いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?


narushima1977.hatenablog.com


この記事を読んで、もうすぐ50歳を迎える僕自身の「仕事」に対する気持ちを整理して、書いてみようと思ったのです。

僕は常々50代の人が何を考えているか知りたいと思ってる。


常々というか、ここ数年というか。


自分が40を超えて、あと何年生きられるのだろう?とか、定年を考えた場合、あと20年というのはどんな時間軸なのだろう?とか、そもそも僕より歳上の50代の方々はあと10年で社会人を終える事にどう考えているのか?


とかしれたらいいなと思っていた。過去形で書いたが今も思っている。


『あと10年で定年の歳ですがこのまま仕事するんですか?』なのか『あと10年働かないといけないと考えたら怖くないのですか?』

いや、もっと端的に言えば『何をモチベーションに生きているのですか?』かもしれない。

それは50代の方を馬鹿にしてるわけじゃなくて、自分が50代になった時のイメージがない。


でも社会はより不安定になり、今の職が今のままのわけもなく、先人はどんな事を考えていたかを知りたいと言う気持ち。


 僕はまだ50歳にはなっていないけれど(あともう少しです)、あと10年か……と考えずにはいられませんでした。
 実際は定年がある仕事ではないので、70代くらいでも現役で働いている人は少なくないのだけれど、日野原重明先生のようなレジェンドは別として、開業して自分のクリニックを持っている、とかでなければ、高齢になれば仕事の幅は狭くなっていくのです。当直とか時間外緊急呼び出しに対応するのも難しくなるでしょうし。


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 正直、仕事に関しては、今の僕を18歳の僕がみたら、がっかりするだろうな、と思います。
 大きな発見をしたり、大学や大病院で偉くなったりすることもなく、難しい手術で生命を救ってきたわけでもなく、患者さんのために身を粉にして働いてきたわけでもない。医師免許の力のおかげで、なんとか食べていけているだけの存在。40代前半くらいまでは「まあ、いざとなったら、ほかの病院に行けばいいや」くらいに考えていたのですが、最近は、「いつまでここで雇ってもらえるかなあ……」なんて「将来」が不安になることもあります。雇用する側からすれば、給料が高くて動きが鈍い高齢者よりも、安くてフットワークが軽い若手のほうが良いに決まっているのだし、医者の世界も「薄給でクソ忙しい病院で頑張っているヤツが偉い」という建前はどんどん化石になってきて、大学に残る人も減ってきています。
 若手は給料が安くて、毎日病院に出てくるのが当然。それが「修行」というものなのだ、という考え方は、いまの若手には通用しませんし、ハードな働きかたを押し付けることも(昔ほどは)できなくなっているのです。


 僕自身は、もう研究でも臨床でも最前線に立つことはないだろうし、大病院の経営者として組織を背負って立つこともないでしょう。
 いまから思い返すと、そういう人たちは、20代、せめて30代前半の頃から、そのための準備を積み上げてきていたのです。
 言われたところに行き、与えられた仕事をやって、それなりの給料をもらって生きる、賞罰なしの人生。
 そういう人生だったから、ぶっ壊れずに生きてこられたのか、もうちょっとやれたのかは、自分でもわかりません。
 振り返ることはあっても、過剰に後悔はしない。これもまた、50年生きて身に付けた処世術なのでしょう。


 いまの僕にとって働く理由の第一は「お金を稼ぐこと」だと言わざるをえないのです。
 毎月、給料日になると、ようやくここまで辿り着いたか、とホッとするのと同時に、次の給料日まであと1か月もあるのか……と怖くなるのです。月末の仕事を終えると「これでとりあえず、来月は給料をもらえるな」と思って、コンビニでちょっと高いデザートを買うこともあります。
 給料日だけが楽しみな大人になんか、ならぬつもりがなっていた。悲しいことです。


 お金を稼ぐということは、家族、とくに子供たちの生活を安定させることでもあるし、正直、子どもたちにとって恥かしくない父親でいたい、とも思うのです。僕はもともと、医学にそんなに興味はなかったのだけれど、わかりやすく誰かの役に立っていることが証明できる仕事として、医学部に進みました。おかげで、本当に医者になりたい人の枠をひとつ奪ったのかもしれない、と想像すると、ほんの少しだけ心が痛みます。


fujipon.hatenablog.com


 にもかかわらず、僕は「二人の子どもが私立大学の医学部に行きたい、と言ったときに、それを許せるくらいの蓄え」を自分に課しているのです。僕は医者にあまりなりたくないのになってしまった人間なので、子どもたちにはなりたいものになってほしいのですが、その一方で、僕が子どもの頃に憧れていた歴史学者や法律家を目指していたら、焼肉屋で値段を考えずに注文したり、新しいゲームソフトを躊躇なく買ったりする生活ができたのだろうか、とも考えてしまう。ブログというのを「趣味」にできているのも、金銭的に困ってはいないからではあります。
 子どものため、というような「わかりやすくて、文句のつけようがない理由」があったほうが、自分が働く理由を自分に説明しやすいのも事実で、僕は毎日、自分を説得しながら仕事に出かけ、帰りの車のなかで安堵のため息をついているのです。
 ひとつブレーキを踏むタイミングが遅れたら、一気に人生が暗転する仕事ではありますし。


