いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「炎上」しても書き続けるためには、「カネ」か「覚悟」か「惰性・あるいは淋しさ」しかない。


anond.hatelabo.jp


 やっぱりつらいよね、炎上すると。
 ネットの良いところは、世界のどこへ行っても、ネット環境さえあれば、つながりを保てるところにあるのだけれど、逆に言えば、「逃げ場がない」ともいえる。
 ネット環境を離れて、しばらくのんびりする、というのがいちばん良いのだとは思う。
 たいていの不快な感情は、時間が経てば薄まるから。

 あとは、上記のエントリのブックマークコメントにもあるように、そういうコメントをつけた人が、他にどんなコメントをつけているか確認してみる、という手もある。
 触るものをみんな傷つける、あるいは、他者にマウンティングすることしかできないコメンテーターは「ああ、こいつは張りぼてだな」と切り捨ててしまえばいい。
 
 いちばんは、「商業メディアでなければ、最初から他者のコメントは見ないと決めておく」ことではないか、とも思う。
 そういう対応は真摯ではない、と感じる人もいるかもしれないが、多くのブログからコメント欄やトラックバックが失われているという現実をみると『はてな』のようなブログサービスを提供している側でさえ、「読者の御意見」は、書き手にプラスにならない(ことが多い)と認識しているのだ。
 

 僕は20年くらいネットでものを書いているのだけれど、初期はけっこう頻繁に「ウキーッ!」ってなっていた。
 今でも年に1回くらい、そういう発作が起こることはあるけれど、だいぶ落ち着いてきたとは思う。
 なるべく炎症しないようなネタや言い回しを選ぶようになったし、長年やっていると、こいつにはもう何を言っても変わらない、と諦められているところもあるのだろう。
 彼らは、間違っているところを責めているのではなくて、責めやすい相手の、苦痛を感じやすいところを責めているのではないか、という気もする。
 
 基本的には、他者からの反応を「見ない、表示しない、関わらない」ことをおすすめしたい。
 もし炎上して心がささくれ立っているときには、映画でも観るか、ポケモンでもやっていれば、時間はすぐに経つ。あるいは、溜まっている仕事をこなす機会だと思えばいい。
 彼らはあなたが憎いのではない。ただ、火事を見物したいだけだから、飽きればすぐにどこかに行ってしまう。
 大事なのは、炎上しても相手を説得しようとしないことだ。
 それは自分が消耗するだけのこと。
 相手はただ攻撃して憂さ晴らしをしないだけで、理解・納得しようとしているわけではない。
 基本的に、悪口や誹謗中傷というのは、間違っているから書かれるのではなくて、あなたのことを嫌っているから、あるいは、弱っているところを見たいから書かれるのだ。
 お前が生理的に嫌だ、という相手は、説得しようがない。


 要するに「よっぽど変なこと(差別的な内容や他者への攻撃など)を書いていないかぎりは、炎上でGoogle Adsenseで小銭が貯まっていくのを眺めて、他のことをしておく」のが得策ではある。


 言っておきたいのは、「ほとんどの人は、自分にとって普通のことを書いたのに炎上し、『氏ね』とか言われてまでもブログやSNSを続ける理由はない」ということだ。
 よくわからないやつらの悪意のターゲットになってまで書きたくない、ネットが怖い、というのは、ごく自然な考えだし、多くの人が、それでネットから離れている。
 僕は、わざわざ気持ちを切り替えようとしてまでネットにこだわるよりは、止めてしまったほうがいい、と思っている。
 あるいは、書く場所はハンドルネームを変えて、リセットするか。

 長年続けていると、ネットでの処世術や気持ちの切り替えがうまくなったのではないか、と自分でも思い込んでしまいがちではなるけれども、実際のところは、炎上したり、嫌味を言われたり、誹謗中傷されたりしても、それ以上のメリットがあるから、ここで書き続けているに過ぎない。
 それは、人生における居場所であったり、広告やブログがきっかけで「書く仕事」によって得られる収入だったりする。

 長年書いているのがすごい、というよりは、長年書いていることによって、得られるものや、やめると失ってしまうものが多くなるのだ。
 だから、多少の炎上や批判にも耐えられる、というか、耐えるしかなくなるだけのことだ。
 
 何の現実的なメリットもないのに書き続けている人は、本当にすごいと思う。

 ネット上では「カネを稼ぎたいブログばかりになっている」ことを嘆く声が大きいし、僕もそう感じてはいる。
 だが、書く側として考えると、「純粋に何かを表現したい、自分に利益はないけれど、伝えたいことがある」というブログは、どうしても野次馬からの攻撃に弱くなりやすい。
 なんでこんなにひどいことばかり言われるのだろう、私はそんなひどいことを言っているのだろうか、と心が折れてしまうのだ。
 逆に、金儲けが目的のブログであれば、炎上経由でも人がたくさん来て稼げれば、「気分は良くないが、カネになるのなら致し方ない」と割り切ることができる。

 結局、生き残るのは、僕のように、もう他に行き場はなくなってしまった人間か、金とか肥大しきった承認欲求(これは便利な言葉すぎて、僕はあまり好きではないのだけれど)を持つ人間ばかりになる。
 カネ目的のブログばかりが目立つようになるのは、必然ともいえる。
 
 はあちゅうさんは、なぜあんなに炎上ばかりしていてもブログをやめないのか、という問いはまちがっている。
 炎上も含めて、ネットで商売をやっているから、不快でも我慢できているだけのことだ。
 ネットで書き続けるというのは、純粋に書き続けよう、書くことそのものを目的にしようとすればするほど「感情労働化」していく。
 

fujipon.hatenablog.com


 率直に言うと、書く側からすれば、こんなに理不尽にいろんな感情をぶつけられ、サンドバッグのように扱われるのなら、金にでもならないと、やってられない。
 いや、僕はたぶん、全然お金にならなくても書くと思いますけど、それはあまりお金に困っていないのと、他にできることもないからです。


 最後にもうひとつ。
fujipon.hatenablog.com

 以前、こんなエントリを書いて炎上したのですが、いまは「インターネットというのは、あるエントリへの(肯定・否定を問わず)反応も含めて、ひとつのコンテンツなのだ」と考えるようになりました。現代アートの世界で、作品単独で成立するのではなくて、社会との関係性や見ている人とのコミュニケーションを含めて「作品」を見なされているのと同じように。
 それが、インターネットという媒体の面白さでもあり、難しさでもあるのかな、と思っています。
 もちろん、きついな、と感じることは多々あるのですが、他者の行動はコントロールできないわけで、こちらからは「それでも続ける」か「退場する」しかないんですよね。
 可視化されるのがつらい人は、非表示機能とか、どんどん利用したらいいよ。一時試してみましたが、ページビューが10%くらい減る、というのと、一部に「コメント非表示にしやがって!俺が悪口書けないじゃないか!」と文句を言う人がいる以外は、何も変わらないので。


fujipon.hatenadiary.com
blog.tinect.jp

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