いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「コロナショック」で、「自分は正しい選択ができるという過信」を思い知らされた。


 消費増税新型コロナウイルスによるダブルショックで、世界の経済はとんでもないことになっています。
 イベントは軒並み自粛となり、フランスでは生命にかかわる食料品店や薬局以外は閉店になっているのだとか。
 僕自身も、そういえば、最近、本代くらいしか、まとまったお金を使っていないなあ、と思うのです。
 こうなるともう、何もやる気が起きないというか、なるべくのんびりして、英気を養っておくか、みたいな気分です。
 ……とか思いつつテレビを観ると、山手線の新駅『高輪ゲートウェイ』に何万人もが押し寄せてきていて、結局のところ、みんな「やりたいことは、禁止さえされていなければやりたい」みたいです。卒業式とか歓送迎会とかは「やらなくていいなら、それはそれでいいや」ということなのかもしれません。いまの僕自身の感覚でいえば、卒業式が閑散としているのは寂しいのだけれど、リアルタイムで卒業するときには、練習かったるい、学校行事鬱陶しい、だったものなあ。

 僕は去年の春くらいに、「経済」というものに40代後半にして目覚めて、少しだけ株や投資信託を買って、相場を見ていたのです。経済とか株というのは、やってみるとけっこう面白くて、そのうえ、例の「老後2000万円問題」の影響もあってか、2019年は株価も基本的に右肩上がり。僕の下手くそな運用でも、それなりの利益が出ていて、「株、チョロいじゃん」「多少下がっても、人類の経済は長い目でみれば右肩上がりで成長してきたんだから、じっと待っていればいいだけだしな」と、余裕しゃくしゃくだったんですよ。

 今年(2020年)のはじめ、アメリカとイランが一触即発になった時期、株価が急落して驚いたのですが、あのときは大事には至らず、まあ、東京オリンピックが終わるくらいまでは、株価はそんなにひどいことにはならないだろう、と思っていたんですよ。

 ところが、この「コロナショック」です。
 正確には、コロナだけではなくて、原油価格とか、日本に関しては消費増税の影響とかがあるのですが、連日急落する株価を、僕は何もできずに見ているだけでした。

 なんなんだこれは……
 これまでは、一喜一憂、という感じだったけれど、これでは「ゼロ喜百憂」です。というか、人はあまりにものすごい損をすると、怒りや悲しみよりも、呆気にとられてしまうのだな、と思い知りました。
 むしろ、どこまで株価が下がってひどい目に遭うのか、と期待してしまう自分に呆れてもいる。
 日経平均が2万4000円だったのが、今や17000円ですよ。30%減。僕が何か悪いことをしたんですかっ!って聞きたいけれど、もちろんそんなわけでもなく、相場とはそういうものだ、という声が返ってくるのみです。
 救いといえば、それなりの金額ではあるものの、仮に全部なくなってしまったとしても、すぐに生きていけなくなる、という資金ではないことです。
 いやしかし、座して証券会社の株価を眺めている数分間で、何万円もマイナスになっているというのは、実感がわかない。
 もしこれが目の前に積まれている現金で、そこから数分ごとに、どんどん1万円札が抜き取られていったら、泣き叫ぶのではなかろうか。
 実際は、同じことが起こっているんですけどね。

 どうなるんだこれ。
 証券会社の人や、投資サイトの人は、「こうして安くなったときは、チャンスでもあります!」とか、「リーマンショックも時間はかかったけれど、乗り越えてきた」なんて言うのですが、僕は正直、あまり自信がない。


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 この本のなかに『そごう』の話が出てきます。
 僕が若かりし頃、『そごう』の大型デパートが地元に出店して、すごく盛り上がっていたのを覚えているんですよ。
 その『そごう』は、なぜ倒産したのか?

 そごうがここまで急激に拡大できた背景には、「地価」という要素がありました。そごうは出店予定地周辺をあらかじめ買い占め、出店で地価を上げることで資産を増やします。こうして担保力をつけて黒字化した独立法人が、新しい店舗(独立法人)の債務保証をしながら銀行から資金調達し、そしてまた新たな店舗を作っていく、というサイクルを作っていきました。
 例えば、千葉そごうが軌道に乗ると、今度は千葉そごうが出資して、柏そごうを設立。さらに柏そごうと千葉が共同で札幌そごうなどに出資するという形です。地価が上がっていれば、担保によって銀行から新たな資金を調達することができ、そうして新しい店舗を広げていったのです。
 しかし、このサイクルはいくつかの重大な問題を孕んでいます。
 1つ目は、そごうの独立法人同士が支え合う複雑な形になっていたため、経営の内情がブラックボックスになること。これに水島社長のカリスマ性が合わさって、誰もグループ全体の経営状況を把握できない状況になりました。資金の貸し手である銀行も、そして当の水島社長ですら、正確な全体像を把握していなかったと言われています。各社ともに独立法人であったために、人的交流もなく、数字の基準もバラバラな状態が放置されていました。恐ろしい規模のどんぶり勘定が許されてしまっていたのです。
 そしてもう1つは言うまでもなく、地価が下がった時は全てが逆回転する、ということです。担保価値が低下して銀行が資金提供を止め、資金回収に回る時、この拡大サイクルは一気に「崩壊サイクル」へと転じます。
 地価が上がっていた1989年までは拡大サイクルが回っていましたが、バブルが崩壊してからは全てが逆回転し始めたのです。土地を担保にしていた過去の負債がバブル崩壊以降のそごうに重くのしかかり、金融機関からの圧力も高まります。


