いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ブログという長すぎる遺書、あるいは往生際の悪い存在証明について

特別お題「わたしがブログを書く理由


もう20年以上ブログを書いてきた。

最初は「日記」それから個人サイトを作り、ブログになってからは本や映画の感想、そしてエッセイ風の文章。
書き始めたきっかけは何だったのか、もう思い出せないのだが、仕事で遅くなった夜に、何となく日記を書いてみて、書くとせっかくだからと誰かに読んでもらいたくなり、読まれてみると、もっと多くの人に、という感じで、ハマっていった記憶がある。

昔から文章を書くのは好きで、ちょこちょこ紙に日記や小説を書いてはいたのだけれど、ちゃんと完成したとか長続きした記憶がなく、結局のところ、僕は「読まれたい」「誰かに自分のことを知ってほしい」のだと思う。その一方で、自分が知っている人に読まれるのは恥ずかしい、ともずっと感じていて、自分からこのブログのことを誰かに話したことはこれまで一度もない。
(それでも、長くやっていると、職場で突然「いつも読んでます」とか言われて悶絶したこともあるんですけど)

40代半ばくらいまで、医局というやつの人事で、2〜3年おきに勤め先が変わり、引っ越しをしていた。
人間関係はその度にリセットされるのだが、ブログは職場が変わっても、いつもここにあった。ある意味、僕の「ホーム」はこのブログなのかもしれない。「ホーム」の重さに耐えかねて、時々リセット癖が顔を出しつつも、こうして続いてきたし、今となっては「書く理由」よりも「書かない理由」の方が必要になってしまった。

20代後半、ブログを書きはじめたときは、ブログという伝達方法がこんなに長く続くとは思ってもみなかった。
テレビゲームやパソコンが生まれたときに、「これはすごく面白いし僕は大好きだけれど、ずっと仕事にできるようなものではないだろうな」と僕が認識していたように。

もともと本を読んだり、文章を書いたりするような仕事かテレビゲーム関連の仕事をしたいと思いながら、自分の能力に自信がなく、とりあえず人の役に立ちそうで、後ろめたくない、そして、親もやっていたということで医者になった。
医療というのは、ごく一部の研究者以外には、基本的に「最適解を最短距離で検索する+対人コミュニケーション」の仕事だ。
そこには創造性は持ち込まれない。というより、普通の臨床医は、そんなものを持ち込んではいけない。
医者がみんな、これまでの治療のデータや論文を無視して「ぼくが考えた、オリジナリティあふれる最高の医療」を各々やり始めたら恐ろしいことになる。

今から思うと、本当に、僕には向いていない仕事だったと思うし、今でもそう思っている。
若手時代は怒られたり責められたりプレッシャーをかけられたりするばかりで、毎晩、明日が来なければいいなあ、と眠れずに夜更かしし、翌日なかなか起きられなくてつらかった。

そんな中で、ブログに自分が思ったこと、考えたことを書いて、それを読んでくれる人がいて、良くも悪くも何らかの反応があるというのは、僕の気持ちを高揚させていたのだ。
もちろん、楽しいことばかりではなく、批判されたり悪口を言われたりすることもあったし、多くの人に嫌われた。
僕自身も、嫌いになった人が少なからずいる。
でも、決められたことを効率的にやらなければならない、人に嫌われないように、うまく立ち回らなければならない日常の中で、日々、ブログを書き、それに対して反応が返ってきたり、日々読んでくれる人が増えたりしたりすることは、ある種の「生きがい」だったように思う。
医療という仕事が趣味になってくれれば、良かったんだけどねえ。

そんなふうに、最初の10年くらいは、「趣味」であり「居場所」としてブログを書いていた。
ブログは右肩上がりの時代で、いつものように更新しているだけでも、来てくれる人は増えていったし、アフィリエイトでちょっとしたお金にもなった。
お金のために積極的に何かをする、というわけでもなかったけれど、Amazonアフィリエイトで貯まったギフト券で、年末に全録ブルーレイレコーダーが買えるくらいの収入にはなった。文章を書く仕事もいくつか貰えて、「書いてお金を稼ぐ」という夢は、ささやかではあるけれども、叶ったともいえる。

そもそも、僕は本が好き、パソコンが好き、キーボードを叩いているだけで、何だか機嫌が良くなる人間なので、ブログには向いていたのだろう。
そして、いちおう匿名で多くの人に見てもらえて、レスポンスが帰ってくるというのも良かったのだと思う。

