いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

新型コロナウイルスと自粛と沈鬱と差別意識


 新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。
 生命にかかわることであるだけに、みんなが慎重になるのは致し方ないとは思うのだが、それなら子宮頸がんやB型肝炎のワクチンをきちんと接種するようにアナウンスしてほしい、とも考えていた。新型コロナウイルスに対して個人ができることは、不要不急の外出や人混みを避けることと、うがい、手洗いをきちんとやること、食事と休養をしっかりとって体力を落とさないこと、マスクをすることくらいしかない。インフルエンザの流行時とそんなに変わりはないのだ。

 だが、こうして子どもたちの学校が休みになり、さまざまなイベントが休止され、プロ野球や競馬が無観客になってみると、なんというか、「気鬱」というのだろうか、「なんとなく気分が沈んで、何もやる気が起きない」のを実感している。「自粛」しているうちに、何もやる気がおきなくなってしまっている。子供たちは学校が休みになって、外でも遊べなくても、ゲームやYouTube三昧で案外退屈していないようなのだが。

 こうしてブログを書こうとしても、「いま、何を書いても、新型コロナウイルスの前では無力だよなあ……」なんて、ふと考えてしまうし、僕が読者登録している『はてな』のブログも、総じて更新頻度が落ちている。僕のブログに関しては、ただでさえ右肩下がりだったPV(ページビュー)が、ナイアガラの滝のように急降下している。コロナで外出できないから、ゲーム業界やネットはかえって潤うのではないか、と思っていたけれど、そんなことはないのかもしれない。外で遊べないのなら、インドアで楽しもう!という気概のある人というのは案外少なくて、こういうムードになると、「なんか何もしたくないなあ。どんなネットの話題もコロナには敵わないし、だからといって、わざわざコロナのニュースをみて、暗い気分になるのも嫌だし」みたいな感じなのではないか。

 実際、僕自身も今月の支出がかなり減っている。それはそれで歓迎すべきことなのかもしれないが、消費増税などで下がった日本のGDPは、コロナショックでさらに下がると思われる。節約になっていい、と言うけれど、節約というのは人を沈鬱にするのもまた事実だ。糸井重里さんが消費の快楽をうたっていたのは、まさに慧眼だった。


fujipon.hatenadiary.com

糸井重里読者にときどきアンケートをするんですが、「ほぼ日でやってほしいことはなんですか」と聞くと、圧倒的に多いのは「買いもの」で、ほぼ日の中では買いものの占める割合がとても大きい。
 買いものというのは面倒や手間ではなく、実は楽しみなんです。じぶんのポテンシャルの表現であり、自由のシンボルでもある。選挙に近いものがあるんです。「私はこの商品に賛成して、一票を入れるつもりで買います」という感じがどこかにあるのだと思います。だから買いものは「あればうれしい」し、「買うと楽しい」。

 「心の持ちよう」というのはあるのだとしても、いろんなことを我慢するべき、というムードのなかで生きていくのは、けっこうつらいものなのだな、とあらためて感じている。

 あと、マスクをつけて生活していると、いろんな場で見かける「マスクをしていない人」に対して、つい、「あの人はなんでマスクをしていないのか?」「自分がウイルスを拡散する原因になってもいい、と考えている社会性の低い人なのではないか?」と、心のなかで責めてしまっている。いや、どちらかというと、僕が「ちゃんとマスクをしているという優越感に浸っている」と言うべきか。
 これがまた、新型コロナウイルスに感染しても重篤化しにくそうな若い人たちほど、ちゃんとマスクをしていて、罹患したら重症化しそうな高齢者のほうが、危機意識が薄いように見えてくるのだ。
 こういうのは「感覚」でしかなくて、統計学的に有意なわけでもない。にもかかわらず、僕は自分のそんな「優越感」から逃れることができない。
 「自分の生命にかかわる病気」に関することである、という名目があると、人は、けっこう簡単に、「平和なときには自戒し、注意していたはずの差別意識」に身をゆだねてしまう。

www.hokkaido-np.co.jp

 こういうのを読むと、医療従事者としては、本当に気分が沈む。
 純粋に感染拡大を防ぐためであるならば、感染者をどこか一か所に完全に隔離するべきだろうし、もっと突き詰めれば、感染者をみんな焼き殺してしまえばいい。でも、そんなことはしない、絶対にしないというのがわれわれがいま住んでいる社会の「約束」のはずだ。
 感染拡大を防ぎつつ、感染してしまった人たちを最大限救う、という困難な命題に立ち向かっていくのが現代の人間の理性なのだと僕は信じている。

 とかなんだか威勢のいいことを書いてしまったのだが、個人的には株価は大暴落してけっこうな含み損を抱え、無観客ブログを更新する気力もないまま、なんとか生きている、というのが正直なところだ。
 ただ、人生にも社会にも長い歴史のなかではいろんな時期があって、こういうふうに「まずは、自分が最低限やるべきことをやって、穴熊になったつもりで、時間が経つのを待つ」のが最適解なときもあるのだろう、と自分に言い聞かせている。
 これまで、人類すべてを死滅させるような伝染病はなかったし、人類すべてが死ぬような病なら、僕がここでジタバタしてもどうしようもないのだし。


fujipon.hatenablog.com

すいません、ほぼ日の経営。

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