 僕はこの『そごう』のエピソードを読んで、「いつまでも同じ手法が通用するっていうのは、考えが甘いなあ」って思っていたのです。
 にもかかわらず、僕は「株価はもう少し上がり続けるはず。僕は正しい時期を判断して売ることができる」という身勝手な思い込みにとらわれて、こんなことになってしまった。
 人というのは、学んだつもりで学んでいない。
 あるいは、学んだことを活かすのは本当に難しい。
 ある程度プラスになった時点で、利益を確定しておけばよかった……というのもあとの祭り。
 ああ、『そごう』もきっとこんな感じで、うまくいかなかった後でも、「土地の値段は上がったり下がったりするものだから、またいずれは上がってくるはず。それまで我慢すれば……」と思っていたのだろうなあ。

 実際のところ、ここまで下がってしまうと、もう塩漬けで買った株のことは忘れてしまおう、と思っているのですが……
 それでも、未来の僕からすれば、「あのときに、とりあえず損切りして現金化しておけば、まだ傷はマシだったのに……」となるかもしれない。
 でも、売ってしまったら、「なんでいちばん安くなるタイミングで売ったんだよバカ!」ってことになりそうな気がする。

 東大とかハーバードとかを卒業した人たちが、知恵を絞っても百戦百勝、とはいかない世界なのだから、僕ごときの浅慮では、どうしようもない。


 あと、こんな話も思い出しました。
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 ネットフリックスの躍進に対して、ブロックバスターもさまざまな改革を打ち出し、オンライン郵送レンタルでも安いプランでネットフリックスを追い詰めます。
 しかしながら、もう少しでネットフリックスの息の根を止められる(あるいは共倒れになる)というところで、ブロックバスターは時代の流れを読み間違ってしまうのです。

 2007年7月30日、キーズはCEOとしての新経営戦略を用意して、幹部社員を対象に研修会を開いた。ダラスより140キロほど南下した場所にある高級リゾートホテルを会場にして、「店舗を再び偉大にする」というテーマを掲げた。彼が描いた戦略によれば、店舗はピザや炭酸飲料などの食品・飲料のほか、携帯音楽プレイヤーのiPodやDVDプレイヤーなど家電製品も扱い、総合エンターテインメント施設になる。
 古参の幹部社員はキーズのプレゼンを聞いてあぜんとした。フィールズとアンティオコも同じような戦略を掲げて大やけどしたというのに、どうかしているのではないか……。
 それ以上に驚きだったのは、キーズがデジタルに明るいどころかまったくの「デジタル音痴」であることだった。
「将来、消費者はブロックバスター店にやって来て、店内のキオスクで映画やゲームソフトを自分のUSBメモリにダウンロードするようになるでしょう。USBメモリの代わりにビデオ再生可能なデバイスにダウンロードしても構いません。こうすれば自宅のブロードバンド回線を使う必要もなくなるのです」
 研修会があまりにもショッキングだったことから、エバンジェリストやシェファード、ザインも含め多数の幹部が証券会社に電話し、持ち株の大半──あるいは持ち株のすべて──を売却するよう指示した。もちろんインサイダー取引にならないように事前に定めた方法に従って、である。


 ネットフリックスがストリーミング配信に先行投資したことが奏効して勝者になったことを知っている僕は、「なんて時代錯誤なんだ、なんでブロックバスターはこんな人に舵取りを任せたんだ……」と呆れるわけです。
 でも、当時は、ストリーミング配信の一般化よりも、こういう発想のほうが理解しやすいと考えた人たちも少なからずいたのです。
 
 勝負の行方とか正しい選択というのは、その場にいる人たちにとっては、わからないものなのです(まあ、ブロックバスターの敗北に関しては、当時の先見の明がある人にはわかったみたいですが)。
 本当は「結果的に勝ったから正しかった」のに、後からそれを学ぶ者たちは「正しいから勝ったのであってその結果は当然のことなのだ」と思い込んでしまう。

 正直、コロナウイルスとか「想定外」だし、反則だろそれ……と言いたくなるのだけれど、その声に応えるものなし。
 ただ、目の前には、マイナスだらけの株価が並んでいるだけです。

 自分は「正解」を選べるなんて思いこまないほうがいい。
 僕はこれだけ「間違った例」を拾い集めてきたのに、乾いた笑いしか出ないくらいの失敗をしてしまった。
 最後は運とか勘でしかないのかもしれない。
 それでも、信用取引をやっていなかったことや、失っても命にかかわるお金ではなかった、という点に関しては、学んできた成果だとは言えるのだろうか。

 世の中には、これで会社が倒産して仕事を失ったり、収入が減って生活が苦しくなったりする人が大勢いるわけで、「命を守るため」ではあるけれど、もしかしたら、「経済で命を落とす人」のほうが多くなりそうな気もする。
 でも、「開き直って、普段通り暮らそう」というわけにもいかないよね。やっぱり、「命がかかっている」となると。

 この「コロナショック」も、後世からは、「なんであんなに大騒ぎしていたんだ」って言われるのだろうな、たぶん。


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