いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「若者の夢を潰すな!」と叫ぶおじさんたちの悲劇について


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 遅ればせながら、という感じではありますが、このオリンピック代表選手の喫煙騒動をはじめて知ったとき、僕はこう思ったのです。
 
「中学生や高校生ならともかく、19歳なら、そこまで厳罰に処さなくても良いんじゃない? タバコは競技能力に悪影響を与える可能性はあるけれど、この選手は日本選手権で優勝して代表になったのだし、20歳と19歳で、現実的に身体に与える影響にそんなに違いはないだろう、そもそも、タバコも酒も違法薬物ではないし」と。

 X(Twitter)でも、オリンピックで活躍したことがある選手や芸能人、政治家から、擁護の声があがっていました。
 現実問題として、日本の女子体操界のエースを競技から外すことは、チームの成績を落とすことにもなるでしょうし、体操という競技は、なんと言ってもオリンピックが唯一無二の大舞台なわけですから、そこに出られないのはかわいそう。


 ……でも、時間が経つにつれて、各界からの反応をみるにつれて、僕の考えは変わっていきました。
 これはオリンピックへの出場は辞退した方がいいだろうな、と。

 その選手の日頃の素行の悪さが噂として報道され続けている影響もあるのかもしれませんが、僕は「未成年喫煙・飲酒を甘く見ていた」あるいは「自分が19歳のときの基準でこの件を判断しようとしていた」のです。

 僕が19歳の頃は、1990年代のはじめくらいで、まだバブル経済が続いており、クリスマスには彼女とシティホテルで、1泊10万円!みたいな話を同級生から聞かされる時代だったのです。

 そんな時代に浮かれていた、というよりは、少なくとも1990年くらいの日本では、高校を卒業して、大学に入ったり、就職したりすれば、飲酒・喫煙は「黙認」される、あるいは、新歓コンパなどで、新入生は通過儀礼として先輩に酒を飲まされるのが当たり前、だったのです。
 僕の周りには、幸いにも飲めない人に飲酒を強要するような先輩はいなかったのですが、新入生は一度は酔い潰れて記憶を失うくらいになるのが当たり前、でした。
 大学入学や就職を期にタバコを吸うようになる人も多かったのです。
 最初は「なんとなくカッコよさそうだから」「会話が途切れた時に間をもたせられる」とあまり美味しいとも思わずにタバコを吸っていたはずの人たちが、どんどん、やめられない喫煙者になっていきました。僕は身体に合わなかった(煙だけで胃が重くなる)ので喫煙者にはなりませんでしたが、それはモラルがどうとかではなかったのです。
 友達との付き合いのために吸えたらいいのに、と思った記憶もあります。

 最近、というか、もう10年くらい前、2010年代に、久しぶりに大学の後輩たちに会って、いまの大学の部活の話などを聞いていて驚きました。
 その時代にはすでに、部活の飲み会でも、10代、未成年の飲酒は固く戒められており、もしそれが発覚すれば、厳重注意、悪質な場合には停学・退学になる可能性もある、と大学側が明言し、部活内でも未成年飲酒禁止が厳守されていたのです。

 僕の時代の大学の学園祭は、昼間から酔っ払ってご機嫌で徘徊する人たちが大勢いて、困ることもありはしましたが、それが「お祭り」というものだと思っていたのです。
 でも、学園祭での飲酒も完全に禁止となっていました。

 医学部だから、というのはあるのかもしれませんが、未成年飲酒やその強要、未成年喫煙に対しての「厳罰化」が進んできたのです。
 それも、最近になっての話ではなく。

 ちなみに、進級や臨床実習に進むための成績の基準も僕の時代よりはるかに厳格になっており、単位を落としていたら、実習には参加できません。
 そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、30年前は、臨床実習をやりながら、残りの基礎の単位を取るための試験勉強をしている先輩が、けっこういたんですよね。
 ただ、そういう先輩たちが、のちに医師になってけっこう偉くなったり、「いい先生」として人望を集めていた事例も少なからずあるので、「単位を取るのに汲々としながら大学生活を送るのが善」だとは僕自身、言い切れない気はしています。

 「ひどいやつ」が、人々を感動させる作品を作ったり、素晴らしいパフォーマンスを見せるのが「アート(芸術)」や「スポーツ」の世界なのだ、と、運動音痴で芸術的なセンスがない僕は嘆いてしまうし、「芸能界」なんて、吉田豪さんのインタビューで「昔の芸能人の豪快伝説」を面白がりながらも「ベッキーの不倫」とかを大バッシングするのも不思議な気はします。
 正直、僕自身に迷惑がかからなければ、僕にはできない、社会規範から逸脱したとんでもないことを見せてくれるショーケースとしての芸能界(最近ではYouTuber)への郷愁、みたいなものもあるのです。
 

 あの体操選手をSNSで擁護している有名人の多くは、僕と同じくらいか、ちょっと上の世代、50代より上くらいの人なんですよね。
 単純に、若くして発言力がある人の割合が少ない、という面もあるのかもしれませんが、擁護する人の多くは「自分たちの時代基準」で判断し、「今の世の中は世知辛くなった、若者の夢を潰すのか!」と批判しています。
 僕も最初はそうでした。

