いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

大成功、とは言えない人たちが、50代でいかにキャリアを畳んでいくかを考える


fujipon.hatenablog.com


 この話、予想外に多くの反応をいただいて、嬉しさ半分、お恥ずかしいところをお見せしてしまった、という後悔半分、なのです。
 50歳台って、政治家であるとか、企業で役員を目指す人とか、医者の世界でも教授になるような人にとっては、「勝負どころ」という年齢ではあるんですよね。
 インターネットには「成功するための若い頃の努力のしかた」はたくさん書かれているのだけれど、「大成功、とは言えない人たちが、50代でいかにキャリアを畳んでいくか」については、あまりアーカイブが残っていないように感じます。
 開き直って、無謀なチャレンジをしたいわけじゃない。でも、このまま死んでいくことに「こんなはずじゃなかったのに」という切なさを抱かずにはいられない50代を、どう生きていけばいいのか。


fujipon.hatenadiary.com


 これを書いてから、もう10年になるんですね。

 「写真」とか「文章」というのは、「何者かになるはずで、なれなかった人たち」の最後の受け皿になりやすい趣味だ。
 いくらなんでも、僕の年齢になって、「プロ野球選手になって、カープを優勝させる」とか、「政治家に転身して、首相になる」なんていうのは、妄想でしかない、それは理解できる。
 ところが、写真とか文章というのは、「プロとアマチュアの違いが、(素人には)わかりにくい」だけに、「いまからでもできるかも!」と思いこみがちなのだ。
 僕にも、「夏目漱石がデビューしたのは、30代後半だった」などという特例に希望を見いだしていた時期がありました。


 ところが、その気になって少し勉強をはじめてみると、その世界の奥深さに愕然とすることになる。
 作家の文章をプロ野球の1軍とするならば、ブログの文章は2軍だ。


 文章って、10年、20年書いていても、そんなにうまくならないよね……
 むしろ、10年前くらいに書いていたもののほうが面白いというか、結局のところ、同じことの焼き直しをやりつづけているような気がします。
 まあしかし、こうして書き続けてきたことそのものが、ひとりの人間のアーカイブとして残っているのは、それはそれで意味はあるのかもしれない。
 「いまの気持ち」って、「いま」しか書けないから。
 とはいえ、こうしてことばにした時点で、「ほんとうの気持ち」とは別物になっている、とも思うのです。


 閑話休題
 
 冒頭のエントリに対して、何名かの方が自分自身の「50代の働きかた」について書いてくださいました。
 こういう話には「正解」なんて存在しないし、ひとりひとりが自分のことを語る、ということの積み重ねから、見えてくる、感じるものはあるのです。
 僕だけが読むのはもったいないので、ここで「アンサーソング」を紹介させていただきます。
 せっかくなので、何かコメントをつけようとも思ったのですが、読む人に先入観を与えるのは本意ではないので、そのままリンクを張りますね。

 10年前くらいのインターネットって、誰かが水面に石を投げたら、その波紋がどんどん広がっていく光景が日常的にありました。
 僕自身も、何か面白い石が飛んでこないかなあ、と思っていたものです。
 他者のエントリに、あるいは他人に言及する、ということに関しては、いろいろ気を使わなくてはいけない時勢ではありますが、僕はこの「50代で、社長や教授になれない人たちの働きかた」を、もっとたくさんの人に書いてもらって、それを読んでみたいのです。
 
 実際、50代にもなると、「会社人、あるいは職業人としての限界は見えているのに、まだしばらくは働かなければならない人」のほうが、「まだまだ上を目指していく人」よりも多いわけじゃないですか。みんなが島耕作になれるわけないし(でも、あの漫画を読むと、島耕作に感情移入しちゃうんですよね。まあ『ドラクエ』で、村人Aとかになりたい人もいないか)。


 前置きが長くなりましたが、それでは、「こんなお返事があったよ」というのを御紹介します。

narushima1977.hatenablog.com
backtolife.hatenablog.com
inujin.hatenablog.com
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 まだいくつかあったような気がするのですが……すみません、もし「自分も書いたよ!」という方がいらっしゃったら教えてください。
 そして、こうして読んでみると、「本当にいま50代で、キャリアを畳もうとしている人たちの肉声」って、なかなか出てこないものなのだな」と感じます(僕も含め、書いているのは、もうすぐ50代、という人が多いのです)。
 ジョージ・フォアマンは「年を取るのは、恥ずかしいことじゃない。私はそれを証明したかった」と(いうようなことを)ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いたときに言いましたが、インターネット社会には、「経験」とか「人脈」をすっ飛ばしてしまえる魅力とともに、年長者にとっては、権威による年功序列の崩壊をもたらしています。とはいえ、ネットによるつながりには、簡単で直接的で後腐れがないだけに、リスクも少なくありません。もちろん、ネットだけの話じゃないですが、「まさか!」というような繋がりを良くも悪くも生んでしまうツールではありますよね。そんな劇的な変化の時代を生きてきた人たちの「ふつうの職業人としてのキャリアの畳み方」は、どうなっていくのか?
 いまの時代では、食べていくために、定年後も働かなくちゃいけないんだ、という人のほうが多そうですが。

 思いのほか、多くの反響をいただきました。
「20代、30歳前後でネットにはじめて触れた世代」が、職業人としてのキャリアの晩年にさしかかっているなかでの「50代での仕事との向き合いかた」をもっと知りたいと僕は思っております。

 いくつになっても、日々「やるべきこと」をやるしかない、というのが着地点なのかもしれないけれど。


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