』が開設されてすぐの時期に書き始めたのですよね。『はてなブログ』って、『ダイアリー』と何が違うんだろうな、なんて思いつつ。


 というわけで、「id:fujiponと『はてなダイアリー』」について語ってみたいと思うのですが、とりあえず、はてなダイアリーにたどり着くまでのネット歴、テキストサイト歴などは、10年前に書いたこれを参照してください(興味がある方は、です)。


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 『はてなダイアリー』に書き始めたのが、2003年の2月で、このエントリが最初です。
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 この後のエントリをずっと読んでいくと、「これ、いまだったらTwitterで十分だよなあ」と思うような短い文章+世間話の数々が並んでいます。
 当時は、ブログに何を書いて良いのか、僕にはよくわからなかったんでしょうね。
はてなダイアリー』がはじまったときは、まだ「日記の延長」みたいな感じだったり、自分のサイトや日記で書けないことを書く「裏サイト」として利用していた人が多かった気がします。
 で、いつの間にか、「裏サイト」のほうが注目されて、メインになっていく、というのもよくある話で。


 結局、2003年から2016年まで、『はてなダイアリー』で書いていたことになります。
 いやほんと、楽しかったよね、と今となっては記憶を美化したいところもあるのですが、実際のところ、僕の場合は、喧嘩ばっかりしていたような気もするんですよ。
 「手斧を投げつけあう、『はてな村』文化」みたいなものとは、なかなか相容れないところもあったのです。
 

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 今あらためて読んでみると、ものすごく恥ずかしいというか、まさに「黒歴史」ですね……
 こういうことをやってきているから、僕は「はてなブックマークコメントに反発する人たち」に共感せずにはいられないのです。
 最近は、あまり罵声を浴びせられることがなくなったのは、僕が成長したからなのか、みんなお行儀がよくなったからなのか、もうすでにオワコンだから構ってもらえなくなったのか。


 「無断リンク禁止」が叩かれていたネットの世界から、トラックバック機能が衰退し、コメント欄や掲示板も無いところが多数派となりました。
ネットで全世界に公開されているものに言及しているだけなのに「フォロー外から失礼します」っていう前置きが必要になってきているのです。
 グローバル化の理想を追い求めてきたはずなのに、いつのまにか、その弊害を嫌うように、内向き、仲間内でのコミュニケーション重視になってきているというのは、第二次世界大戦後の世界史を凝縮しているようにすら思われます。


 最初は、「芸能人の眞鍋かをりさんが!」「しょこたんが!」って言っていたブログも、今では芸能人ブログというだけでは、珍しくもなんともなくなりました。
今から考えると、『はてなダイアリー』って、最後まで「アクセスランキング」を公開することがなかったのはすごいと思うんですよ。
 それは、営業的には「この人も『はてなダイアリー』!」ってアピールしにくくて、マイナスになったのかもしれないし、単に有名人を引っ張ってくるだけの設備投資や人的資源が不足していただけなのかもしれないけれど、そのおかげで、『はてなダイアリー』は、最後まで「めんどくさい人たちのテキスト梁山泊」みたいな存在として生き残っていたような気がするのです。


 僕自身が起こした、あるいは巻き込まれたもめごとについて書こうかと思ったのですが、長くなるのと、もう先人たちが書いてくれているので、今回はやめておきます。
はてなダイアリー』のトップページをみると、まだまだ現役で書いている、書き続けるであろう人も少なからずいるみたいだし。
 実際のところ、日記や備忘録として使うには、『はてなダイアリー』で機能的には十分ではあるんですよね。
 『はてなブログ』には、誘惑が多い。


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 こうして振り返ってみると、10年以上も僕は「個人ブログは終わった」と言い続けているわけで、なんだか滑稽ではありますね。
 そりゃ、いつかは終わるものなのだろうけど。
 それと同時に、インターネットに書いたものはずっと世界に残り続ける、というのは幻想でしかなくて、サービスの停止などによって、あっという間に失われてしまうものだということも思い知らされてきました。
 本当に残しておきたければ「プリンアウトして箪笥の奥へ」なんだよなあ)
 どんなコンテンツでも、興味を持ってくれる受け手がいないと存在しないのと同じではありますが。


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 いろんなことを『はてなダイアリー』に書いてきたのですが、今、あらためて思い返してみると、『はてなダイアリー』のおかげで、人生に起こったいろんなことを、記録する機会を与えてもらいました。
 僕にとっては、どんな他人の評価や小銭よりも、「読み返せる形で、リアルタイムの人生の記録を残すことができた」ことが、すごく大きかった。
 もちろん、「ブログだからこそ」の周囲からの励ましや叱咤激励がなければ、続かなかったとは思います。
 声高にほめたりけなしたりするのではなく、ただ、ときどき覗きにきてくれる。
 そんな人たちの存在に、ずいぶん励まされてきました。


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 僕自身は、この子供が生まれたときのエントリの記憶があるからこそ、まだブログを続けている、という気がします。
 どんなにツールが変わっても、そこには文字があり、書いている人と読んでいる人がいる。それは、ずっと変わらない。
 とりあえず、何気なく流行りに乗ってはじめた『はてなダイアリー』は、僕の人生をけっこう変えてくれました。
 それは『はてなブログ』でも、他のブログサービスでも、多くの人に起こっていることなのだと思います。


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 まあ、なんでも「終わり」となると美化してしまいやすいところはあるわけで、これまで何度も「もうやめる!」って怒ったり拗ねたり休んだりしているんですけどね。
 そういうのもまた、ブログであり、人生でもあるのかな。


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