いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

何が正解かなんて、よくわからないまま人は生きていて、「あいつはダメだ」とか言い続けている。


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 各マスメディアでの菅首相の支持率があまりにも下がっていて、これでは衆議院選挙で勝つのは難しく(そうなったらどこに投票するのか?という問題はありますが)、退任はもう致し方ないかな、とは思うのです。


 その一方で、(就任時にわかっていたこととはいえ)新型コロナウイルスという未曽有の世界的な感染症の流行に対して、他の人だったら、もっと有効でダメージが少ない対策を講じることができたのか?と考えると、個人的には「この時期に誰もが称賛するような首相であることは誰であっても難しかっただろうな」とも思うのです。


 新型コロナの最前線ではない医療現場勤めの身としては、いろいろ大変ではありますが、一時期のアメリカみたいに救急車が読んでも来ないとか、路上に遺体が転がっている、というような事態にはならず、失業者が街中に溢れて、物乞いをしている、という状況にもなっていないというのは、少なくとも「最悪」ではないような気はします。
 これまでの新型コロナウイルスがアジア系の人では重症化率が低く、日本人の衛生意識が世界のなかでも高かった、そして、「自粛警察」のような、引っかかるところはあるけれど、感染予防のためにはおそらく有益だった人々の動きがあったという理由はあったとしても。


 これだけ短い期間にワクチンをかき集め、必要な国民が2回のワクチン接種を2021年内に終えられるようにする、というのは、想像もつかないほど巨大なミッションですよね。政治とか官僚とかの「公」の力ってすごいなあ、と痛感してもいます。


 『原爆の日』のスピーチの不備や、生気のない表情をみていると、菅さんが疲れておられるのは伝わってきましたし、ドイツのメルケル首相のような「リーダーとしての言葉力」みたいなものが無かったのは、この時代のトップとしては難しいところではありました。


 オリンピック・パラリンピックの開催に関しては、やらなければ感染者は確実に今よりは少なかったと思いますし、医者としては「このタイミングでやるのかよ……」と愕然としましたが、オリンピックで「盛り上がった」人たちがいたのも事実ですし、誰が首相でもやらざるをえなかったような気もします。まあでも、これからの世界では「選手や観客が一か所に集まって競技をする」ことへのためらいと、「ライブで観ることの価値」がせめぎ合うことになるのでしょう。


 菅さんをみていると、福田康夫・元首相を思い出します。
 
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 辞任会見の「あなたと違うんです」ばかりが記憶に残ってしまった福田さんなのですが、菅さんと同じように、有能な官房長官として、長年政権を支えた後、首相になりました。
 ところが、トップに立ってみると、いろんなことがうまくいかなくて、わずか1年で辞任。
 長期政権のあと、というのは難しいところもあるのだと思いますが、安倍首相には菅官房長官がいたが、菅首相には菅官房長官がいなかった、ということなのかもしれません。
 菅さん自身も、自分がトップ向きではないことは自覚しているように感じていたのですが、あれほど「盤石」のようにみえていた安倍ー菅ラインは、あっという間に崩れていきました。


 本当に菅さんは「ダメな総理大臣」だったのか?というのは、歴史の評価を待たなければならないのかもしれません。
 ただ、これほど人心が離れてしまっては、本人の能力や仕事の内容はさておき、トップとしては「責任を取って辞める」以外にできることはないのです。


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 広島カープが25年間Bクラスに低迷していたときに、毎年、「山本浩二辞めろ」「マーティ・ブラウン辞めろ」「野村謙二郎辞めろ」と、監督更迭を声高に主張しているファンが大勢いました。とりあえず、プロ野球チームの場合は成績が低迷すると「監督」が無能である、とみなされることが多いのです。