 いやほんと、株とか買っているのも、切実に稼ぎたい、というよりは、日常にアクセントをつけたい、という理由のほうが大きいのです。
 ネット経由でお世話になっている人が「お金を稼ぐのって、面白いんですよ」と言っていたのだけれど、そういう面は確かにあります。
 お金は「命の次」ではあるのだけれど、割り切ってしまえば、「お金のやりとりで失うのは、所詮、お金だけ」でもあるし。


 あと、最近考えているのは、僕がやっている日常の医療業務というのは「医者であれば誰にでも(とまではいかないかもしれないが)できることだけれど、誰かがやらなければならないこと」ではあるのです。


 若い頃、大学から個人クリニックの外来のアルバイトに行ったときに、そこそこ元気そうな近所の「風邪」の患者さんばかりが数十人やってきて、「世の中には、こんな『病院』もあるのか……」と驚いたことがありました。原因不明の疾患や罵声が飛び交うカンファレンス、学会発表のプレッシャーに追われていた僕は、「こんな風邪薬だけ出しておけばいい、イージーモードみたいな病院に、やりがいなんてあるのか?」と感じたものでした。

 
 いまや、僕自身が、そういう立場で仕事をして、口に糊しているわけですが、そうなってみると、こういう「医者なら誰でもできそうだが、誰かがやらなければならない仕事」を誰かがやっていることによって、救急車がひっきりなしにやってきたり、最新の研究をしていたりするような医療機関は、そこでしかできない仕事に集中できる、というのも実感しています。


 世界でその人しかできない手術が可能な医者に、一日中、押しかけてくる風邪の患者にお決まりの薬を処方する仕事をさせるのはもったいない。とはいえ、風邪にみえる人のなかには、もっと重篤な疾患を抱えていたり、高度な医療が必要な人もいたりするから、医療の素人がやるにはリスクが高すぎる。
 村上春樹風にいえば、「医療的雪かき」みたいなものです。

 
 「寝たきり状態」の高齢者の日々の療養にも、本人のためだけではなく、「家族の介護の負担を減らして、家族が自分のための時間を過ごすことができるようにする」という役割があるのです。


 同世代が大学で偉くなっていたり、最先端の医療に従事していたり、単著を出していたりすると劣等感は累積していくのですが、まあ、因果応報ではあり、僕は僕で人生の楽しみを見いだしてもいます。やたらとイライラする自分を日々制御しようと悪戦苦闘するのも、つらくはあるが、「人は年を重ねるとこうなるものなのか」と、無理矢理「経験値を上げた」ことにしています。


 僕は基本的に「新しいことを知る」「何かを自分ひとりで延々と考える」のが好きな人間なので、そのおかげで、あまり退屈しないで済んでいる。
 その興味の方向性が医学だったらよかったんですが、なかなかうまくいかないものです。
 とはいえ、それを活かして具体的に何かをする、というのは苦手なんですけどね、残念ながら。


 最近は、人生で何かを成し遂げることに悶々とするよりも、なるべく日々を機嫌よく過ごすことを意識しています。
 何百億もの人間が世界で生まれて死んできたけれど、歴史年表や本の背表紙に名前が残っている人は、ごくごく一握りです。
 それも、人類という儚い存在が続いているあいだだけのことでしかない。


 ……まあ、すっかり割り切って、快楽主義を徹底できる人間でもないのが、困ったものですが。
 諸事情で、1年くらい仕事をせずに生きていたときには、毎日『信長の野望』とか『スーパーロボット大戦』を朝までやっていたけれど、「楽しい」というよりは「朝起きるのが怖かった」ものな。パチンコ屋に出かけては、「こんな朝からパチンコしている中年男なんて、周りからみれば人間のクズだろうな」と落ち込みつつも翌日も行っていました。
 貯金というのがいくらあっても(と言えるほどはなかったけど)、毎月どんどん貯金が減っていく状況というのは、とても落ち着かないというか、すごい焦燥感にさいなまれるものだということも知りました。


 僕にとっては「仕事をちゃんとやって、毎月お金を稼いでいること」そのものが、自分に存在意義を見出すために必要だったのです。
 早期リタイアして、南の島でのんびり暮らしたい、という人もいるけれど、徹頭徹尾インドア人間の僕は、そんなことするくらいだったら、ネットカフェに入り浸っていたほうがたぶん幸せです。貧乏性なのか、働いているからこそ、休みがありがたいし、楽しい、というのも痛感しました。

