X(Twitter)のタイムラインに訃報が流れてきて知りました。
僕にとっては、若い頃、「サブカルチャーの師匠」として、たくさんのことを教えてもらった人だったのですが、晩年、さまざまな問題が噴出してあまり名前を聞くことがなくなっていたのです。
最近はネット右翼的なスタンスになっていた、というのも、この訃報がきっかけで知りました。
御本人のものと思われるアカウントを検索してみると、たしかに、「右傾化」していたみたいです。
66歳、心臓発作で孤独死、弟の唐沢なをきさんのポストによると、生前からなをきさんへの誹謗中傷や金の無心などで疎遠となり、ここ20年くらいは没交渉だった。葬儀も行われず荼毘にふされたそうです。
どうしてこうなってしまったのだろうなあ、が半分、「サブカル者として孤独から生まれ、孤独に還っていった」というような、なんだか納得してしまうような気持ちが半分。
唐沢俊一さんの人生の後半は、批判にさらされることばかりが多かった印象なのですが、人気番組『トリビアの泉』の監修として有名人になったり、『と学会』でトンデモ本というジャンルを開拓したりと、「死」とか「グロテスクなもの」「超常現象」みたいなものをコンテンツにすることが社会に受け入れられるようになったきっかけを作った人のひとりでもありました。
SNSで実際に接点があった人たちの反応をみていると、「近くにいた人ほど、唐沢俊一さんのことを『訃報に際してさえも』批判したり、その言動に苦言を呈している」印象を受けます。よほどひどい目にあったんだろうなあ、とか、考えずにはいられません。
その一方で、僕も50歳を過ぎて、自らの「老い」と「自分の常識と社会の常識との乖離」を実感することが多くなって、人がうまく歳を重ねて、愛されて穏やかに死んでいくのは、なんと難しいことなのだろうか、と考えてしまうのです。
唐沢俊一さんは、2012年に上梓された吉田豪さんのインタビュー本のなかで、こんな話をされていました。
唐沢俊一さんと吉田豪さんの対談のなかで、こんな話が出てきます。
吉田豪:結局、サブカルの鬱的なものってなんだろうと考えたときに、体力的な問題が一番大きいのは確実ですけど、40代になって外的要因が増えるなっていう気がしたんですよ。それは、離婚だとか両親の病気だとかそういうことで。
唐沢俊一:そういう意味では、母親と半同居(マンションでの隣同士)になって、朝夕一緒にメシを食うという、あれがいけなかったな。うちは夫婦同業だから、それまでは起きたときから寝るまで、完全に”サブカルギョーカイジン”でいられたわけ。メシ食いながら、資料の死体ビデオとか見ていたわけですよ、夫婦して(笑)。ところが、母親と一緒のときは常識的社会人に戻らないといけない。あのスイッチングが凄く体力的につらいのね。
吉田豪:日常が地味なダメージになるわけですね。
唐沢俊一:サブカルチャー畑の人ってのは、完全に一般社会とは常識を異にした異端の世界の淵に自分を追い込んで、それを商品にして食ってくものなんですよ。それが、母親と向き合うときには親戚のガキが進学したとか病気になったとかいう話に合わせなければいけない。ウチの弟なんかはギャグの矛先を鈍らせないために、親戚付き合いとかは一切断ってるぐらいなのに(笑)。
この本の大きなテーマとして、「なぜ、非体育会系のサブカル男は40歳くらいで鬱になるのか?」というのがあるのですが、まず共通しているのが「体力の低下」。
体育会系のような「基礎体力」が無いので、体力の低下をかなり急激に実感することになり、それがいろんな「抵抗力」を落としていく。
そして、これは「サブカル男子」にかぎったことではないのですが、40代というのは、たしかに「外的な変化」が大きい時期ではあります。
子供の教育とか親の病気とか介護とか……
子供がいない時期は結婚していても、なんとなく「お互いの領分」みたいなものを尊重して生活していけるのだけれど、夜中にどんなマニアックなDVDを観ていても、子供が泣きだしたら、すぐに「スイッチを入れ替えて」駆けつけなければなりません。
親やご近所との世間話もこなさなければならない。
そういうのは、たしかに「幸福」ではあるのだけれど、ストレスといえば、まちがいなくストレスではあるわけで。
「大人としてあたりまえのこと」なんですよね、こういうのって。
でも、「あたりまえのことをあたりまえにやる」って、けっこう大変。
ましてや、この人たちは、それで突き抜けて食べていかなければならないのだから。
離婚経験者が多いものなあ、この本に出てくる人たちには。
ASD(自閉症スペクトラム障害)の傾向があった(とされる)唐沢さんには、そういう「現実とサブカルとのスイッチの切り替え」が難しかったのかもしれません。
