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「昔のインターネット」の話になると、つい、いっちょ噛みしてしまいたくなる(今では「擦る(こする)とか言うんですかね)。
僕自身の記憶を辿ってみると、2000年代、まだISDN全盛の頃から、ホームページビルダーで個人サイトを作っていた頃、そして、眞鍋かをりさんが「ブログの女王」と呼ばれ、雨後の筍のようにブログサービスが立ち上がっていった時期の頃は、「楽しかった」というか、「とにかく時間を惜しんで更新していた」のだ。仕事は今よりずっと忙しくて時間に追われていたのだが、夜遅くに帰ってから睡眠時間を削って毎日更新していた。
いやむしろ、忙しくて仕事にもあまり夢中になれず、生き甲斐をブログにアウトソーシング(外注)していたのではないか、とさえ思う。
12年前にはこんなことを書いている。
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2000年代といえば、『ReadMe!』のランキング争いとか『テキスト庵』のことを思い出す。
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いま、検索してみて、2007年まで『ReadMe!』が続いていたということに、少し驚いている。インターネットの世界は「ドッグイヤー」(犬の1年は、人間の7年に相当すると言われている)なんて言われているけれど、イメージほど昔の話でもないのだ。
あらためて考えてみると、あの時代のインターネットで何が楽しかったのか、というと、何か自己表現をしたかったけれど、いろんな人生の流れみたいなもので、あまり向いていない職業についてしまった僕が、自分の「クリエイティブなことをやりたかった、という怨念」を低コストでぶつけられる場所が、インターネットだったような気がする。
僕が中学生の頃は、小説とかゲームブックとかを自作して、教室で数少ない同好の士に読んでもらうくらいが関の山だった。
それが、インターネットでは、顔も見えない、不特定多数の人に読んでもらえる可能性があったのだ。
今から考えると、相当恥ずかしい宣伝的なこともやった記憶がある。
普段の生活とは別の「インターネットの中の自分」がいる、というのは、なんだか不思議で、精神的な避難所でもあった。
そして、当時のインターネットは、どんどん使っている人が増えていき、右肩上がりの時代だった。
頑張って更新していけば、読んでくれる人が増えやすい時代でもあったのだ。
X(Twitter)とかでもそうだよね。サービス開始の頃は、みんなフォロー、フォロワーを増やしたいから、フォローするハードルが低い。
最初の頃にはじめた人は、すごい勢いでフォロワーが増えていく。
でも、今、2023年にアカウントを作ったとしても、最初から有名な人でなければ、フォロワーを増やしていくのは難しい。
飽和、していくのだ。
最近Xでフォローしてくるアカウントは、あやしい宣伝みたいなのばっかりだし。
初期のファミコンでは、『燃えろ!プロ野球』とか『忍者ハットリくん』も大ヒットした。
発売されるゲームが少なく、みんな新作に飢えていたから。
でも、今は、Steamのセールで買ったゲームライブラリを眺めて、「こりゃ死ぬまでに全部クリアするなんてすでに無理だな」と思っている。
結局のところ、成長している業界は、その全体の熱量で「面白かった記憶」がブーストされる、のだろう。
今、新しい自己表現の場を「ブログ」に求める人はほとんどいない。
学校の授業でブログを作らされるような時代に、ブログに「別世界感」や「ロマン」を感じるのは難しい。
「SNSやブログで炎上し、実生活に悪影響を与えない作法」を学ぶ大多数の人と、わざと炎上して注目を集めてお金にする、ごく少数の「炎上商法の人」に二極化してしまった。
ブログのコメント欄もトラックバックもほぼ死に体だし、よほどのことがないかぎり「炎上することすら難しい」時代になった。
読まれなくても書く、自分のために書く、とは言うけれど、お金になるならないは別としても、読んでくれる人が少ないと、僕の場合はモチベーションは下がる。
とはいえ、長年やってきて痛感するのだが、狙って読まれる記事を書けるほど精度が高い照準を持ってはいないのだ。
すでに一般人のブログに「オピニオン」的なものは求められておらず、かえって「普通の日記」のほうが読まれている気がする。
これは、僕が読むブログの傾向がそうなっているだけなのかもしれないが。
SNSで「医療クラスタの人たちの発言」を眺めていると、20年前にブログで「リアルな医者の生活」を書いていた僕でさえ、「何もわざわざそんな医療への信頼度を下げるようなことを書かなくてもいいのに」と思うことが少なからずある。
