「こんな生活で、生きている意味、あるのかなあ……」と僕もずっと思いながら、40代を過ごし、もう50歳も過ぎてしまいました。
なんというか、ずっと、異世界転生できなかった「なろう小説」の主人公みたいな感じです。
若い頃の自分が、こんな未来を知ったら、きっと絶望したと思う。
振り返ってみると、僕は若い頃からずっと絶望し続けていて、その都度、テレビゲームやマイコンに出会ったり、ネットでものを書いたり、家族ができたりして、なんとかここまで続けてきただけなのかもしれません。
能動的に「生きる意味」を感じていたというよりは、生きていればときどき良いこともあったので、積極的に死を選ぶほどの衝動が起きなかった。
正直、30代くらいまでは、目の前の仕事や「やらなければならないこと」をやり過ごすのに精一杯で、「生きる意味」とか、あまり考えたこともなかったのです。生きる意味より、明日のカンファレンスで、いかに集中砲火を浴びないようにするか。子どもの送り迎えに遅れないか。
40代になって、自分の仕事や社会的な役割での「天井」を意識せざるを得なくなって、けっこう長い間、低空飛行を続けていました。
ネットでも、何度も「そういう感覚」について書いています。
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
今は「乗り越えた」というよりは、「わざわざ積極的に死のうとしなくても、どうせそのうち終わってしまう年齢なんだから、なるべく日々を楽しく、機嫌よく過ごせるようにしよう」と意識するようになりました。あとは、次の世代がなるべくストレスが少なくやっていけるような「地ならし」みたいなものをやっていくように心がけています。
年を取ると、そういう「他人のための雪かき」みたいなものが、案外、気持ちよくなってくるのです。
「やりたくないことは、極力やらない」ようにもなりました。
「やりたくないけれど、絶対にやらなければならないこと」というのは、残念ながら少なからずあるのですけど。
あと、最近心がけていることは「いちばんやりたいことからやる」。
僕はずっと「好きな食べ物は最後に残しておく派」だったのですが、「これは楽しみにとっておこう」としたものは、かなりの高確率で、そのまま塩漬けになり、接するタイミングを失ってしまうことが多かったのです。
だから、もう、「いつ死ぬかわからないから、いちばんやりたいことは、今やる。後回しにしない」ことに決めています。
いや、実際は「決めている」つもりで、やっぱり明日が休みの日に……となりがちなのですが、それでも、自分の決め事として。
毎月、税金とか学費とか保険とか公共料金とかマンションの管理費とかいろんなコンテンツのサブスク代とか、こんなボロボロになって働いて、稼いだお金を誰かに差し出し続けるための無限ATMになっていることにうんざりもしています。お金はただ自分を通り過ぎていくだけ。まあでも、こうして生きているだけで、自分にお金は残らなくても「経済を回している」のも事実ではあります。もう、あんまり買いたいものはないし、欲しいものはお金では買えないか、買おうにも手が届かないものばかり。
そうそう、子どもが美味しそうに食べている顔を見るのは好きだな。自分が美味しいものを食べるより、ずっといい。
ホームランを打てる打者ではないので、なんとかきっちり送りバントを決めたい。
『モンキー・ビジネス』という翻訳家の柴田元幸さんが主宰されていた雑誌に、こんな特集記事があったんですよ。
内容紹介
人生の意味
あれば幸福か
なければ不幸か
人生に意味はありますか?21人の回答
(回答者)石川美南/岩松了/内田樹/大竹昭子/小田嶋隆/春日武彦/岸田秀/木田元/栗田有起/佐藤雅彦/塩川徹也/釈徹宗/しりあがり寿/谷川俊太郎/長島有里枝/奈良美智/西岡兄妹/福岡伸一/宮田珠己/森達也/ユアグロー
この号は「人生の意味号」と題されており、冒頭に「人生に意味はあるでしょうか。──モンキービジネスからの質問」への21人の識者の「答え」が掲載されていました。
(ちなみに、その他にも「人生の意味」関連の高橋源一郎さんの作品や翻訳小説、鼎談などが載っています)
21人それぞれが「その人らしい」回答をしているのですが、中には「うーん、なんか言葉遊びでごまかされちゃった気分だなあ」と感じる回答もありました。
そういったものも含めて、とても面白い特集ではあったんですけどね。
内田樹
もちろんこのような質問は「正解」を求めて発しているわけではありません。
質問の含意は「あなたさ、たぶん『人生には意味がある』と無反省に思って暮らしているんだろうけどさ、ほんとにあなたの人生に意味なんかあるの? つまんない仕事して、不機嫌な家族と暮らして、定期預金の残高ながめて、それのどこが楽しいの?」というような、まあかなり挑発的なものであります。
谷川俊太郎
意味があると答えても、意味はないと答えても、意味が生じてしまいます。人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは「……」とでも言うしかありません。
小田嶋隆
人生に意味はあるのか、と?
