あけましておめでとうございます。
皆様にとって、2018年が良い年になりますよう願っております。
さて、このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現在のブログ情勢と今年の展望」みたいなことを書いているのです。
fujipon.hatenablog.com
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さて、2018年。
Google様の機嫌を損ねてしまったのか、『はてなブログ』のなんらかの仕様の問題なのか、僕自身の「飽き」が伝わってしまっているのか、昨年くらいから、とくに昨年の秋から、僕が書いているブログを読みにきてくれる人が、最盛期(2〜3年前くらい)から、半分くらいに減っています。
僕はかれこれ、15年くらいこうしてブログをやっているわけですが、最初は1日6アクセスとか、自分ひとりしか見ていない、という状況でした。
それを考えると、今でも十分すぎるくらい、ではあるのですが、ブログというのは、ずっと「右肩上がり」で、続けてさえいれば、見にきてくれる人は増えてくるはず、ピークはもっと先にあるはず、だとずっと思い込んでいたんですよね。
それこそ、戦後の高度成長期の日本の人口予測みたいに。
ところが、現実はそうじゃなかった。
SNSで十分、という人が増えてきて、その一方で、文章でお金をもらっていた人たちが書く「無料記事」も充実している、という今の時代は、個人ブログの居場所はどんどん狭くなっているような気がします。
元気なのは、SNS的な使い方をされている「仲間うちで盛り上がるパーティーピーボー系」か、「信者を集めて集金する教祖系」くらい。
まあ、これは当然の話であって、僕がインターネットの創成期に「個人ブログ」で面白いと感じていた「誰にともなく、独り言のように発信された、市井の人々のリアルな生活ぶりや感情」というのは、ネットが一般的になるにつれて、どんどん書きにくくなっていきました。
リスクを考えると、当たり前の話ではあるのだけれど、よそ行きの文章を書くのであれば、そりゃ、無料でプロとアマを並べれば、プロのほうが打率が高いですよね。
個人ブログって、隙あれば何か売りつけようとしてくるところが多いから、あんまり近寄らないほうが良さそうだし。
結局、盛り上がるのは人を苛立たせてPV(ページビュー)を集める炎上系か、それに対するカウンターブログか、あるいは、もう何度も読んだことがある「ライフハック」になってしまって、ブログを読んでいると、心がささくれ立ってくるような気もします。
もちろん、そんなところばかりじゃないのは百も承知なのだけれど。
同じことを繰り返していても、飽きられているのはわかるのだけれど、新しいことを一から始めて立ち上げるのは、あまりにもリスクが高い。
そもそも、(ある程度「読まれる」ことを狙って)新規参入するには、あまりにも既成勢力が強く、レベルが高くなってしまった。
最初の頃のブログって、マイコン時代のカセットテープで供給されていたゲームみたいなもので、自分でつくれるものと、売っているものとそんなに大きな差はなかったのです。
それが、「辞書みたいな厚さのプログラムリストだった」という『ザナドゥ』あたりから、ちょっと素人では、ひとりでは手に負えないものになっていきました。
もちろん、そんななかでも、ひとりの力でアイデアでスマホアプリをヒットさせたり、自力でアニメをつくってしまった新海誠監督のような異能の人は出てくるのですが。
ただ、こういうのは時代の流れであって、こちらが現状維持でしかないのに「なんで見捨てられてしまうんだ……」と嘆いても、どうしようもない。
むしろ、いま、読んでくれる人を大事にしよう、という方向に舵を切るのが、僕にとっては正解ではないかとも思うのです。
ブログって、「読まれなくてもいい」と思えれば、本当に自由な場所なのだから。
今さらなんですが、「ネット疲れ」みたいなものを感じてもいるのです。
ロマン優光さんの『SNSは権力に忠実なバカだらけ』という本のなかに、こんな一節がありました。
昨年の9月に放送されたフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』のスペシャルに、28年ぶりに「保毛尾田保毛男」というキャラクターが登場し、ゲイを差別している、と批判されたことについて、著者はこう述べています。
この件で改めて考えさせられたのが、「お笑い」というものと差別の関係性です。差異を取り上げて笑いにするというのが笑いの1つの大きな要素である以上、笑いと差別は関係性が強いものです。
また、それとは別に、ビートたけしの「人間の持っている醜い欲望、抑制されなければならない心、いわば本音の部分」をあえて見せることで「人間は醜い。たいしたものじゃない。みんなクズだよ」と提示するブラック・ユーモアに溢れた笑いが、「それは本来醜くて滑稽でいけないことなんだよ」という大切な認識が欠けた状態で、「本音を垂れ流せばいい」みたいな浅はかな解釈で世間に広がっていったのではないかということに対しても考えてしまいます。
厳格なポリティカル・コレクトネスを他者に求め、不備を見つけては責める人々がいて、その一方で、「ネットのおかげで、人間は本音で語れるようになった」と差別的な発言を繰り返す人がいる。
前者と後者は別人なのだろうか?