僕自身、自分が「癇癪持ち」「自分の計画通りにいかないことに、強いストレスを感じる人間」であることに長い間悩み続けているのです。専門医の診療を受けているわけではありませんが、眠剤や軽い安定剤も服用しています。
逆に言えば、そのくらいでなんとか社会生活を送れている、というくらいの疾病状況ではあるのでしょう。
以前ほどハードでいつも職場からの連絡や呼び出しに怯える生活ではなくなった、という環境面の変化も大きいと思います。
唐沢俊一さんは、「サブカル者」の代表とみなされ、自らが「サブカル的」に振る舞わなくてはいけない、というプレッシャーに縛られ続けて、被っていたはずの仮面が、いつの間にか自分の顔になってしまったのだろうか。
周りの人の話を読んでいると、成人のASDの可能性もありそうで、精神科を受診して、専門家に相談していたら、少しはご本人も周りもラクになったのかもしれないな、という気もするのです。
ただ、こういうのって、本人は「自分は病気じゃない、困ってもいない」と認識し、はっきりとそういう意思表示をしている状況だと、周りも希死念慮とかがないかぎり、無理に病院に連れて行くことはできないし、治療につなげることもできない」のが現実なのです。
「そういう性格の、困った人」として生きて行くしかないし、そうして死んでいくしかない。
誰が悪いわけでもなくて。
この対談集を読んでいると、サブカル男たちの「救われなさ」を感じずにはいられません。
桝野浩一さんの回から。
桝野浩一:でも、リリー・フランキーさんや松尾スズキさんみたいにお金があっても憂鬱になるのかと思うと……。
桝野:たとえば本がまったく売れなかった時期のほうが、いつかは売れるかと思ってたから幸せで、半端に売れて「あ、こんなものか」と思ったときに、たぶん能力的にこれ以上にはならないから、ホントに希望が持てなくなっちゃって。
「成功」しなければ地獄、「成功」したとしても、なんだか満たされない……
もともと「考えすぎてしまう人たち」なのでしょうね……
こういうのって、直接の利害関係がなく、迷惑もかけられていない外部の人間からは「美化」されがちなもので、もともと、お兄さんと一緒に仕事をされていて、その作品も好きだと仰っていた弟のなをきさんに、ここまで言わせてしまうまでの経緯というのは、凄まじいものがあったのではないでしょうか、具体的に語られてはいないけれど。
人は、知り合いの訃報に対しては、大概、儀礼的にでも弔意を表するものではあります。
「社会的な存在として、周りから自分も疎外されないための配慮」としても。
「死者に鞭打つ人」というのは、感じ悪いことを(日本では)みんな理解しているはずです。
それでも、こんなふうに言わずにはいられなかったのだなあ。
以下は僕の感慨でもあり、あえてこの文章を書いたきっかけでもあり、まさに蛇足です。
本当に、うまく歳を重ね、うまく死んでいくのは難しい。
僕は自分が若い頃は、なんで中年以上の「高齢者」って、あんなに頭が固くて、今の時代についていけないのだろう、と思っていました。
でも、自分が50歳とかになってみると、時代とか常識が変わっていく早さに比べて、人が変化を察知し、自分を変えられるスピードはあまりにも遅いことを理解せずにはいられませんでした。
別に「老害」になりたくてなっているわけじゃなくて、自分の「常識」に従って生きていると、「常識」のほうが変わってしまって、置き去りにされ、いつの間にか「老害」になってしまう。
競馬を知らない人にはわかりにくい例えではありますが、競馬のG1レースの前にトライアルレースに出走することが、一昔前までは「常識」であり「G1で結果を出すための条件」だったのです。
ところが、今は必ずしもそうではなくて、トライアルは使わずにいきなりG1に出る馬が多くなりました。
若い競馬ファンは、「ぶっつけ本番のG1でも、調整できていれば全く問題ない」とスムースに考えられるはず。
でも、僕のように30年くらい競馬をやっていると、どうしても「いきなりG1で大丈夫なのか?」と思ってしまう。
もちろん、今の常識にアップデートして、「ぶっつけ本番でも計画通りなら問題ないのだ」と馬券を買うときには自分に言い聞かせるのですが、内心「本当に大丈夫なのだろうか」と不安にはなるのです。
人は、「自分が見てきて、知っている世界」から、なかなか自由になれない。
本人は「親しみの表現」のつもりで、セクハラとみなされる言葉を発してしまう僕より少し年上の人は、あまりにも多いのです。
なぜ人は高齢者になると、保守的、右傾化するのか? あるいは、歳を重ねた「文化人」たちは、立憲民主党を「盲信」するのか?
