いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ドクター・キリコの性別改変問題」について

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冒頭の記事には、こう書かれています。

さらに波紋を広げているのは、6月20日朝日新聞に掲載された番組プロデューサーの飯田サヤカさんのインタビュー記事だ。

キリコについて「なぜ自分で自分の死を決めてはいけないのか。いまだ答えの決まらぬ重い問いを、キリコは理路整然と突きつけ、BJのエゴを暴いてしまう。このドラマにも、絶対にいなくてはいけない存在だった」とした上で、キャラクターを女性に変更した理由をこう説明した。

「調べてみると、海外で安楽死をサポートする団体には、なぜか女性の姿が多い印象があった。脚本の森下佳子さんと相談しているうち、『優しい女神』のような存在が、苦しむ人のそばにいて死へと導くのかもしれない、と想像するようになった」

この記事がXで拡散され、困惑する声が相次いだことで、「原作改変」がトレンド入りする騒動となっている。


 個人的には、渚カヲルドクター・キリコは「登場頻度・時間は少ないのに、視聴者・読者および社会的な認知度がものすごく高いキャラの二台巨頭」なんですよね。

 今回の「女性への改変」については、「テレビドラマとして、メインキャストに成人女性を入れたかったんだろうな(これを書いていたら「ピノコもう大人なんだから!」という言葉が頭に浮かんできましたが)、というのと、やっていることは正反対なのに、なんだかお互いに腐れ縁みたいなものを感じて補完し合っている2人の男、というブラック・ジャック(BJ)とドクター・キリコの設定が好きだったのに!という残念さが入り混じっています。

 メインキャストの性別変更という原作改変では、万城目学さんの『鹿男あをによし』が実写ドラマ化された際に、主人公が玉木宏さん、その後輩が原作では男性だったのが、綾瀬はるかさんが演じる女性に変更されていたのを僕は思い出します。
 多部未華子さん目力強いなあ、とか思いながら観ていたこのドラマ、「原作改変」ではありましたが、僕はけっこう好きでした。単に綾瀬さんの好感度が高かっただけなのかもしれませんが。

 原作改変については、厳しい見方がされることが多くなっているのですが、個人的には、それぞれのファンが抱いている「理想の原作」と同じものは作れないし、本人に似ている競争になっているハリウッドの伝記映画も「なら、ドキュメンタリーで良くない?」とも思うのです。
 より多くの、コアなファン以外の目にも触れるであろうテレビドラマ的には、性別のバランスをとりたい、というのもわかります。
 演出でいえば、大ヒットドラマ『半沢直樹』シリーズだって、原作通りというより、登場人物の顔芸競争というか、オーバーアクト気味ではあり、それを視聴者も楽しんでいる、というように見えるのです。

 視聴率は取れるものなら取りたいだろうし、テレビ局は「原作を再現する」ためにテレビドラマ化するわけではなく、「たくさんの人に観てもらい、広告料を稼ぐ」ために番組をつくっている。

 『ブラック・ジャック』については、手塚治虫先生の代表作であり、これまでもマンガだけではなく、アニメ化(これは良作)、実写化(は、かなり微妙な出来ではありますが)など、さまざまなメディアで何度も取りあげられており、『ヤング・ブラックジャック』や『ブラックジャック創作秘話』などの派生作品も人気を博しています。
 ライトノベルだったら、ドクター・キリコが主役のスピンオフ作品とかも出ていたのではなかろうか。
 ここまで世の中に知られている作品であるならば、そして少し古い時代に描かれたものであれば、原作通りにこだわって敷居の高いコンテンツになってしまうよりは、テレビドラマ化によって新たに興味を持ってくれる人が出てきて、原作に触れてもらいたい、とも思うのです。


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 ドクター・キリコって、敵役、ではあるのだけれど、医者なのに、なぜ「人殺し」をするのか、と問われたキリコが、「おじさんは、もともと軍医でね。戦場で、たくさんの死にたくても死ねない人たちを見てきた……」と語るシーンは、今でもその苦しんでいる兵士たちの画とともに忘れられません。

 キリコって、「死が救いになる人や状況も存在する」という価値観に基づいた、冷徹な人、というイメージがあるのです。
 それと同時に、誤って薬を飲んでしまって、生命の危機に陥ったクライアント(キリコの場合「患者」と言うかどうか悩ましいので)をブラック・ジャックがギリギリで救命した際に「俺だって医者のはしくれだ。治せるものなら治したい」と述懐したシーンはとても印象に残っています。

 「なんでも助けてしまう」BJではありますが、それでも、さまざまな要因で命を救えないこともあるのです。
 そんなとき、BJを嘲笑したり、医学の無力さに、ともに頭を抱えたり。
 『ブラック・ジャック』の名ゼリフの回には、高頻度にドクター・キリコがいました。



 ドクター・キリコが女性というのは、マンガからずっと読んできた僕にとっては、やっぱり違和感があります。
 改変の理由も強引ではありますが、それ以上に、「男性のドクター・キリコ」をずっと見てきたから。
 戦場で軍医をやっていて、というのは、日本でない架空の国にすれば、女性の軍医だっているでしょうし、これからの時代は珍しい存在ではなくなりそうですが。

 ドクター・キリコって、病的なところがあって「ピュアな善意で安楽死をやっている」というよりは、「戦場で自分も地獄を見て、安楽死執行依存症みたいになってしまい、そんな自分を持て余している」ように僕には見えていました。自分の罪ではないはずだけれど、「罪の意識」に駆られて、「いま、こうして生きている自分」に原罪的なものを感じている。
 安楽死は善、だと信じきってはいない、でも、そういうグレーゾーンだからこそ、自分のような人間が引き受けるべきだと。
「女神」とは程遠い存在なのだけれど、そこが魅力でもある。


 ドクター・キリコが「女性化」されるっていうのも、僕にとっては「歴史の長いコンテンツだし、今回はそういうアプローチなんだな」という感じでもあるのです。

「優しい女神」とか「安楽死に携わるのは女性が多い」とか「ちゃんとした理由」を強引につけようとするから「炎上」してしまうのかもしれません。

 「テレビドラマとして『新鮮さ』とか『登場人物の性別のバランス』を考え、視聴率を上げるために、関係者の了解を得て変えました」とアナウンスすれば、多くの原作ファンは「まあ、しょうがないね、1回観てみて、つまらなかったらアニメ観直すよ」で終わりそう。

 手塚先生の作品の巻末には「現代からみると差別的な表現も含まれていますが、描かれた時代背景もあり、そのままの表現を残しています」というような注意書きがあります。
 長年読み継がれてきた作品だからこそ受ける「歴史の洗礼」なのでしょうけど、先日『ブラック・ジャック展』に行って、原作をあらためて読み直してみると、やっぱり面白かった。今読んでも引き込まれるし、僕も医者になればよかった!と『ブラック・ジャック』を読むたびに思います。そして、じゃあ今の自分は、結局なんなんだろうな、と。
 現実の人生なんて、夢みたいなものですね。
 
 加山雄三さん主演のブラック・ジャックのテレビドラマをリアルタイムで観たときの衝撃を思うと「今回はそういう世界線なのか」くらいかな。


 ちなみに、「安楽死」については、以下のエントリを読んでいただければ、と思っています。
 安楽死を過剰に「美化」するようなドラマにはなってほしくないし、そうなったら、僕にとっては「許しがたい原作改変」になりそうです。


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