そして、多数派なのだろうか?
他者の綻びを見つけて責めるだけの人が、ネットでは「最強」になってしまっているのではないか?
保毛田保毛男については、僕も今の時代には不適切だと思いますが。
僕は、年齢を重ねるにつれて、「脊髄反射的に、自分の『正しいこと』を相手にぶつけたくなる衝動」が増してきているのを感じるのです。
でもさ、まだ、世の中では「ネット的な正しさ」は通用しない場面だらけだよ。
ネットでは、みんな優しい。
頑張らなくていい、定時に帰ればいい、自由に生きればいい、子どもなんて生まなくてもいい。
ところが、同じネットのなかでも、自由に生きようと言うだけで叩かれる人がいるし、日本の少子化を憂える人も大勢いる。
「がんばらなくていい」というけれど、誰もがんばらなかったら、世の中は回っていくのだろうか?
子どもを持つも持たないも自由だけれど、日本の少子化は問題だ、というのは、矛盾しているのではないか?
2018年、ネットは、ある種の「捌け口」でしかない、ということを再確認する年になるのではないか、と僕は思っています。
ただ、ネットの「双方向性」は、人間やその方向性を変えているというのも、事実ではあるのでしょう。
この本のなかで、こんなやりとりが出てきます。
(うさぎさんから、マツコさんへの手紙)
こないだ、面白い話を聞いたわ。生物って原始の海の中のアメーバみたいなものから進化したわけだけど、もちろん最初は「目」なんかなかったのよね。アメーバに目はないじゃない? 光も届かない深海に住んでりゃ、目なんか必要ないわけよ。
ところが、進化するにつれてだんだん陸に近づいて来て、光を感知する必要ができて、生物は初めて「目」という器官を獲得する。そして、この「目」の獲得が生物に爆発的な進化を促したらしいわ。
でもね、彼らは最初、「目」を「見る」ことにしか使ってなかった。敵を視認したり、餌を見つけたり、そういうことにだけ使ってたわけよ。しかし、ある時、彼らは気づくの。自分が相手を見てるってことは、相手も自分を見てるんだってことに。そう、ここで生物は初めて「見る存在」から「見られる存在」になるのよ。つまり、「自意識」の誕生ってわけ。
そして、どうやらこの「自意識」の発生によって、生物は飛躍的に知能を発達させたらしい。自分が「見られる存在」であることを知った途端に、生物の形が一気に多様化したの。生殖のために、敵の目をくらますために、あるいは餌を惹きつけるために。それだけじゃない。あらゆる行動様式や生活形態も進化した。生物は、そこで「思考する」ようになったのよ。
私にこの話をした生物学者は、それを「知性の誕生」と呼んだわ。自意識の獲得によって、「知能」が「知性」へと進化したんだと。
もっぱら「見る」だけの存在だった頃、生物には「他者」しかいなかった。でも、自分が「見られる」ことを知った時、初めて「自己」を獲得した。すなわち、「自己の発見」こそが思考を促し「知性の発生」へと繋がったわけ。
個人ブログ云々はさておき、ネットのおかげで、多くの人が「自分もまた、他者から見られている」ことを再確認したと思うのです。
外では「旅の恥はかき捨て」みたいな感覚だったのが、知らない人ばかりの場所でも、変な行動をとったら、それがSNSで拡散されるかもしれない、という怖さを持つようになったのです。
それを「相互監視社会」だと解釈することもできるけれど、人間にとっては、新しい「知性」を得るための変化の時期なのかもしれません。
その過渡期として、混乱しているのが「いま」ではなかろうか。
読んでくれる人は少なくても「他者の目を意識して発言・行動する」というのは、間違いなく、人を変えていく。
えらく脱線してしまいましたが、僕は2018年って、これからもネットが「単なる捌け口」でありつづけるのか、「知性の再構築」のための道具となっていくのか、大きな分岐点になる年だと感じています。
『マストドン』の超一過性の大ブームをみると、「もう、これ以上、他人と繋がらなくてもいいよ、という人も多いのだろうな。
美味しいものを食べたり、面白いマンガを読んだりするのも大事だよね。
得ることが可能な情報量は増えても、人の頭の容量も、人生の長さも、20年前とそんなに変わっていないのだし。
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