まだブログというのが流行り始めた時期に、夜中に落ち着かない(認知症・不穏の)患者さんを「ヤク(睡眠薬)で寝かせちゃうぞ」と書いた医療従事者ブログが大炎上したことがあった。今から思えば、牧歌的な時代ではあった。
でも、同業者としてXの「医療クラスタ」をみていると、SNSで話題になる専門職のアカウントというのは、よほどの業績を残している人以外は、良くも悪くも「正規分布外」の人が多いので、たぶん他の業種でもそうなのだろうと思っている。
「普通じゃない」からこそ読まれるのだが、アクセスしてくる人が多いため、そういう人が「その職業の標準」なのだと勘違いしやすい。
昔から、「この人は『本物(本当にその仕事をしている人)』なのか?」とネット上では疑問になることが多かったけれど、今のX(Twitter)とかだと、みられることが収益につながることもあり、なおさら釣りなのか本音なのかよくわからなくなってしまった。
というか、僕はもう、「SNSに書いてあることは、原則的に虚飾か嘘か釣り」だと判断している。
大手通販サイトと予約システムだけが、ネットの「真実」。
「嘘や誇大広告かもしれない可能性」を含み笑いをしながら眺めるのが「ネットでイキがっている連中を眺める作法」だ。
(僕の)ブログは読まれなくなっている。いちばん人が来てくれた時代の10分の1くらいになった。
突然いなくなったり、ほとんど更新しなくなったりもするし、自分でも「同じことを繰り返しているだけになっている」と思う。
そもそも、こうして書いている僕自身も、他者のブログを読む頻度がだいぶ減ってきていて、お気に入りの日記的なものか投資情報かテレビゲームの話、あるいは、昔馴染みがたまに更新すると読む、という程度だ。
SNSでは個人ブログはあまり話題にならなくなったし、『はてなブックマーク」でさえ、個人ブログはあまり興味を持たれなくなってきている。
昔は「知らない人が読んでくれて、世界が広がっていく」(逆に、いきなり言及され、叩かれることも多かった)のだけれど、今は、交流がない人のブログにリンクして話題にするだけで(批判していなくても)迷惑がられる時代だ。
僕もこれまでブログを休んでいた時期は「書きたい、公開したい」という欲求に抗う日々になることが多かった。
だが、今年の春に閉鎖したときには、「もうこれでいいかな」とずっと思っていて、「書きたい」気持ちになかなかなれなかった。
宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』を長男を一緒に観たときのことは、どうしても書き残しておきたくなったので、「再開」はしたけれど。
最近は、「これを書きたい」とか「更新しなければ」と思うこともほとんどなくなってきた。
いまも、「まだ書けることはある」という気持ちと、「もう自分の出番は終わったな」という諦念が入りみだれているし、年を重ねたからこそ「老害は世の中をどうみているか」を発信して、立ちはだかりたい、と思わなくもない(何に立ちはだかるのか、というのが、自分でもよくわからないが)。
僕は「今のインターネットは自由さも創造力もなくなって、金の話ばかりでつまらなくなった」としばらく思っていた。
ここで情報を集めるのは、あまりにも効率が悪い、とも。
でも、最近、ネット大好きの子供たち、とくに長男が、「ネット仲間」たちと趣味の歴史に関するやりとりやリレー小説を楽しそうにやっている(みたい)なのを眺めることが多くなった。
結局のところ、インターネットは「場」でしかない。
僕は近所の公園で楽しく遊ぶことが難しい大人になってしまったけれど、子どもたちは、そこでいろんな遊び方を創造し、仲間たちと楽しくやっている。
そこが変わったのではなくて、僕の年齢や立場が変わっただけなのかもしれない。
あるいは、新しい人たちは、僕には思いつかなかった新しい遊びかたをそこに見出している。
僕は、自分が昔遊んでいて、今は他の人たちが楽しそうに過ごしている場所を、なるべく良い状況で遺していきたい、と思うし、たまには「いっちょ噛み」していきたい。
そして、せっかくだから、僕が過ごしてきたテレビゲームやネットの黎明期を、数多の証言のひとつとして、ビッグデータのひとつとして、書いておきたい。
それで、やっぱり少しでも多くの人に読んでもらいたい。
もう、お金よりも、ちょっとくらいは世界に対して良いことをして死にたいなあ、と思っている。
自分より少し上の世代の人たちが、中高年になって「社会」について語り出すのに困惑していたのだが、これも人間の「遺言」ならぬ普遍性のある「遺行動」なのかもしれない。どうで死ぬ身のひと踊り。
「お前がさっさと退場するのが、世界のためなんだよ!」というブックマークコメントがつくのが目に浮かぶ「はてな脳」の自分が悲しいけれど。