いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

個人ブログの「余生」について


mabatakiwosurukarada.hatenablog.com


 古賀及子さんの「まばたきをする体」のことは、『はてなブログ』のこの記事で知って、それ以来、ほぼ毎日欠かさずに読んでいたのです。

blog.hatenablog.com


「日記らしい日記」って、案外ありそうでないというか、最近はあまり見かけなくなりました。
無くなってしまったのが、僕の視界に入らなくなってしまったのかはわからないけれど。

僕自身、けっこう長い間、『さるさる日記』から、文字通りの「日記」を書いていたんですよね。けっこう長い間、毎日更新していました。書くことがないときは、カープの試合にだいぶ助けられてもいたのです。

しかしながら、2019年くらいから、書く日が減ってきたのです。
2018年は279日更新していたのですが、翌2019年は115日、去年は85日。
自分のなかで、「毎日更新しなくてもいいかな」と決めてしまうと、本当に更新頻度が減りました。
子どもたちがだいぶ大きくなってきたので、家族のことはなるべく書かないようにしよう、というのもあったのです。
書く側にとっては「微笑ましいエピソード」であっても、書かれる側にとってはそうとは限らないし、「ネタにされることそのものが不安あるいは不快」なこともあるでしょうし。

前はもっと備忘録というか、まさに「生活の記録」的なものを書いていたのですが、最近はもう少し「日々考えていること」にシフトしていくつもりだったのですが、それはそれで、この『いつか電池がきれるまで』との境界が不明瞭にもなりますし。
日記として書いていたものを、結局、こちらにアップロードしたことも何度かあります。ぶっちゃけ、こっちに載せたほうがたくさん読んでもらえるだろう、みたいな色気も出てくるし。実際のところ、このブログの更新頻度も最近は激減していますし、「ネタがないときにでも、ひねり出して更新しておこう」みたいな気持ちは薄れてきました。もうそろそろ50歳になろうという年齢になって意識しているのは、なるべく日々機嫌よく過ごしたい、ということなんですよ、本当にそれだけです。

僕自身、他者のブログなどの文章コンテンツを読む量が減って、YouTubeでゲーム実況を観たり、昔の『ゲームセンターCX』を観なおしたり、アマゾンプライムでちょっと前のアニメ『とある魔術の禁書目録』とか『リゼロ』の第1期とか、『シュタインズ・ゲート』とかを、今更のように1日1話ずつ観て過ごしています。ライトノベル系の作品って、「主人公はどうしてこういう人間なのか?なんでこんな『いいやつ』になることができたのか?」とか、「なぜこいつはこんなに悪いことをしているのか?」という「背景」が語られないまま、「とにかくこいつはこういうやつってことになっているんだよ!」って話が進んでいくのが、昔の僕は納得できず、「浅いな」とか思っていたのですが、今はけっこう、「ま、それはそれで、面白いキャラクターとか設定が楽しめればいいか」みたいな気分になっています。『リゼロ』とか、テレビゲームのRPGという「下地」があって、一般化されたからこそ生まれた作品だよなあ。


fujipon.hatenadiary.com


自分ではメインサイトのつもりの『琥珀色の戯言』も、長年、本当に365日毎日本や映画の感想を更新し続けてきたのですが、何年か前から「日曜・祝日は更新しない」ことにして、今年からは、水曜日か木曜日、週の半ばに一日休むようになりました。
なんらかのリアクションがあるかと期待していたところもなくはないのですが、全くと言っていいほど反応はなく、やっぱり、更新しない日は2~3割くらい読んでくれる人が少ない、という結果が出ている程度です。自分が読む側として考えると「毎日更新」というのは楽しみであるのと同時に、負担というか、一日読み逃してしまうと、もういいかな、となりやすいのかもしれません。


ネットニュースとかSNSとか、スマートフォンでの「文字コンテンツ」は相変わらず強いし、「迷惑系YouTuber」みたいなのも少しずつ下火になってきているようにみえます。ソーシャルゲームも、『サクラ革命』の短期終了をみると、メーカー側も「可能性が低そうなものは、早めに見切る」方向にシフトしてきているようです。


sakura-kakumei.sega.jp


ネットコンテンツも、さまざまなデータの蓄積で、「初動がダメだと盛り返すのは難しい」ということがわかってきて、「損切り」が早まっているのでしょう。
ネットも安定期に入ってきたのか、どのサービスでも新規参入の障壁は、高くなっています。

