いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『HONZ』の更新終了と「インターネットとデマとノンフィクションの時代」


internet.watch.impress.co.jp
honz.jp


 2024年7月15日に、ノンフィクション作品の書評サイト『HONZ』が更新を終了しました。
 東日本大震災から間もない2011年7月15日にはじまり、ちょうど13年間。
 参加者のコメントに「まだ数年間続けることができるくらいの余力はあった」と書かれていて、続けられるかぎり続けてほしかったな、というのと同時に、インターネット上の書評サイトとして一世を風靡した『HONZ』でさえ「余力」を意識する状況だったのか、と思ったのです。
 僕自身も『HONZ』を訪れたのは1年ぶりくらいだったんですよね。

 
 僕もけっこう長い間本の感想を書くブログをやっていて、自分なりの目標として『本の雑誌』や『HONZ』に書かせてもらえるようになりたいなあ、と考えていたのです。ある意味「ひとりで自分の『HONZ』をやっているつもり」でもありました。

 『HONZ』の魅力は、「それぞれの専門知識をもった書評家たちが、自分たちの専門性をベースにノンフィクション作品を語る」ということにあって(これは『本の雑誌』もそうなんですが)、選ぶ本に評者の趣味が反映されるのと同時に、そのノンフィクションの内容についても「査読を受けた論文」のような信頼性をもたらしていたのです。

 もちろん、僕自身にとっての「外れ」もありましたが、かなり「当たり」の確率が高い書評サイトだったと思います。
 書評している人たちも個性的で、書評を読むことそのものを楽しめたのです。


 とはいえ、そんな『HONZ』から、僕の足が遠のいていたのも事実で、それは、個人的な読書量の減少、意欲低下はもちろんなのですが、インターネットで本の感想や書評を確認する、という文化というか振る舞いが、近年ではもう時代遅れになっているのかな、とも感じています。
 僕も書店では「指名買い」か「念のためにAmazonで星4つくらいはあるか確認する」ことが多いのです。


 自分のブログでも、10〜15年前、東日本大震災を挟んだ時期が、いちばん多くの人に読まれていた時代で、近年は、ピーク時に比べるとPV(ページビュー)数は5分の1から10分の1くらいまで減っています。
 何か明確なきっかけがあったのか?と言われると、ときどき結構長く休んでいたことくらいで、内容的にも、以前とそんなに大きく変わりはない、と自分では思っているのですが、逆に、「変わっていない」から飽きられているのかもしれないし、長く続けていくうちに、「ラクに書けるフォーマット」みたいなものに自分を嵌め込んでしまった面もありそうです。

 
 あらためて考えてみると、『HONZ』も13年間よく続いたなあ、と。
 東日本大震災から5年くらいは、さまざまなデマも流れ、みんなが「事実」や「真実」を求めた「インターネットとノンフィクションの時代」で、その後に発生・蔓延した新型コロナウイルスに関しても「真実の顔をして流れてくる噂や偏見やデマ」が社会に混乱をもたらしました。
 
 『HONZ』は、時代に求められ、ここまで13年間続いてきたのだな、とも思います。


 僕自身が関わったインターネットやブログサービス、ネット上の文章メインのサイトにも栄枯盛衰があって、いまのインターネットネイティブの若者たちは、『侍魂』とか『ろじっくぱらだいす』とか知らないんじゃないかな。
(念のために言及しておきますが『ろじぱら』はまだ現役で絶賛更新中です!)

logipara.com

 
 今やワイドショーのコメンテーターとしてSNSでバッシングされることもある眞鍋かをりさんが、「ブログの女王」としてブログ黎明期に絶大な人気を誇り、書籍化もされてベストセラーになっていたことも。

www.itmedia.co.jp


 2010年代、スマートフォンが劇的に普及したこともあり(iPhone3Gは2008年7月発売)、mixiからTwitter(現在は『X』)、インスタグラム、facebookなどのSNSや、YouTubeニコニコ動画TikTokなどの動画サービスがユーザー間の情報のやりとりの「主流」となっていきました。


 そういえば、こんな話も書いたことがあります。

fujipon.hatenablog.com

 やっている側からすれば、同じ人間が同じように書いているのに、ネット人口は増えているのになあ……と愚痴を言いたいところではあるのですが、客観的に考えてみると「個人ブログをわざわざ開いて読む」「しかもそこそこ長い」というのは、2021年のインターネットでは、かなり敷居が高いというのもあると思います。
 まあ、飽きるよね、読むほうも書くほうも。

 「気になったらもう自分で読むから、タイトルだけ挙げてくれ」あるいは「読むことそのものがめんどくさいから、全部あらすじを教えてくれ」という人が増えるのもわかります。世の中には「タダもしくはタダ同然で読める文章」が溢れているし、ハズレを引きたくはないよね。他にやることもたくさんあるし。「話すときのネタにできるような『みんなが読んでいる本』がいい」というのもありそう。