さあね。人それぞれなんじゃないの?
つまり、「人生」といったような曖昧な言葉を使っている限り、答えは出ないということだ。設問を変えた方が良い。
「私の人生に意味はあるのか」
と、より具体的に、より個人的に考えるべきだ。そうすれば、答えに近づくことができる。かもしれない。うまく行けば。
ちなみに、僕は宮田珠己さんの回答がいちばん好きでした。
僕自身は、「ちょっとした快楽(面白い本やゲーム、子どもの成長を感じる瞬間)」を感じるために生きているし、「人生には意味はないかもしれないが、人生の中で起こる物事には、それなりの意味がある」という感じです。
僕は「目の前の人間にはあまり興味を持てないが、人類の歴史にはすごく惹かれる」ので、手塚治虫の『火の鳥』みたいになって、個人の煩悩を超越して、人類史を俯瞰できれば、大満足なのですが、現実的にはそうもいかない。
死んだこともないので、死んだらどうなるかもわからないし、というか、たぶん「何もなくなる」だけだとは思うのだけど、それはやはり怖くもあります。
もうひとつ思うのは、結局、人間というのは、現時点ですでに「自分がやりたいことをやっている」のです。
東出昌大さんが、不倫の末に杏さんと離婚し、今回、狩猟生活で知り合った若い女性と再婚したじゃないですか。
ネットニュースのコメント欄には「子供たちのために再婚はしない」とつい最近言っていたのに!」とか、「やりたい放題のロクでもない男」みたいな反応がたくさんありました。
でも、50歳を過ぎた僕は、ああ、これは『月と6ペンス』だな、と思ったし、こんなふうに他人に何を言われても、自分がやりたいように、やるべきことをやれる人というのは、羨ましくもあったのです。ここまでやれるのなら、「潔い」な、とも。
この小説を初めて読んだとき、ストリックランドって、なんてひどいやつなんだ!と憤ったのです。
でも、今は「ストリックランドも、こういうふうにしか生きられない人間だったのだろうな」としか思えない。
結局、人というのは、自分ができる範囲でやりたいことをやっているだけで、僕が人生で冒険もハメを外すこともできないのは、「そういうふうにできている」からではないのだろうか。
実際、本当にいろんなものを捨てたり失ったり、世間からバッシングされるリスクを受け入れられれば(あるいは、気にしないのならば)、「本当にできないこと」なんて、そんなにたくさんは無い。そりゃ、大谷翔平選手の代わりはできないけどさ。
世の中の「心や精神の問題」だと思われていることのなかには、その本当の原因が「体力や体調の問題」にあるものって、けっこうあると思うんですよ。
寝不足だったり、疲れていたりしても「平常心」でいられる人間はそんなに多くない。
そして、「サブカル者」は、乱れた生活習慣を中年になっても引きずっていることが少なくありません。
この本のなかには、「批判や中傷をどんなふうに感じているのか、あるいはやり過ごしているのか?」という質問がいくつか出てきます。
それに対する村上春樹さんの答えのひとつが、これでした。
こんなことを言うとあるいはまた馬鹿にされるかもしれませんが、規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。本当ですよ。だから僕はなるだけ規則正しく生きようと努力しています。朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。それでいろんなことはだいたいうまくいくみたいです。試してみてください。
村上さんみたいにストイックな生活をしたり、フルマラソンに出たりするのはあまりにも極端な例かもしれないけれど、村上さんは、しばしば「長篇小説を書き続けるのには、体力が必要だ」と仰っているんですよね。
僕自身の話ばかりで申し訳ないのですが、僕も、(これまでの中年期で)いちばんきつい時期、40代後半から50代前半を耐えてこられたのは、『Fit Boxing2』で定期的に(2日に1回くらい)体を動かすようになったのと、睡眠導入剤で入眠時間を安定させるようにしたおかげではないか、と、今のところ思っています。
「心の問題」だと思われることの多くは、身体的な要因と結びついている。
いつものごとく、とりとめのない話になってしまいましたが、
「人生に意味はあるか→即座に有酸素運動」が、もしかしたら、いちばん現実的な解決に近いのかもしれませんね。