いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「2015年に個人ブログをやっていくこと」について

参考リンク(1):最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記
最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? - orangestarの雑記




あけましておめでとうございます。
2015年最初のエントリということで、僕がいま、ブログというものに感じていることなどを書いてみます。
新年早々、orangestarさんのエントリを読んで、懐かしくなったこともあって。



どんなにインターネットの世界が広がり、いろんなことが効率化されても、3か月の赤ん坊は夜泣きをし、僕は1〜2時間毎に起こされるのです。
毎日ブログを更新するということは、夫婦喧嘩をしていたり、仕事で問題を抱えていたり、育児に悩んでいながらも、平然と(見えるように)、本や映画の感想を書く、ということでもあります。
僕は「夫婦円満の秘訣」とか、「育児のコツ」とかを書いたブログを読むたびに、「こういうエントリを書いている人たちは、書きながら、自分の現実と比較して溜息をつくことはないのかなあ」なんて考えてしまいます。
僕は、基本的に嘘をわざと書くことはありません。
でも、事実にも、書けないことはあるし、書かないこともある。


ある意味、ネットの良さというのは「書きたくないことは、書かなくてもいい」ところじゃないかな、とも思うのです。


そして、「心に溜まっているものを、吐き出してみる」っていうのは、精神の平衡を維持するためにプラスになることもある。


参考リンク(2):旦那の育児(はてな匿名ダイアリー
旦那の育児


このエントリのブックマークコメント
はてなブックマーク - 旦那の育児
を読んでいると、なんというか、けっこうキツいことを書く人もいるんだよなあ、と。
現在3か月の息子がいて、この人ほど家事をやっていない(であろう)僕としては、「ほんと、よくやってるよ。でも、子供って結局誰かが見ていないと生きていけないから、つらいこともあるだろうけど、なんとかお互いに踏ん張ろうよ」としか言いようがないんですよ。
というか、このエントリって、別に読んだ人に「自分の育児を評価してほしい」わけじゃなくて、「ただ、自分の愚痴を聴いてほしい」だけなんじゃないかな、と。


「できればムカつかずに生きたい」(田口ランディ著・新潮文庫)のなかに、こんな話が出てきます。

 米国では受刑者が学校を講演して歩いて、ドラッグや暴力の恐ろしさを体験を元に語るプロジェクトがあるという。当初それは青少年の非行防止のために企画された。
 ところが不思議な結果が出た。癒されるのは実は受刑者の方なのだ。若者に語った受刑者はみな非常に高い割合で更正していく。子供たちの魂は語る者を癒す力を持っているらしい。たぶん彼らは「罪」を犯したという過去に囚われず、純粋に目の前にいる「人間」に共鳴するんだろう。


 他者に何かを語ることは、自分を癒やすこと、救うことでもある。
 まあ、そんな大げさに言わなくても、話してみることによって、気持ちが軽くなった、という経験は、多くの人がしているはずです。
 そこには、とくにリアクションは必要なくて、ただ、黙って耳を傾けてくれれば、それでよかった。


 昔、ネットで語ることは、『王様の耳はロバの耳』と、森の奥で叫ぶようなものだったのです。


 ネットで語ることが難しく、「重く」なってしまったのは、あまりにも多くの、そして広い範囲の人が「反応」してくれることを想定せざるをえなくなったから、なのではないかと思います。
 ラジオの深夜放送では、以前はもっと過激な言葉が飛び交っていたのだけれど、最近では、「それがネットで広まる可能性があるから」あまり「(性的な話や社会に対する意見において)深夜放送的な羽目の外し方」はできなくなってきたようです。


 個人的には「みんな(僕自身も含めて)気に入らないことはいろいろあるけれど、個人ブログレベルであれば、嘘や誹謗中傷でなければ、スルーしてあげるくらいの寛容さを心がけましょうよ」と言いたいところなのですが、それが万人に受け容れてもらえるものではないのも承知しています。
 ついつい言いたくなることもあるし、言えるツールもある。
 「鍵付きではない状態でネットで公開されたものは、誰の目に触れても文句は言えない」のも知っていますから。


 今年、2015年に考えているのは、目に見える「賞賛」とか「反発」に一喜一憂するのではなくて、もっと「沈黙」に目を向けていきたい、ということなんですよ。
 そこに「答え」を見つけるのは難しいのはわかっているけれど、「沈黙」が、正しさとか優しさにいちばん近いことって、少なくないと思うから。


 ただ、こういうこともまた、言葉にしないと伝えることができない、というのは、実に不自由なことではありますね。

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