 大勢の人に「届ける」「読んでもらう」って、本当に難しいんですよ。
 そんななかで、これだけ多くの人に認知されることに成功した「けんご」さんと、あのTikTokの動画をみて、「あんなのでいいのか?」と言いたくなる古参なのは僕も同じです。
 でも、時代の流れを考えると、「ああいう伝え方だからこそ、みんなが観てくれる」のだよなあ。


 このエントリ、僕が書いたものの中では、かなり批判されたもののひとつなのですが、いまブックマークコメントを読み返してみても、憂鬱になってきました。

b.hatena.ne.jp

 「発信」すればいろんな反応があるのは自然の摂理だし、理解できないものに迎合して生きるほどの余命もないので、仕方ないんだけれど。

 
 動画やTikTokの「本の紹介」でさえ、この数年はムーブメントを起こすのは難しい時代になっていると感じます。
 というか、結局のところ、21世紀になろうが、ネット社会になろうが、読む人、読みたい人は読むし、そうでない人は読まない。
 そして、本好きにとっては読書は正しいし、向いていない、好きになれない人にとっては苦行でしかない。

 とはいえ、SNSなどで活字を読む機会は増えているし、あらためて「国語力」が問われる時代にもなっている。
 中学受験塾の受け売りみたいになっていますが、「書いてあることをそのまま読み取れる能力」をみんなが持っているわけではない。


fujipon.hatenadiary.com


 ブログの長文の本の紹介を読むのは敷居が高い。
 そう思っているうちに、いつのまにか、YouTubeTikTokの短い動画すら「なんか面倒」になってきている。

 それは読む側が劣化したというより、あまりにも情報が多く、流れが早くなりすぎていて、じっくりとなにか一つのことをするのが、なんだかもどかしくなってきているのかもしれません。

 昔はブックマークからお気に入りのサイトやブログに行って、更新されていれば読む、というのが定番だったけれど、いま、わざわざブックマークから、あるいは検索してどこかのサイトやブログに行く人は、少ないはず。
 SNSなどで話題になっていれば、X経由で、そのエントリだけ読む、という人はいそうです。
 でも、実際はXからリンクされている文章をわざわざ読みに行く人は少ない。がっかりするほど少ない。書き手もそれがわかっているので、Xだけで完結するように書かれることが多くなりました。
 その結果、Xには短い文で読み手を怒らせたり苛立たせたり揶揄したり感動させたり、人の感情をわかりやすく揺さぶるポストが溢れています。
 大概の物事は、一方からの主張だけで判断するのは難しいのに。


 ああ、なんかまた脱線してしまった。だから読まれないんだよな、みんな忙しいのに。

 
 僕は最近、『本の雑誌』を、また読むようになりました。『ダ・ヴィンチ』は華やかすぎる。
 インターネットが、『HONZ』のようなサイトがあれば、もう、紙媒体の書評や本の感想なんて商売にならないのではないか、と一時期思っていたのだけれど、どうしても広告案件が入ってきたり、本の紹介の内容よりも書評家推し、みたいに感じられたりするなかで、『本の雑誌』のあの無骨さというか、ブレなさはすごいな、と思うようになりました。
 『本の雑誌』には、本が好きでしかたがない人たちがいて、自分が好きな本のことを語り続けている。


 インターネットはある意味、「メジャー」になりすぎたのかもしれません。

fujipon.hatenadiary.com

 この「中高年のお仕事日記シリーズ」とか、インターネット黎明期であれば、テキスト系サイトのコンテンツとして、それなりに読まれていたのではないか、という気がするのです。
 25年前のインターネットは、まさに「王様の耳はロバの耳!」と叫びたい人たちにとっての木の空洞だった。

 ところが、2024年に同じことをやれば、職業上の経験を語れば身元を特定され、関係者や野次馬が出てきて大バッシングされるリスクが大きい。
 むしろ、「本のほうが、ネットに書くより安全性が高い」とも言えます。

 お金を払わなくてはならないからこそ、本を入手するという「ひと手間」が要るからこそ、「本当に興味がある人」「ちゃんと読もうとする人」しか、読まない。
 現実には「今の世の中で、お金を払ってまで読もうと思われるようなコンテンツを作るのは、絶望的なほど難しい」のですが。
 お金だけでなく、時間を使ってもらうのも、かなりハードルが上がっています。
 僕もけっこうダラダラとニュースサイトやYouTubeを惰性で見ていて、「時間がもったいないなあ」と自分では思っているのですが、なんのかんの言っても「それがいちばんラクだし、リラックスできている時間になっている」のも事実なんだよなあ。

 人は、結局、「自分がやりたいことを、やりたいようにやっている」だけなのかもしれませんね。


fujipon.hatenadiary.com


HONZ』が更新を終えてしまうのは寂しいけれど、メンバーは個人としてこれからも活動を続けていかれる、とのことですし、こうして、惜しまれながら、ちゃんと「終わり」を全うしたのは、なんだか羨ましくもあるのです。

 インターネットは、「さよなら」を告げずにいなくなる人が、とても多いところだから。


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