 でも、僕はずっと、「そもそも選手の質が他球団に劣っているのだから、監督を替えても問題は解決しないだろう」と思っていたのです。むしろ「監督よりも、選手の獲得や育成の方針、収益構造を変えなければ、勝てるようにはならない」と考えていました。
 結果的には、自由枠制度の廃止で、良い選手が獲得できるようになったことや、マツダスタジアムの完成を契機に、人気球団となり、経営が上向いたこと、注目度が増したことによる選手のモチベーションが上がったこと、などが2016年からのリーグ三連覇につながりました。
 緒方孝市監督の手腕は見事でしたが、選手の年齢的なピークがあの3年間に集中したり、黒田、新井両選手の復帰があったり、という幸運もあったのです。


 2021年のカープの成績は酷いもので、佐々岡真司監督も大バッシングを受けていますが、コロナ禍で主力が出られず、ファームの試合のようなメンバーで公式戦しなければならなかったり、球団も入場料やグッズの売上げによる収入が減ったため、積極的な補強もできず、疲弊しきっている三連覇メンバーの「復活」頼み、という状況では、そりゃ厳しい戦いにもなりますよ。ピッチャーも、リリーフは栗林投手以外は投げてみないとわからないというか、誰を出しても打たれてしまうのでは、采配でどうにかなるとも思えません。それでも、ファンは監督を責める。もちろん、佐々岡監督の采配が、十分に選手を活かしている、とも思えませんが。


 監督が有能なら強いチームができるか?というと、必ずしもそうではありません。
 近年の「名将」として間違いなく名前が挙がるはずの野村克也さんも、阪神監督時代には、3年連続最下位という屈辱的な結果に終わってしまいましたし、西武ライオンズの黄金時代をつくった森祇晶さんも、のちに横浜の監督に就任した際には、3位、6位(最下位)という結果に終わっています。


 プロ野球の監督として、「歴史に残る名将」とされている人でも、置かれた環境によっては、最下位に沈むこともあるのです。
 ある程度チームの補強にも影響力を行使できるような全権監督であれば、また違うのかもしれませんが。


 それでも、結局のところ、負けてしまったトップにできる「最後の仕事」は、「辞めること」しかないのも事実ではあります。
 少なくとも、雰囲気は変わる。変わったような気がする。実際に変わることもある。
 「世間の空気」って恐ろしいものですよね。菅さんが退任を発表したとたんに、株価が跳ね上がりましたし。
 携帯料金値下げの圧力をかけられ続けていたNTTやKDDIソフトバンクの株価が上がるのはわかるのだけれど、首相が変わっても、コロナ禍を乗り切るために国が使った(借金した)お金がリセットされるわけではないし、コロナ禍で「合理化」された仕事が、以前のように対面、人脈重視になるとは思えません。
 コロナのおかげで、製薬メーカーのMRさんが病院に営業に来る機会はかなり減ったのですが、それで困っている、という医者はいないはずです。情報が欲しければ、ホームページで十分で、仕事中に自社商品の宣伝のために面談を求められるのは面倒だし、コロナが収束しても、直接会っての営業はもういいよ、と思っている人は、医療業界に限ったことではないはず。


 とくに日本では、慣例的に残っていた、というか、「効率化したいけれど、それで生活している人たちのことも考えると、一気に替えることが難しかった人間の仕事」がたくさんあったのです。


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 そういう仕事が、この新型コロナ禍をきっかけに、失われてしまう可能性は高いと思います。
 実際、在宅勤務の増加や対人営業の激減などによって、経費が大幅に削減されて、収益が改善した企業も多いのです。


 長期的にみれば、新型コロナによって、日本の「効率化」が進み、「生産性」が上がることになるかもしれません。
 そうなると、仕事を失ったり、コンピュータよりも安く使われる人が増えたりして、格差はさらに広がっていくでしょうけど。


 脱線しすぎました。すみません。


 たぶん、菅さん自身の名誉を守るためにも、ここでの退任は良かったのではないかと思います。


 菅さんは、もっと安定した時期に首相になっていれば、けっこう、うまくやったのではないか、とも感じるんですよ。
 逆に、このコロナ禍の時期は、誰が首相になっても、叩かれたのではなかろうか。
 東日本大震災のときの「#枝野寝ろ」は、感動的ですらありましたが、新型コロナは、あのときのような「危機感」や「一体感」を日本国民には生み出さなかった。
 

