いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

2025年の自民党総裁選と「オールドメディア」「昭和の亡霊」について


高市早苗さんが新総裁に選ばれた自民党の総裁選挙の期間中、僕のX(Twitter)の「おすすめのタイムライン」には、高市さん礼賛、テレビや新聞などの「オールドメディア」批判の記事が並んでいた。

僕は高市さんのことが嫌いなので(この人を担いでいるのは、裏金とか統一教会に関わっている割合が高いし、本人も威勢のいいことばかりを言って「平地に乱を起こす」タイプだとしか思えない)、仕事終わりに総裁選の結果を見たときには、「えっ?」と絶句した。

いや、なにか閉塞感のようなものが日本、そして世界を覆っているというのはわかるし、どんな方向であっても、とりあえず現状維持よりもぶっ壊してくれ、という考えになるのは、想像はできる。
結局僕ももう余命もそんなにないし、逃げ切れる可能性が高いから、守りに入っているだけなのかもしれないけどさ。

でも、僕が知っている親、祖父世代、明治から昭和に生まれた人たちの多くは、太平洋戦争に対して、「もう、あんな戦争はやってはいけない、平和なほうがいい」と言い続けてきた。言葉にした人も、あえて多くを語らなかった人もいたけれど、あの戦争を戦場で体験した人たちは、誰も「お前らも同じようにやるのが当たり前だ」なんて、「伝統」にとらわれた部活の先輩みたいなことは言わなかった。

自分がきつい目にあったら、他人も同じ目にあってしかるべきだ、と考える人が多いなかで、戦争に対しては、みんな「やめたほうがいい」と言い残していたのだ。もちろん「負けてしまったから」なのかもしれないが。

高市さんだって、たぶん、実際にトップに立ったら、あるいは、立とうとしたら、いろいろマイルドになってきている印象はある。しかし、それはそれで、妥協すれば「らしさ」が失われてこれまで支持していた「保守層(だと彼ら自身が言っている人たち」が離れていくだろうし、極右的なムーブメントに徹すれば、「中道寄り」の人たちは自民党を見限るだろう(僕はすでに死ぬまで自民党に投票しないことにした)。

アベノミクスの継承」「積極財政」なんて、株をやっている人たちの間では歓迎されていたけれど、大部分の国民にはほとんど恩恵はない。
そもそも「アベノミクス」はたしかに日本のGDPを上げ、日経平均株価を押し上げたが、「日本が豊かになった」というよりは、格差がさらに拡大し、持てる者が資産運用でさらに豊かになっただけで、トータルでいえば、日本全体が豊かになったことになっているだけだ。

安倍さんの時代には、日本の企業の価値は過小評価されていたし、海外からの観光客も少なかった。
アベノミクスは「あの時代には、合理的な政策という面はある」のも間違いない。

でも、サナエノミクスとか言って、株価(半導体メイン)がじゃぶじゃぶ上がっていくのをみると、「そりゃあ、株を持っている人、もとからそれなりに資産を持っている人にとってはありがたいだろうけどね」、と言いたくもなる。ネットの株クラスタは喜んでいるけど、現状「積極財政」が必要なのだろうか。必要なのは、「社会保障の再構築」なのでは?

いまは、少数の「お金が余っていて、使い道に困っているような人」と、多数の「物価高で給料は上がらず、生活が苦しくなっている人」の時代になっている。

こんな時代にアベノミクス的なことをやると、持てるものは余ったお金を利用してさらに富み、企業はコストの上昇や金持ちの購買力アップにともなってモノの値段を上げていく。結果的に、格差はさらに広がっていく。
「トリクルダウン」なんていうのは幻想にすぎない。金持ちは、豊かになっても、自己満足のためにわかりやすく「寄付」するくらいだ。