個人ブログも、僕自身が観測できる範囲では、PV(ページビュー)数が、かなり減っているところが多いようです。
僕自身に関しては、5~10年前に比べたら、3分の1から4分の1、というのが現状です。
単に僕が飽きられてきた可能性も高いですし、Googleの検索順位の仕組みが変わった影響、なども言われているのですが、僕自身も個人ブログをあまり観なくなり、新規開拓もやらなくなったんですよね。
僕みたいにこの世界に執着がある人間でさえ、その執着が薄れてきたのだから、個人ブログ、ネット日記というコンテンツそのものが、全体としては、どんどん衰退してきているということなのでしょう。いやnoteで書けよ、あそこはまだプラットフォームとして注目されているから、とも思うのですが、僕自身は『はてな』のデザインや操作システムに慣れすぎていて、もう他所でどうこう、と積極的に動く気分にはなれないのです。この船が沈むのであれば、もう、一緒に沈んでもいいかな、と。ブログの広告とかももっとシンプルにして減らしたいのですが、途中であれこれいじりすぎて、もう自分でも何がどうなっているのかわからなくなってもいるのです。お金のためにやっているのではないけれど、少しでもお金になると、衝動的に止めたくなったときの抑止力にはなるんですよね。

僕は自分のブログを「長すぎる遺書」だと言い続けてきたのですが、長すぎて自分でも書き疲れてきた。
……とか書くと「じゃあさっさとやめちまえ」と厳しいコメントをくださる方もいるのですが、やめろと言われてやめられるくらいなら、こんなに続けてはいません。というか、アルコール依存やギャンブル依存になるよりはマシな依存だと思っているだけです。本当は、もっと世の中の役に立つことに向いていればよかったのでしょうけど。

資産形成とか投資とか株とかを勉強してみて、ひとまわりして痛感するのは、もっとも確実な投資は、なるべく身体を壊さないように働いて、毎月給料をもらい続けること、なのです。ギャンブルの才能がない人間にとっては、それが最適解だと思う。
なんのかんの言っても、僕自身は、そんなにつらくないレベルであれば、仕事をしていたほうが精神的にも安定していますし(と言いながら、毎晩眠剤を飲み、「精神を安定させる漢方」も手放せないわけですが、まあ人間このくらいが「ふつう」なのだと思いたい)

僕は基本的に読むのも書くのも大好きだし、ブログをやめる、ということは無いと思うのですが、2000年代のはじめの時期のような、ブログがどんどん「育って」いく、右肩上がりの時代が懐かしくなることもあるのです。いまは、ブログはエントリ単位で消費され、すぐに忘れられていきがちだけれど、あの頃は、「それを書いている人」に興味を持ち、他のエントリも読んでくれる人もいましたし。いや、わかるんですよ。今は本当にネット上の情報がたくさんあるから、勧められたものを消化するだけで精一杯、というか、消化しきれないし。

ただ、その一方で、何か新しいことをやりたいな、やってみたいな、ということも、あるんですよねやはり。
50年間できなかったことが、あと10年でできるのか?と自問してもいるのだけれども。


totemo-johin.hatenablog.com

最近、このエントリを読みながら、考えていたのです。
これまでは、「ネットで、ブログやSNSに書けば、何かが起こる、誰かが助けてくれるかもしれない」と、なんとなく思っていたし、そういう事例もたくさんありました。
でも、いまは溺れている人が多すぎて、よほどアピールが上手くないと、救い上げてはもらえない。
JFKじゃないですが、現在は「ネットが自分に何をしてくれるか、ではなくて、自分がネットに(あるいはネットで)何ができるかを考えるべき時代」になっているのです。


そんな「意識の高いブログ」だけが「正しい」のではなくて、「自分の生きている証として書いた、自分以外の人には興味を持たれない、ただの日記」こそ、個人ブログの最大の魅力だし、最後まで生き残るんじゃないか、とも思います。

こういう時代だからこそ「毎日更新」は、それだけで意味があるのかもしれません。

世の中、どんな奇抜な思考も、どこかに同じようなことを考えている人はいるものだけれど、自分の「生活」や「日常の気づき」って、自分だけのものですし。


[fujipon.hatenablog.com
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