 
 僕は職業人としてはザコだった、と言わざるをえないのです。
 いや、人間として、何か誇れることもない。
 このまま消えていくのはせつない、と思うこともあるけれど、死んでしまったら、後のことはどうせ自分でもわかんないしな、という気もします。
 まだやること、やれることがある、と信じたい気持ちと、「見るべきほどのことは、見つ」と、投げ出してしまいたい感情が代わる代わるやってきます。


 まあでも、このくらいの年齢になってみると、かえって、諦めがつくというか、旅の恥はかき捨て、みたいなところもあるんですよ。
 僕が大好きだった昔のマイコンゲームの記憶をまとめてみたい、とか、今さらながら動画編集を勉強してみたい、とか、気象予報士の資格に挑戦してみたい、というようなことをとりとめもなく考えています。そしてまた、実際に手をつけることもないまま、年ばかり重ねていく。

 
fujipon.hatenablog.com


 これからの「あと10年」、僕にとっても、毎日「投げ出したくなる自分」との闘いが続くのだと覚悟しています。
 とはいえ、リングからいつか降りる日が必ず来るのだから、リングの上にいられるうちは、抗ってみるのも一興かな、と。


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『夜と霧』の著者である、V.E.フランクルさんが『それでも人生にイエスと言う』という著書で、こう仰っています。

 あるとき、生きることに疲れた二人の人が、たまたま同時に、私の前に座っていました。それは男性と女性でした。二人は、声をそろえていいました、自分の人生には意味がない、「人生にもうなにも期待できないから」。二人のいうところはある意味では正しかったのです。けれども、すぐに、二人のほうには期待するものがなにもなくても、二人を待っているものがあることがわかりました。その男性を待っていたのは、未完のままになっている学問上の著作です。その女性を待っていたのは、子どもです。彼女の子どもは、当時遠く離れた外国で暮らしていましたが、ひたすら母親を待ちこがれていたのです。そこで大切だったのは、カントにならっていうと「コペルニクス的」ともいえる転換を遂行することでした。それは、ものごとの考えかたを180度転換することです。その転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだ何を期待できるか」と問うことはありません。いまではもう、「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。


 ここでまたおわかりいただけたでしょう。私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。そしてそれは、生きていることに責任を担うことです。


「でも自分は、そんな立派な仕事もしていないし、子どももいないし……」と言いたくなる人も多いと思うんですよ。


 フランクルさんも、もちろんそういう反論が出てくることは承知していて、

 けれども、たとえば失業者の場合はどうなるのか、とここで異議を唱える方もあるでしょう。でも、お忘れにならないでください。職業上の労働は、自分の人生を活動によって意味のある唯一の場ではありません。


と仰っています。

 それよりは、つぎのような思考実験をするだけにしておきたいものです。ぜひ思い浮かべてみてください。あなたは、コンサートホールにすわって、大好きなシンフォニーの大好きな小節が耳に響き渡っているところです。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれているとします。そこで、想像していただきたいのです。心理学的には不可能でも、思考実験は可能だとおもいます――その瞬間にだれかがあなたに「人生には意味があるでしょうか」とたずねるのです。そのときたった一つの答えしかありえない、それは「この瞬間のためだけにこれまで生きてきたのだとしても、それだけの甲斐はありましたよ」といった答えだと私が主張しても、みなさんは反対されないと思います。
 けれどもまた、芸術ではなく自然を体験した人にしても、おなじことでしょうし、ひとりの人間を体験した人にしてもおなじことなのです、ある特定の人を目の前にして心を捉えるあの感情、言葉で表現すると、「こんな人がいるだけでも、この世界は意味をもつし、この世界のなかで生きている意味がある」とでもいいたくなるような感情は、だれもがよく知っています。


 「一時の快楽に溺れるな」と言われがちだけれど、「一時の快楽」こそが、生きる理由なのかもしれない。
 理由とか意義とかを考えるよりも、ただ「いま、自分がやるべきことをやる」。そして、「楽しい瞬間を大事にする」。


 僕自身は邪念のかたまりのような人間で、こういう先人の言葉に頷きつつ、それでも、何か意味があることを世界に残せないものか、なんて考えてしまうことばかりなのですが、そんなふうに終わりのときまで迷い続けるのが「ふつう」なのかもしれませんね。そんな「ふつう」が、イヤなんだけど、僕は昔自分が期待していたよりも、ずっと「ふつう」だった。


 僕の両親はふたりとも50代で亡くなっていて、「こんな悟りには程遠い年齢で人生を終えてしまったのか……」と、そのときの両親の心境を想像しようとしてしまうのです。結局、わからないというか、うまく想像できている自信がないのだけれど。


 ウソだろ、50代って、こんな未熟で未練もいっぱいある年齢だったのか。いま「あなたはもうすぐ死ぬよ」って言われても、次男の小学校卒業くらいまで、待ってくれないか、いやせめて来年の日本ダービーくらい見せてくれ……」と足掻くだろうなあ。


(この文章が「死亡フラグ」になりませんように……)


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