いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「YouTuberの終わり」と、Googleの「あなたにオススメの広告表示」への違和感と


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 「専業YouTuberの終わり」というよりは、ラファエルさんが飽きられてきているだけなのかもしれませんが、僕が知っている、あるいは観てきた「専業YouTuber」たちは、軒並み再生数を落としてきているし、広告収入が減っている、というのは間違いなさそうです。
 YouTubeには芸能人や有名人もどんどん参入してきていて、まさに「レッドオーシャン化」しています。

 1分で観ることができる「ショート動画」も増えてきて、こちらは再生数を伸ばしているんですよね。
 そういえば、僕もYouTubeで30分を超える動画をあまり観なくなりました。最近は10分から20分くらいが適正な感じがしています。いや、面白ければ短いほどいい。

 よほど自分にとって必要な情報、あるいは好きなYouTube動画でなければ「30分の、ただ素人がわちゃわちゃしているだけの映像を見るよりは、NetflixとかAmazonプライムビデオで、アニメを1話分観るか、『スプラトゥーン3』をやったほうが「有益な時間」になるのではないか、と考えてしまうのです。

 YouTuberの黎明期って、「テレビの作り込んだ番組ではできないような、『素人がわちゃわちゃしている映像』や『社会の裏側』を暴くようなネタ、ゲームの攻略や素人のプチエロ動画が牽引していたのだけれど、いつのまにか、「みんながヒカルやラファエルや中川翔子さんみたいになってしまった」感があるのです。売れた先行者のスタイルをみんな真似していくのだけれど、一人一人の可処分時間は増えないのにYouTuberは増えて、みんな同じようなことをやっている。もちろん、熱烈なファンはいるだろうし、バーチャルYouTuberへの投げ銭も「興行」として続いていくのだろうけど、YouTuberどうしの競争はどんどん激しくなり、スタッフを雇ったり、編集を外注したりすればコストもかかっていきます。プロの手が介在していき、コンプライアンスの問題が強調されるようになれば、結局、「テレビバラエティに近づいていく」のです。


 僕は最近、ネットの「広告」が気になって仕方がないのです。
 いま、ネットでコンテンツを作っている人の多くは再生数を基準にして、広告を出している企業から収入を得ていますが、あのネットでの広告というのは、本当に効果があるのだろうか。
 実際は、こういう費用対効果みたいなものは、すでにマーケティングの専門家たちが研究して数値化し、報酬の基準にしていると思うのです。
 それなりの根拠があって、価格設定もしているはず。
 しかしながら、僕としては、再生しても広告ばかりでなかなか始まらなかったり、すぐに広告が挿入されたりする動画や、商品を紹介するための宣伝動画(いわゆる「企業案件」ですね)ばかり見せられると、「もういいよこれ」という気分になってしまいます。

 いや、YouTubeの動画ならまだマシなんですよ、広告がどうしても嫌なら、有料プランにすれば良いのだから。
 広告の中には、新作映画やゲームなど、けっこう僕の興味を引くものもありますし。

 インターネットでお金を稼ぐことを嫌う「嫌儲」の思想は、かなり初期の頃、2000年代の前半くらいからありました。
 とはいえ、インターネットが一般的なツールになるにつれ、「無料で使える、見られるのだから、広告が表示されるのは仕方がないし、面白い、有益なコンテンツを作った人には、それなりに報酬があって然るべき」というくらいが「標準的な考えかた」になってきたのです。

 しかしながら、そんな流れを体験してきた僕にとっても、最近のインターネットの活字コンテンツ、ニュースやブログの広告は、正直「鬱陶しい」のです。
 昔から鬱陶しいものではありましたし、僕自身も自分のブログにGoogle Adsenseを導入して広告を見てもらっているので(全然稼げないんですけど)、偉そうに言える話ではないんですけどね。

 スマートフォンで画面全体を占める広告が、「次のページ」を見ようとすると表示され、それを消すための「×」を探すのに一苦労し、うまく「小さな×」をタッチできずに見たくもない広告が表示されるような記事を見ると、「こんな広告、コンテンツを作っている人も、広告主も視聴者・読者から反感を抱かれるだけじゃないの?本当に広告としてプラスになっているのか?」と考えずにはいられなくなるのです。

