いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ひとりの人間が生きてきた、ということの重み」とインターネットで「悼む」ということ


 大型の台風14号が近づいてきている。
 九州北部在住者としては、この状況で外出もできないので、家でひたすらゴロゴロして、ネットやゲームや読書をやっている。
 まあ、「出たくても出られない」だけで、やっていることは普段とあまり変わりはないのだが。久々にブログを書く時間もできたし、コンビニで勢いで買ってきたカップ麺やレトルトカレーを消費するまたとない機会、ではある。
 連休潰しのような台風だけれど、この天候で職場まで移動することのリスクを考えると、助かった、ともいえる。
 病院という職場は、台風が来ていても、誰かが必ず働いていなければならないし、こんな日は外来の患者さんも来ないだろう、と思っていると、「症状はそんなにひどくないけれど、交通手段がないので、救急車できました」とか「漁が休みになったので、健康診断に来ました」という患者さんでけっこう忙しくなることもあるのだが。



 こんなエントリを読みました。

muriyada444.hatenablog.com


 まずは、謹んで御尊父の冥福をお祈りいたします。
 僕自身は両親ふたりとも50代で亡くなっているので、そのときのことを思い出さずにはいられませんでした。
 そして、自分自身が50代になり、親が亡くなった年齢に近づいてきて、「こんな未熟というか、覚悟も準備もできていない年齢だったのか……」などと、ときどき考えています。
 
 昔から「生きたい!」という積極的な意欲はなかったけれど、「死ぬのが怖い」だけはあって、子どもの頃は、夜眠ったら自分は自分でなくなってしまうのではないか、と眠れないことがたくさんありました。
 『プレステージ』って映画のトリック(?)を思い出します。


 僕はこうしてけっこう長い間、ネットに文章を書いています。
 途中でホームページからブログになるなどの変化はあるのですが、書けば書くほど「書けないこと」「書いていることと、実際の自分とのギャップやこぼれ落ちていくもの」について考えずにはいられないのです。
 書けるのは、僕自身の頭の中で整理・整頓され、「これは書いてもいい」と判断した一部の情報だけで、それも、ものすごく曖昧な記憶や思考を無理やり言葉にしているところもあります。
 「演じている」わけではないけれど、たぶん、書かれていることには「ウソ」や「見栄」も混じっている。

 僕自身が死んでしまえば、いまの僕が抱えている、子どもの頃から今までの記憶の大部分は永遠に失われてしまう。
 もちろん、そんなものには他者からみて、何の価値はないのは承知しているのだけれど、僕自身の内面とともに、もう、覚えている人もどんどん減ってきているであろう僕の親やこれまで関わってきた人たちの「ささいな事実」が消えてしまうことが、とても悲しい。
 忘れてしまえるから、人は生きていける。たしかに、その通りだし、生きていたころの父親と僕は折り合いが悪かったし、生前の母に、子どもとしてできるだけのことをする余裕もなかった。人生って、後悔が敷き詰められた道に、ときどき刹那の快楽が落ちているようなものなのかもしれません。

 僕は40代後半(最近5年くらい)から、自分の親のことで、覚えていることを、ブログに書くようになりました。
 それまでは、身内の話なんて、誰も興味ないだろうし、面白くもない、と思っていたのです。
 読む側にとっては「どうでもいい」のは百も承知で、インターネットというのは、結局「書いてあっても読まれなければ存在しないのと一緒」だし、「遺すつもりで書いても、ブログサービスの終了や著者の死や病による更新終了や料金の停滞で容赦なく消えてしまう」のは理解しています。

 それでも、罪滅ぼしみたいな気持ちで、まだ若くして去っていった人たちのことを、書かずにはいられませんでした。
 僕自身に起こったことも、なるべく記録しておきたい、と思っているのです。
 それに価値がある、というよりは、いろんなものが、消えてしまうことへの怖さを少しでも和らげるために。


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 しかしこれ、「昨日」から、もう14年くらい経つのか……子どものことを思うと、いつか消すべきではないかと考えつつ、消せないままここまで来てしまったな……


 前掲した『父が亡くなった』というエントリを読んで、僕は「ひとりの人間が生きてきた、ということの重み」をあらためて感じたのです。
 世の中には、エリザベス女王や安倍元首相のように、多くの人から悼まれ、生涯を振り返られる人もいるけれど、ほとんどの無名の人の死は、新聞の三行記事にすらならない。
 でも、ひとりの人が何十年と生きれば、さまざまな経験や思考が頭の中には存在しているし、関わった人たちには、数えきれないくらいの、良い・悪い、それぞれの記憶がある。

 僕はよく、亡くなった母親が作ってくれたカレーライスのことを思い出します。
 カレーに入って煮込まれたジャガイモが大好物だった僕のために、いつも「ジャガイモごろごろ」のカレーを作ってくれていたんですよね。ルーは市販のバーモントカレーで、ごく平凡な「家のカレー」だったのかもしれませんが、僕が死んだら、あのカレーの味の記憶も失われてしまうのだな……と、なんだかとてもせつなくなるのです。

 人類全体にとって、ほとんどの「ひとりの人間」は、モブキャラでしかない。
 それでも、ひとりの人間の一生を追体験しようと思えば、「一生分」の時間が必要になります。
 
「人の死は2回あって、ひとつは心臓が止まったとき、ふたつめはその人の記憶が喪われたとき」だと言いますよね。
 僕は誰にも覚えていてもらえそうにないから、こうして自分で自分のことを書き続けているのかもしれません。
 もう消えてしまいたい、という気持ちも、ずっとあるんだけど。
 まあ、嫌でも近いうちに消える年齢になってしまったから。

 こうやって、これまで知らなかった人生の一部に触れさせてもらうと、インターネットがある時代を生きていてよかったな、とは思うのです。何が良かったのか、うまく説明できないのだけれど、それでも。


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