いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「なんでGoogleで検索しないのだろう?」とcakesの人生相談炎上をみて思った。


cakes.mu


またcakesか!みたいな話ではあるのですよねこれ。
この回の幡野さんの回答に対して、しかるべき公的機関の窓口などをちゃんと紹介すべきだ、という批判が集まったのも、これまで重ねてきた失態を考えると、致し方ないところではあります。


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個人的には、引っかかっているところもあって、本当に相談者が問題を解決することを第一に考えているのであれば、ネットの「人生相談」に投稿するだろうか?それも、幡野さんという回答者を選ぶだろうか?とも思うんですよ。

そもそも、今の世の中で、本気で問題解決をするための手法として、「ネットでの特定の回答者宛ての人生相談コーナー」の優先順位が高いとは思えないのです。

僕個人の見解としては、幡野さんの人生相談は「幡野さんに聞いてもらいたい、ネタにしてもらいたい」という人が投稿し、それを予定調和的に幡野さんが斬ってコンテンツにしている、というものです。
それはそれで、悪いことではなかろう、というか、回答に対して批判が集まって、炎上商法的にPV(ページビュー)が増えるのもある程度想定内ではなかろうか。
逆に「ちゃんとしているけれど、誰も読まない人生相談」は、有料コンテンツとしては成立しない。
 
このやりとりを読んでいて、僕は思うのです。
14歳なら、誰かに相談するより、Googleで「検索」したほうが、問題解決の方法としては迅速・確実じゃない?って。
僕自身は、けっこう長い間、他人に人生相談ということをしていなかったのです。
正直、めんどくさい人間である僕のことを自分以上にわかっている人がいるとは思えないし、選択の結果を「誰かのせい」にしてしまうのが怖かった。もちろん、状況に応じて(たとえば、病気の治療や転職時の条件について)専門家の意見を聞くことはありましたし、僕自身は見栄っ張りなので、他人のほうが、僕の「本質」みたいなものを捉えているなあ、ということも年齢とともに理解できるようになりました。
それでも、誰かに意見は聞いても、決めるのは自分。
競馬予想みたいなものですよね。予想家の話は興味深く聞くけれど、誰かの予想を鵜呑みにして、それが当たっても、僕はあまり嬉しくない。だから、参考にはするけれど、最後に決めるのは自分。

消されてしまった回答をみたときの感想としては、「社会的な問題解決には役立たないが、相談者の『幡野さんに話を聞いてほしい』という欲求は満たされただろうな」だったんですよ。
 

しかし、14歳なら、Googleで問題解決のための手がかりや専門家へのアクセス方法を「検索」できないのだろうか。


僕は12歳の長男が、コンピュータの技術的な問題やニンテンドースイッチの設定や日常の疑問について、あまり積極的に「検索」しないことを意外に感じてもいるのです。
親の欲目かもしれませんが、それなりに賢明な人間に育っているのだけれど、「検索すればわかる」はずのことで、煮詰まったり、考え込んだりしていることがけっこうあるんですよね。
それで僕に「新しい〇〇を買ってくれない?」なんて聞いてくるのだけれど、検索して設定を変えるだけで目的は果たせてしまう。

この14歳の子も、本当に問題を解決したいのであれば、身近な大人に相談するか、ネットで検索していたのではないか?とも思うんですよ。

でも、自分だったら、と考えると、身近な大人には、かえって相談しにくいし、14歳だと、ネット経由でも、直接専門家にアプローチするのも難しいかな、とも思う。
 
幡野さんや鴻上尚史さんの人生相談に人気があるのは、彼らは「人には赤の他人だからこそ話せる、話しやすい、という場合がある」ことを知っているからではないか、とも思います。


fujipon.hatenadiary.com
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ネットでの「名無しさん」のアドバイスって、「これをプリントアウトして精神科へ」みたいなことを言う人が少なくないのだけれど、それができる人なら、すでにそうしているに決まっている。

プライべートな場での相談なら、「話を聞いてもらってラクになった」というケースも多くて、実際、相談される側になると、ほとんどの人は、答えがわかっている、あるいは、自分なりの答えをすでに持っているんですよね。それを声に出して誰かに聞いてもらって確認したいだけで。

僕自身は、「ああ、正論で打ち返す必要なんて無いというか、むしろ、正論で相手を追い詰めるような人間だったから、他人に相談されなかったんだな」と気づくまでに、だいぶ時間がかかりました。
「相談するのもされるのも好きじゃない」のは相変わらずですが。


「人生相談」って、何か連載をしようとするときに、真っ先に思いつく「向こうからネタがやってきてくれるコンテンツ」なんですよ。ところが、実際に「正論」で相対していても、誰も読んではくれない。
中島らもさんの『明るい人生相談』なんて、基本的には、ネタをネタで打ち返す、みたいな内容でしたし。


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ましてや、ネットで専門家にもアプローチしやすくなり、ほぼリアルタイムで相談できる時代に、ネットや大手メディアでの有名人による「人生相談」というのは、まともであればあるほど「役割を終えた」という気がします。

cakesにとっての「人生相談」って、松本人志さんのテレビでの発言を載せる「ニュースサイト」や、菜々緒さんのインスタグラムでのセクシー画像と同じ「コンテンツ」なんですよ。相談者の側も、それはわかっていたのではなかろうか。わかっていたけれど、むしろ「コンテンツのひとつ」になりたかったのかもしれない。

率直に言うと、cakesの編集者は、センセーショナルであること、注目されることを重んじるあまり、ネットの人生相談で取り扱うべきではない質問を選んでしまった、それが最大の過ちだった、ということだと思うんですよ。


個人的には「なんでGoogleで検索しないのだろう?」と思うのだけれど、僕の子どもたちをみても、Googleが存在するのが当たり前の時代を生きてきた若者たちは、かえって、「検索するのが面倒」あるいは「上手な検索のしかたがわからない」ようになってしまったのではないか、という気がしているのです。

そもそも、検索も、SEO対策とかで、調べようとしても「いかがでしたかサイト」とかが出てきて、萎えることも多いからなあ……


fujipon.hatenablog.com
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ある意味「検索」「ネットでのランキング」「ネットの集合知」よりも、「知り合いの口コミ」「信頼できるリアル友人への相談」のほうが重宝される時代に回帰してきているわけで、ミノフスキー粒子のおかげで、接近戦しかできなくなったガンダム世界みたいだな、と、言っている本人にもよくわからないようなたとえを思いついてしまいます。

検索って、リスクを回避するためにも便利で、「スマホの着信番号をそのまま検索する」だけでも、余計なリスクや応答の手間が省けるし、いろんな物事のやり方が、動画などで詳しく紹介されている場所にたどり着くこともできるのだけれど。

「検索というひと手間」をかける習慣って、積み重ねていけば、だいぶ人生変わってくるのではなかろうか。
僕が若い頃は、「成書にあたらずに、ネットで調べたことを鵜呑みにするなんて!」と、よく怒られたものではありますが。


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