 でも、考えてみてください。
 現在19歳の当該選手は「未成年飲酒・喫煙には厳しく対処するのが当たり前の時代」を生きているはずだし、協会の行動規範についても、あらかじめきちんと説明されているはずです。協会だって、競技成績を考えたら、出せるものなら出したいのではなかろうか。
 オリンピックのプレッシャー、というのは当然あるのだろうし、それは19歳には重すぎるとは思う。
 精神安定剤睡眠薬は、ドーピング規定もあって簡単には使えないし。
 酒やタバコじゃないとダメだったのか? ソーシャルゲームの課金や甘いものや友達・家族との電話では効果がなかったのか?
 実際のところ、そういう追い詰められたときって、「わかりやすい典型的な不幸少年の行動」みたいなものに走ってしまいがちではあるのでしょうけど。


 今回の件で、僕は当該選手を永久追放しろ、と考えているわけではありませんし、みんなそうだろうと思います。
 選手の「弱さ」に驚きと残念さ、そして、人間としての共感みたいなものが入り混じりつつ、「せっかくの人生最大の舞台を棒に振ってかわいそうだな」というくらいが反応の中央値ではないでしょうか。

 処分としては、「半年か1年の選手としての資格停止、その後、謹慎期間の状況を確認して復帰へ」くらいが妥当ではなかろうか。
 しかしながら、不幸なことに、今はまさにオリンピック開幕直前なわけで、いま、オリンピックに参加させるのは、本人にとっても、競技全体にとっても良い結果にはならないでしょう。

 「日本体操界のエースで、成績を上げるために必要な選手だから」というのがまかり通ってしまえば、「いまの日本では、特別な才能がある人間は、違法行為やルール違反をしても許される」という前例をつくることになります。

 
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 後輩に無理やり酒を飲ませて急性アルコール中毒で生命の危機に晒した、とか、未成年が酔って暴力を振るったり、ひどい迷惑行為をしたり、という事例でなければ、大学の推薦取り消しや退学になるケースは限られているようですが、そういうペナルティが課せられた事例もあるので、有名なオリンピック選手だからこそ、見過ごすわけにはいかないのです。
 それに、そういう行為に伴うリスクは、インターネット、SNS社会に生きている今の若者は、常識として承知しているはず。
テラ豚丼」や回転寿司での醤油差し舐めは、衛生上の問題はあるとしても「こういうしょうもないイタズラって、バックヤードでやっている人は少なからずいそうだな」と思うのですが、実際に目の当たりにすると、「若気の至りだから」では済まなくなってしまう。

 オリンピック選手だったら許される、ということでは、社会は納得しない。
 タバコや酒に関しては、迷惑行為を伴わなければ、本人の健康を害するだけであり、単に素行不良などこにでもいる19歳であれば「まあ、あいつはそういうヤツだからね」で、いちいち注意をする人もいなかったかもしれないけれど。

 「いろんなことが緩く、不法行為SNSで拡散されることがない時代に、学生として過ごし『あの頃はバカやったなあ!』と述懐する、いま50代以上の人たち」は、自分の感覚をアップデートできない、しないまま、「30年前の昔話をしている」のです(僕もそうなりがちです)。

 社会の遵法意識が高まり、「清潔で健全で安全な一方で、常に『SNSなどで晒されるリスク』を想定せざるを得ない時代」を生きている、いまの若者たちは、「そういう隙を見せたのであれば、しょうがないよね」と、納得している人が多いように感じます。

 人って、裏アカでの暴言、不用意な発言とか、不倫とか、せっかくここまで成功しているのに、なんでそんなことするの?というのを「やってしまう」生き物ではありますよね。
 今回の出場自体は、あえて出場したときの軋轢(競技でうまくいってもいかなくても)と、その後の本人への影響を考えると、「発覚してしまった以上は、出場辞退するしかなかったし、そのほうが人生トータルで言えば、マシではないか」と僕は考えています。
 少なくとも「それでオリンピックに出た」と言われ続けるよりは「出られなかったから、ちょっとかわいそうだった」と思われるほうが、これからの人生は生きやすいと思うし、しばらく謹慎したら、競技復帰も可能にして、もうこの話はみんな忘れてあげて良いのではなかろうか。

 それもまた僕の中年男としての判断基準で、このことは、ずっとデジタルタトゥー化するんだろうな、とも思いますが。

 個人的には、運動音痴としてずっと生きてきたので、もう「フェア」とか「クリーン」とかかなぐり捨てて、ドーピングも特殊な用具も改造手術もなんでもありで、どこまですごい記録を出せるか競うようなオリンピックを見てみたい気持ちもあるのです。

 今回の件では、あらためて、自分の「常識の古さ」を実感させられました。
 子どもの小学校の授業参観に行ったとき、「今の教育」について、わかったようなことを言っていたけれど、僕は自分が通っていたころの学校しか知らずにあれこれ言っていたんだなあ、と痛感したのを思い出します。
 現場はかなり変わっているのに、自分が持っている先入観や経験だけで、物事を「知っている」つもりになってしまっていることは、本当にたくさんあるのです。学校教育とか家族の関係とかは、みんな「経験している」からこそ、とくに、自分はわかっていると思い込みやすい。

 「老害」になるって、こういうことなんでしょうね。
 先人が自分たちの世代の経験を伝えていくのは、大事なことだとは思うけれど、それがいつまでも「常識」だと信じてはいけない。


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