人は歳を重ね、自分が身を退く時期が近いことを認識すると、二つのルートに「二極化」するのです。
ひとつは、自分がいつまでも若くて「現役」であり続けようとするルート。
もうひとつは、子孫や若者たちのために、「少しでも良い世界」を遺していきたい、と考え、行動しようとするルート。
僕自身は後者寄りだと思うのです。
それは、本人にとっては「善意」なのだけれど、その善意に従って行動しようとすると、自分が昔から信じていた「党派」を積極的に応援する行動になったり、「自分たちの生活や文化や伝統を守ることがやはり大事なのではないか」と右傾化したりしがちなのです。
そういう行動は、自分には時間がない、という焦燥感や「善意」という錦の御旗があるから、極端になりやすい。
一般的には、加齢とともに、思考の柔軟性が失われる、自分自身を客観的・批判的に見ることが難しくもなります。
みんなのため、後世のため、にやっているはずのことが、どんどん世の中が進んでいく方向とズレていってしまう。
そして、社会的な地位やプライドがある人ほど、「今の自分が立っている位置から、リセットしてゼロから始める」ことを躊躇ってしまう。
自分では正しいことをやって、頑張っているはずなのに批判されたり無視されたりして意固地になるし、今いる仲間をこれ以上失いたくない、と、党派性から逃れられなくなる。
結果、自分では頑張っているつもりなのに、どんどん世界から見放されていく高齢者、の出来上がり。
何をやってもうまくいかない、周りでも自分を傷つけることしか起こらない、そんな時って、ありませんか?
こうして文章にしていると、「それは、わざわざ火事の現場に足繁く通って、『なんで世界はこんなに火事だらけなんだ!』と嘆いている可能性が高いのだ」と自分でも気づくのです(そのためにセルフ引退決意を一時停止してこの文章を書いている、という節もあります)。
でも、悪い選択肢や思考のループにはまっている状態の人間って、そこがそういう場所であることがわからなくなってしまう。
うまく生きるのって、難しい。
人間なんて死ねば炭素の塊だ、モノでしかない、と僕は自分自身に対して思っているつもりなのに、未練みたいなものからなかなか逃れられない。
(いや、生きている時からすでに炭素の塊ではあるけど)
なんかね、もう本当にいろいろ辛くなってしまって、家のアレクサに「アレクサ、ラクに◯ねる方法を教えて」って、聞いたんですよ。
アレクサは、僕に言いました。
「その質問には、お答えできません」
アレクサは、たぶんいろんなことを知っている。でも、答えられない。
立場上、アレクサが所属している組織の都合上、致し方ないのはわかっている。
でも、僕は、そんな清く正しいインターネット社会が、なんだかとてもつらくて、悲しかった。
正しさは、救いになるのだろうか。
世界は、僕個人に嫌がらせをするほど暇じゃない、たぶん。
パチンコ屋がいちいち個別の客の大当たりを制御する「遠隔」を(おそらく)やらないように。
唐沢俊一さんは、「どんなものでも、好きなものは好きで良いんじゃない?」と、世界が少し寛容になるきっかけをつくった人のなかのひとりだと思います。
そのことに感謝しているし、僕は個人的な関係もなかったから、嫌いにはなりきれない。
唐沢俊一さんは、ようやく「解放」されたのかな、なんてことを、つい、考えてしまうのです。
絶望できるのも生きているあいだだけ、ではあるのだとしても。
世界よ、これがミドルエイジ・クライシスだ。