いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ホームレス」について、興味本位で書くことと『cakes』『note』の見世物小屋化


cakes.mu

 この記事が「炎上」しているというか、多くの批判を受けています。
 僕も読んでみたのですが、なんとなく「取材」って言葉を使わなければ、もうちょっと風当たりは弱くなったのではないか、と感じました。
 たとえば、「ホームレスの人たちと3年間付き合ってきてわかった、彼らのミニマリスト的生活術」とかいうタイトルにして「取材」という言葉を文中に出さなければ、こんなに叩かれることはなかった気がします。
 『note』と『cakes』は、炎上しやすい題材をあえて扱っているのか、不祥事が多発したため、「炎上させたい人」に目をつけられているのだろうか(たぶんこの両方なんでしょうけど)。


 3ヵ月くらい前に、ホームレスについて書いた、村田らむさんの本を読みました。

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 村田さんは、長年「ヤバい現場」に自ら足を運んで書く、「実話系」のノンフィクションライターなのです。
 ホームレス関係の著書もたくさんあります。

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ホームレス大博覧会

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ホームレス大図鑑

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ホームレス・スーパースター列伝

ホームレス・スーパースター列伝

  • 作者:村田らむ
  • 発売日: 2015/08/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 村田らむさんが、「ホームレスを上から目線で取材している」とか「彼らの苦境に目を向けず、興味本位で書いている」というような批判を受けているのを僕は見たことがありません。
 それは、村田さんが「ホームレスと自分には境界がない」ことを自覚しながら彼らと長年付き合っているように感じられることと、発表しているメディアが、いわゆる「実話系雑誌」で、暴力団の抗争とか、エログロ、B級スキャンダル好きな人以外はあまり手に取らないという「ゾーニング」が(明示されているわけではなくても)なされているという面もあるのでしょう。

 なんのかんの言っても、「男性向けのエロ雑誌」には女性を性の対象としてしか扱っていない記事があり、「女性向けの雑誌」には、男性をイケメンかどうかや収入で値踏みするような記事が、今でもたくさん載っています。
 そういうのがいちいちネットで炎上しないのは、バカにされている側が「存在を知らない」のと、雑誌文化が終末期になり、読んでいる人数が少ない、というのも大きいのだと思います。
 結局のところ、炎上するかしないか、というのは「影響力のある誰かに見つかるかどうか」や「どのメディアに書かれているのか」なのかもしれません。
 あと、書いている人や媒体への好感度も影響がありそうです。

 『ホームレス消滅』の著者の村田らむさんは、長年、ホームレスについての取材を続けている人です。
 村田さんの場合は、ホームレス=弱者、保護すべき人であり、社会問題として告発しよう、というスタンスではなく、そういう他人とは違う、一般社会から外れて生きている人たちに興味がある、ように見えます。
 だからこそ、村田さんが書くホームレスには「人間味」があるし、面白い。
 僕の「怖いもの見たさ」みたいな下世話な気持ちも否定はできないけれども。

 そして、冒頭の『cakes』の記事と、村田らむさんが描く「ホームレス」は、そんなに違うものだとは僕には思えないんですよ。
 もちろん、世の中には、もっと「社会問題として『ホームレス』を扱っている、ちゃんとしているけれど堅苦しくてエンターテインメント性が低い書籍やノンフィクション(あるいは「論文」)」も存在しています。でも、そういうものを手に取って読んで、自分で何かをする、という人はごくわずかです。
 こういう「興味本位のノンフィクション」のほうが、読みやすいし、多くの人にとって、現状を知る「きっかけ」にはなり得る可能性は高いはずです。
 個人的には「なんか他人事というか、異世界体験記みたいで、感じ悪いなあ」っていうのは、あるんですよ、冒頭のエントリに関しては。
 不躾な言い方をすれば、村田らむさんが叩かれないのは、村田さん自身も「あちら側(ホームレス側)の人っぽい」というイメージがあるし、村田さん自身もそう言い続けているからでもあるんですよね。

 「われわれだって、何かちょっとしたことがきっかけで(たとえば、急病や親の介護に伴う離職や家庭崩壊や失業など)、ホームレスになるかもしれない」
 それが理屈ではわかっていても、それを毎日、毎分、意識しながら生きている人はほとんどいないはずです。それはあまりにも人生ハードすぎる。
 冒頭のエントリが燃えてしまったのは、「これは異世界体験ものなんですよ」と親切に(あるいは正直に)明示してしまったから、でもあるのです。