 実際、コロナの感染拡大初期には株価は急落し、投げ売り状態になるのでは、と僕も絶望していたのですが、その後は、コロナによる経済の停滞が報じられながらも、株価の上昇傾向は続いています。
 金融資産を持てる人たちはなおさら富んでいき、そうでない人たちは仕事を失い、あるいはリスクの高い「エッセンシャルワーク」に従事するしかなかったのです。


 菅さんの携帯電話料金値下げの圧力というのも、消費税を下げる、あるいは中断できないなかで、「みんなが払っているお金を減らす、実質減税」みたいな狙いがあったのではないかと思うのですが、携帯電話会社の株を持っている人たちにとっては「余計なことすんな!」ですからね(僕も少し持ってます)。


 菅さんが退任して、誰が次の首相になっても、大局的には、日本が、自分が置かれた状況はあまり変わらないだろう、とは思うのです。
 その一方で、「組織というのは、そのトップの力量以上には成長しない」というのも僕自身何度も経験してきました。


 とはいえ、優秀なトップにも「置かれた環境そのものを変えてしまえる人」というのは、そんなに多くはありません。というか、歴史上何人いるだろうか、というレベルです。カエサルとかアレキサンダー大王、ナポレオン、日本では豊臣秀吉、などを思い浮かべますが、彼らは組織のリーダーというより、革命家に近いかもしれません。
 多くのすぐれた(とされる)リーダーは、時代や状況に恵まれていたのです。
 豊臣秀吉だって、江戸時代中期の農村に生まれていれば、目端が利く百姓、として生涯を終えていた可能性が高いのですが。


 菅さんは、ある意味「貧乏くじを引いちゃった人」ではありますけど、この状況に至っては、「辞めて次の人に替わることが最大の御奉公」ではあるのでしょう。
 たぶん、次の人に替わっても、状況はあまり変わらない。
 ただ、菅さん退任発表後の株価みたいに、「気分」が状況を変えてしまうこともある。一時凌ぎの劇薬みたいなものではあるとしても。


 まあでも、あれだけ安倍前首相から、盤石の基盤を受け継いで首相になったと思われた菅総理も「このままでは選挙に勝てない」ということでわずか1年で退任に追い込まれたのですから、日本という民主主義国家の「選挙制度」というのは、けっこう「民意」を反映させる力を持っているのだな、と痛感もしているんですよ。


 なんだか思いついたことをとりとめなく書いてきましたが、結局のところ、何が正解かなんて、よくわからないまま人は生きていて、「あいつはダメだ」とか言い続けている、ということなんですよね。

 
 とはいえ、僕自身も、自分の勤務先で「これまで何をやってきたんだこの人は……」と憤ったあとに、「でも、こういう人と同じ職場で働いているということは、自分も外からみれば同じくらいのレベルの人間なんだな……」と酷く落ち込みます。そんな優秀な人と一緒に働きたければ、Googleにでも就職するか、有名な病院で偉くなれるくらい自分を磨いておけばよかったのに、っていう話ですよね。それができなかったから、そのために努力もしていないから、ここにこうしているわけです。


 「正しい選択をしたから、うまくいった」のか、「結果的にうまくいったから、正しい選択だったということになった」のか、よくわからないことばかりですよね。明らかに間違った選択をしたから、ダメだった、というのは、比較的わかりやすいのだけれども。


 「結果論」って世の中にはたくさんあるのですが、野球の3割バッターと2割の違いって、10回打席に立って、ヒットを1本多く打てるかどうかの違いしかない。それでも、より確率が高いほうを選ぶしかない。


 なんでも「もし自分だったら……」と思うと、他人を悪者とか無能とか上級国民とか言えなくなってくるし、悲惨な事故を引き起こしたり、人を殺めたりするのも、不運や事情がある。とはいえ、何にでも感情移入しすぎると、どんどん自分を生きづらくしてしまう。


 「おまえのせいだ!」って言い放つことができたら、もっとラクになれるのだろうか……


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