 僕自身は、ささやかながら「コンテンツを提供する側」でもありますので、「広告の表示の仕方とその効果」みたいなものを実際に検証することができますし、Googleから「あなたのブログで、こんなふうに広告の表示のしかたを変えると、これだけ収益予測が上がりますよ!」という提案をされることもあります。
 たぶん、ああいうスマートフォンの画面を覆い尽くしたり、すぐに出てくる、なかなか消せない広告は、表示される率が上がったり、誤クリックを誘発したりして、「収益が上がる」のではないでしょうか。

 でも、見る側としての僕の率直な気持ちは「ああめんどくさい、こんなに読みにくいブログやネットニュースは、もう見ない!」になってしまいます。そんなふうにユーザーを苛立たせてまで表示した広告を見て、誰が買い物をするのだろうか。

 個人の「ビジネス特化」ブログ、「いかがでしょうかブログ」「いまトピ」「まいじつ」みたいな「PVを稼ぐためなら釣りタイトル上等のPV至上主義コンテンツ」なら、ある意味潔ささえ感じます。
 ところが、「普通のブログや、企業が運営しているニュースサイト」にも、この「鬱陶しい広告」が増えてきているのです。
 内容に興味を持っても、広告にイライラして続きを読むのをやめてしまいます。
 「そのほうが稼げますよ」という提案に乗って、「読みやすさを著しく損ねるような広告」が蔓延すればするほど、見る側の「忌避感」は増していきます。

 「効率良く稼ぐ」とは言うけれど、こんなの、そのコンテンツの信用を叩き売って一時的に収益を上げているだけではないのか?
 そもそも、こんな広告が本当に企業にとってプラスになっているのか。

 YouTubeの広告には「『この動画は、すぐに消えてしまうかもしれません』が何年も続いている怪しげなビジネス指南」が溢れていますし、「インフルエンサー」としての影響力を「自分が金を稼ぐため」に使うことしか興味がない人」も目立ちます。


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 「Wi-Fiが肌に悪影響」って、こんなの、ア●ウェイ(仮名)と同じやり口じゃないか……


fujipon.hatenadiary.com


「そんな綺麗事を言っても、ユーザーはコンテンツに直接お金を払うのを嫌がるんだからしょうがないだろ」という現実はあるのです。
投げ銭」システムの隆盛を見ていると、若い人はむしろ「好きなもの、人に直接お金を支払う」ことに抵抗が少ない気はします。
 その一方で、大きな金額を頻繁に投げている人を見ていると、「こんなに執着されたら、お金をもらう方も怖いんじゃないかな」と思うのです。「お金」って、「責任」とか「呪縛」でもあるから。


 もうブログの時代は終わりだ、これからはSNSだ、動画コンテンツだ!とか言っているうちに、もう、SNSフェイクニュースの温床になり、動画コンテンツもオワコンっぽい感じになってきていて、時代の流れの早さを痛感します。
 ラファエルさんが冒頭の記事で仰っているように「YouTubeは残るが、専業YouTuberは消える」可能性は高そうです。少なくとも、既得権者以外がこれから、のし上がっていくのは、ものすごく難しいと思います。
 『note』みたいに、それぞれの人が、自分の一生に一度クラスの特別な体験で、1回だけバズる(流行る)。そして一発屋で消えてしまい、次の人がまた「蜂の一刺し」をみせて退場していく、そんな感じになりそうです。

 あんな(長い目で見れば)誰も幸せにならない「全面広告」を推奨されると、Googleさんがちょっと心配になってしまいます。
 その「予測」を鵜呑みにしてしまうコンテンツ提供者たちも、目先の収入増のためにユーザーに嫌悪感を抱かせるのは、インターネットの未来から搾取しているようなものだと思わないのだろうか。
 もしかして、彼らはインターネットの未来そのものに絶望していて、すでに「閉店セール」をはじめているのではなかろうか……


fujipon.hatenablog.com

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