ただ、こうして書きながら考えてしまうのは、結局のところ、ここに書かれているのは「僕が他人にこういうふうに見てほしい、と願っている自分ではないのか」ということだ。

僕のリアルな感情というのは、もっとダラダラ、ドロドロしていてとりとめがないし、醜悪で無意味だ。
僕は基本的にブログに嘘は書かないが(迷惑がかかりにくいように、フェイクを入れたり、あえて書かないことがあったりはする)、きっと、このブログを通して他者が見ている僕と、僕自身のあいだには、それなりの乖離がある。


僕も歳を取った。
もう50歳を過ぎてしまって、「はてなブックマーク」では、「この人もすっかりおじいちゃんになってしまったね」なんて言われている。村上春樹の小説に、ある日突然、「人生の折り返し点」を過ぎてしまったことに気づいた男の話があるのだが、折り返しどころか、マラソンでいえば、もう35キロ地点を過ぎたくらいだろう。

ひとつだけ言えることは、僕は、僕が見たこと、聞いたこと、思ったことを書いている、ということだ。
「普通なら」とか「常識では」という視点で書くことだけはやめよう、と決めている。

人間を50年やってきてわかったのは、「世の中にはいろんな立場、考えの人がいる」ということと、「自分に起こったことは、他人にも起こる可能性があるし、他人に起こったことは、自分にも起こる可能性がある」ということだ。
あと、「人間なんてみんな基本的な構造は似ているし、同じようなことを考えている」が、「人間ひとりひとりは近づいてみればみんな違っていて、それぞれ、宇宙にも匹敵するような記憶と経験、思考を抱えている」ということ。


僕の両親はふたりとも50代で亡くなったので、僕も自分の余命を考えずにはいられない。
あれこれ想像してはみるのだが、自分の親でさえ、本当は何を考えていたのかわからないまま、遠い存在になってしまった。

僕は最近よく、自分が子どもの頃のことや、人生のちょっとした挫折や喜びのことを思い出す。
僕が大好きだった母親のカレーライスの味や、母親が病に臥したときに、傲慢な人だと思っていた父親が寿司屋のカウンターで僕に漏らした言葉は、たぶん、いや、間違いなく、僕が消えると、世界から消える。世界にとって、そんなに大事なものではないのは百も承知だし、誰かの役に立つ、というものでもあるまい。
でも、僕はそれが自分とともに、そういう「ささやかな日常の記憶」みたいなものが、この世界から完全に失われてしまうのが悲しい、と思うのだ。

正直、ネットにそういうことを書いても、誰も読まなければ存在しないのと同じなのかもしれない。
仮に、数年間はネットの海の中を漂っていたとしても、ブログサービスの使用料金が滞ったり、ブログサービスが終了したりすれば「一巻の終わり」だ。
これまでも、誰かのそういう記憶の断片が、そうやって消えていった。
わかっている、よくわかっている。
ダテに20年以上、ネット中毒者をやっているわけではない。

でも、僕は、僕にしか書けない、僕とともに世界に存在し、いずれは消えていくであろうことを書かずには、記録せずにはいられない。
ネットを長年やっていると、自分が思いつくようなことは、ほぼ100%、誰かが先に思いついている、あるいは実行していることを知ってしまう。
本当に新しいことができる人間は、ほとんど存在しないのだ。

それでも、僕が人生というハードディスクに記憶してきたこと、僕の目から見えている世界だけは、僕にしかわからない、書けないことだ。

そんなの何の役に立つの?

わからないよ、というか、たぶん他者の役には立たない。でも、僕にはそれが必要で、自分の「役割」みたいなものなのだと思う。
ほとんど見返すことはないと思っていても、子どもの写真を撮らずにはいられないだろう?

もちろん、全部を書く必要なんてないし、そんなことは無理だ。
それでも、僕はやっぱり書いておきたいし、書いたものが、もしかしたら、どこかで誰かの役に立つことがあればいいな、と少しだけ願ってもいる。
「こんな大人にはならないぞ」で十分だ。
「参考にならない人の話」が身近になったのは、インターネットの大きな功績だ。
年を重ねてくると、何か少しでも、0.0000000001ミクロンでも、世界を良い方向に動かして自分の生命を閉じたい、と思ってしまう。

なんだか重苦しい話になってしまった。
ただ、僕はこうして文章を、ブログを書くのが好きだ。
この年齢になって、ようやくちゃんと「好き」と言えるようになった。
書いていると、安心するというか、自分が世界の一部になれたような気がする。



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