日本に観光客を呼ぶっていっても、京都なんかはすでにオーバーツーリズムの状態だ。
各地のホテルの宿泊料も驚くほど上がっている。

僕はこれ以上国の借金を増やして金持ちをさらに富ませるような政策よりも、金利を上げて(できれば消費税を下げて)、普通の人が貯金すればそれなりに(2~3%くらいあれば十分)利子をもらえるほうが「現状の日本国民の最大多数の最大幸福」に合っていると思う。

高市さんがやろうとしている経済政策は「時代錯誤」なのだ。
安倍さんを崇拝するのであれば、あの「臨機応変さ」を参考にすべきで、同じことをやればいい、というものではあるまい。

麻生さんによる派閥政治の復活と不祥事を起こした議員の復権なんて、昭和の派閥政治の亡霊がよみがえってきたようなものだろう。にもかかわらず、テレビや新聞を「オールドメディア」だと批判するネットの「高市推し」のポストは、麻生さんを「国士」とか持ち上げている。

たしかに、いまのネット時代には、テレビや新聞が「既存のメディア」「スポンサーに迎合している」「みんなの声を正確に反映していない」という面はある。
でも、「オールド=悪」とは限らないし、ネットで支持者が喧伝している「高市さんが言うこと、やることならなんでもこじつけて正しいことにする」なんていうのは、悪しき「オールド愛国主義」だとしか僕には思えない。

ぶっちゃけ、記事の信ぴょう性とか実際に取材をしていることを考えれば、「オールドメディア」の記事のほうが、よほど「マシ」な可能性が高い。
残念ながら、現代に「中立な立場」など存在しないのだ。偏りがどれくらいあるのか、批判・評価するのが許されるのかで、受け手が判断するしかない。
われわれが見ているネットの記事のほとんどは「ウケるものかお金になるもの」だ。そういうものが「オススメ」される仕組みになっている。それが嫌なら、リアルの知り合いとLINEだけやっているしかない(ま、友だちが突然「化学薬品に毒されていない、健康的な洗剤」とかを薦めてくるんですけどね)。

これだけ情報やネットが「お金」に支配されている世界(そもそも『X』はイーロン・マスクのものなのだ)では、テレビも新聞もネットも同じだよ。ネットは「マスコミが伝えない真実」と標榜して偏った意見を垂れ流しているだけだ。

鹿の話なんてどうでもいいし、海外でいきなり野生(じゃないか)動物に迫ってこられたら追い払おうとするのは、僕だってそうだった記憶がある。
でも、そんな話ばかりが『X』で流れてくると、「自分はこういうのをオススメされるような人間だったのか」と気が滅入る。

正直、選挙の結果を知ったときには「日本沈没。」みたいな気分になったのだが、あらためて考えてみると、これは良い機会なのかもしれない。
みんながこれほど望んだ高市政権なのだから、どうなるのか見てみよう。

僕は長年広島カープのファンをやっていたのだが、2016年にセリーグ優勝するまで、カープには長い長い低迷期があった。
山本浩二マーティ・ブラウン野村謙二郎など、さまざまな人が監督になったが、チームの成績はなかなか向上せず、監督はネットでずっと叩かれていた。

この監督の采配じゃ勝てない! 選手がかわいそうだ! 監督変えろ!

僕もどうしようもない負け試合ばかり見せられて、毎年そう思っていた。
でも、実際に監督が代わってみると、やっぱりカープは負けた。打線はチャンスで打てず、先発陣は崩壊し、リリーフは出るたびに失点し、勝てそうな試合も最後に逆転負け。誰が投げても打たれるのでは、どんな優秀な監督でも采配のふるいようがない。

リーダーで組織は変わる、とは言うけれど、リーグ三連覇を成し遂げた緒方監督だって、就任1年目はさんざんだった。黒田博樹投手が復帰し、前田健太投手とのダブルエースで今年こそ!とはじまった初年度の2015年は、Aクラスにすら入れなかった。マエケンアメリカに行っちゃうし、千載一遇のチャンスを逃しちゃったな……と期待していなかった2016年にリーグ優勝するのだから、世の中はわからない。

