いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

東日本大震災から9年。あのとき思っていたこと、そして、いま思っていること。

 
 今日で、東日本大震災から9年になりました。
 新型コロナウイルスの感染予防のため、大人数が集まっての慰霊の行事などは中止となっていますが、9年前のあの日のことは忘れられません。
 ずっと九州に住んでいる僕は、直接の被害を受けたわけではなくて、あの日の昼下がりに「大きな地震があった」という速報をスマートフォンで見て、「大丈夫かな」と思いつつ、夕方から勉強会に普通に出席して、帰宅後テレビを観て驚愕したのです。
 これから日本はどうなるのだろう、というのと、いま自分が住んでいる場所では、ふだんとあまり変化のない「日常」が続いていることにすごく不思議な気分になり、自分や周りの人の命や健康が守られるのであれば、財産なんて全部なくなってしまったもいい、と本気で思っていました。

 このブログは、2011年の11月からはじまっているので、震災に関することはあまり書いていないのですが、もうひとつの『琥珀色の戯言』のほうには、あの震災のとき、自分の不安にまかせて、いろんなことを書きました。

 あれから9年。喉元過ぎれば熱さを忘る、と言いますが、本当にそうだよなあ、と感じます。
 忘れる、というのは、つらいことを引きずらないための、大事な機能ではあるのだけれども。

 今日は、あの時期に書いたものをいくつか再掲してみます。


fujipon.hatenadiary.com
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 あの9年前の焦燥、みたいなものは、9年経ってみると、なんだかもう他人事のようになってしまっているのです。
 「風化させてはいけない」
 でも、実際に受けた被害が少ないほど、「風化させない」ことは、難しくなっていく。

 れから9年、新型コロナウイルスに関しても、やっぱりSNSでデマは飛び交っているし、ウイルスの蔓延を自分が嫌いな他者に結びつけようとしたり、差別を助長する理由にしたりしている人はいます。
 この9年間で、通信環境は良くなったし、スマートフォンの性能も上がったけれど、それを使う人間はどうなのか。
 その一方で、『FACTFULLNESS』で語られているように、人類全体の幸福度は上がっているし、SNSのおかげで新しい生き方を見つけたり、救われたりしている人もいる。

 最後に、東日本大震災関連で、僕が読んでよかった、と思ったものを紹介しておきます(一部ですが)。
fujipon.hatenablog.com


3.11東日本大震災~君と見た風景~

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想像ラジオ (河出文庫)

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