「リーダーが変われば、組織が変わる」と企業もののビジネス本にはよく書いてあるが、スポーツの世界をみていると、同じリーダーでも、同じ結果になるわけではないし、結果はすぐには出ないことも多い。

カープの監督人事とファンの反応を半世紀みていて痛感するのは、人は自分が満足できない結果に対して、リーダーの責任だと考えがちだ、ということだ。そして、リーダーを変えても結果は同じ、あるいは、同じリーダーでも状況に応じて結果が変わることから学ばない。

でも、実際にその結果が出てみないとみんな理解しないし、調子が悪くなるとまた「改革待望論、リーダー取り換え論」に頼ってしまう。

カープが三連覇できたのは、田中、菊池、丸、鈴木誠也というプレイヤーたちのピークが同じ時期に集中したこと、黒田さんの復帰と「カープ女子」をはじめとするファンの熱狂がチームを経済的にも後押ししたこと(CSで甲子園球場の一角が赤く染まったのは本当にすごかった)、新井さんの存在でチームがまとまったこと、ジョンソン、エルドレッドというカープ史上に残る外国人選手がこのタイミングで加わったこと(ジャクソンもいたよなあ、ジャクソンスマイル!なんであんなことしちゃったんだろう……)など、さまざまな要因があった(持てる力をあの時期に集中させてしまった反動で、三連覇後はまたずっと低迷している、とも言える)、緒方監督はそのうちの重要なピースのひとつではあったけれど、監督の采配で、すべてがうまくいったわけではない(むしろ編成部の功績のほうが大きいかもしれない)。


参政党の人たちが、議席を多く獲得したことによって、その内情がよく知られるようになった、あるいは、ガーシーが国会議員になったことによって、かえってそのYouTuber生命を縮めてしまったようなこともある。

「〇〇待望論」というのは、待望されているうちが花で、実現すれば、結果が出てしまう。

これから、というときに、あまりネガティブなイメージばかり語るべきではないのだろうけど、僕は石破さんのままで良かったと思っているし、小泉さんや林さんのほうがずっとマシだった。
石破さんは「格差の拡大」をずっと懸念していたし、自分の言葉で語ることも多かった。広島の原爆忌の談話には、心を感じた。アメリカに「なめられてたまるか!」も、そのくらい言いたくなるのが当たり前だ。同盟国は奴隷じゃない。
あんまり言いすぎると大変なことになるかもしれないけれど、アメリカ側もいちいち問題にはしていなかった。
首相になったタイミングが悪くて、やや陰気なイメージもあって、全部責任を押しつけられてしまったけれど、けっこうまともな政治家だった。

小泉さんなら少なくとも若くてムードが明るくなる、それだけでまだマシだった。

「選挙に勝てないから」という理由でトップの首をすげかえているのを傍からみると、「この人たちは日本をどうしていくかよりも、自分の選挙の結果のほうが大事なんだな」としか思えない。
そして、そういう政治家たちを選んでいるのは、国民だし、僕もそのひとりなのだ。

ただ、インターネットの人々には、変わり身の早さ、こだわりと反省のなさという大きな武器もある。
だから、高市さんも、あっさり見限られる可能性も十分ある。
ネットは、何かや誰かを持ち上げて、賞味期限が切れたら粗さがしをして引きずりおろし、それを指さして笑うまでが「コンテンツ」だ。

流行に乗っかって、既成の勢力をぶっ壊したことにして、「自分たちはすごい、偉い」と叫んでいればいい。


こんな愚痴が、数年後にみんなに笑いものにされることを願っている。

トランプ大統領でもアメリカが崩壊しないことを考えると、「誰がトップでもそんなに変わらない」のかもしれない。
そして、日本(そして世界中のほとんどの国)での少子化・人口減と格差拡大という流れがつづくかぎり、政治にできることは、限られているのだろうけど。


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