 でも、「彼らは、弱者として憐んでもらい、恵んでもらうことを本当に望んでいるのか?」というのは、疑問でもあるんですよ。

 バカにしたり露骨に差別したりするのは論外ですが、ずっと「かわいそうな人たちだから、助けてあげなくては!」という目で見られるよりも、「何か面白そうなことをやっているなあ。ワクワクするなあ」というアプローチをされたほうが、人は心を開くような気もしますし。


 村田らむさんは、前掲書で、こう述べておられます。

 先の物乞いをしているというイメージの影響もあると思うが、ホームレスに対して、「なぜあいつらは働かないのか?」と怒る人がいる。こう指摘する人は、僕の周りだと組織で働いている会社員に多い。
 だがそもそも、ホームレスの多くは働いている。厚生労働省地方公共団体の協力を得て2016年10月に行った「ホームレスの実態に関する全国調査(以降・生活実態調査)」でも55.6%、つまりホームレスの半数以上は仕事をしている。ホームレスの平均年齢は61.5歳。厚生労働省の2017年の就労条件総合調査によれば、60歳を定年としている企業はいまだに79.3%であるから、ホームレスは年を取っても引退することなく、よく働く人たちといえるだろう。
 そして、ホームレスは、過酷で低賃金の労働をしている人が多い。
 最も一般的なのは廃品回収業だ。職を持つホームレスのうち70.8%はこの廃品回収業に従事している(参考・生活実態調査)。中でもアルミ缶を集めて生活している人が多い。都市部では、アルミの空き缶をいっぱいに入れた袋を自転車やリヤカーに積んで街を練り歩くホームレスを見かけることができる。


 ホームレスのなかには、「組織のなかで働くことができない」とか「人間関係が煩わしい」とか「いろんなものに束縛されるのがイヤ」というような理由で、自らホームレスで居続けることを選んでいる人も少なくないのです。
 「ホームレスを卒業する」ための手段は、生活保護をはじめとして、それなりに充実してはいますし、著者が取材したホームレスのなかにも、生活保護を受けるように勧められたけれど断った人もいたのです。

 ホームレスについて、「汚い」「臭い」というイメージを持っている人も多いが、より漠然と「ホームレスは怖い」と思っている人もいる。とりわけ、女性には多いかもしれない。先述した通り、そもそもホームレスはほぼ男性だ。加えて、周りに誰もいないのに怒鳴り散らしていたり、突然奇声を発したり、不衛生にしてゴミを散らかしていたりなど一般人に迷惑をかけるホームレスも一部いるので、怖いと思われているのはある種、仕方がない。
 ただ、ホームレスに話を聞く身からすると、一般人のほうが怖いと思うことがある。
「中学生らしき集団に花火を打ち込まれた」
「身体やテントに火をつけられた」
「酔っ払ったサラリーマンに蹴り飛ばされた」
「自転車を投げつけられた」
 このような未成年や酔っ払いを代表とする一般人によるホームレスへの暴力話には枚挙に暇がない。生活実態調査では、14.7%のホームレスが「ホームレス以外の人にいやがらせを受けて困っている」と回答している。


 「ホームレスは怖い」ときもあるかもしれないけれど、「相手がホームレスであるときの一般人のふるまい」も、それ以上に怖いのです。
「自転車を投げつけられた」って、『龍が如く』かよ……
 暴力だけではなく、「貧困ビジネス」の標的にされることもあります。
 ただ、福祉関係者によって施設に収容されたり、生活保護を受けられるようになっても、「他人との共同生活がつらい」とか「飲酒や喫煙を自由にできない」というような理由で、ホームレスに戻ってしまう人も多いようです。

 こういう「実態」は、どのくらいの人に知られているのだろうか。


 正直、「ホームレスも『生き方の選択』のひとつなのだ」と本人に言われたら、「それは絶対に違う」と言い切る自信は僕にはありません。
 彼らと好奇心で付き合ったり、それを文章にしたりするのは「下世話で下品」かもしれないけれど、僕も下世話で下品な人間なので、好奇心に駆られて読んでしまうのです。
 それでも、「知らない」よりは、「知って、少しは考える」ほうがマシではなかろうか。

「上から目線で、未開の地への旅行記のように書いている」のが不快だ、という言い分は理解できるのだけれど、世の中には「不快」なものはたくさんあるし、それを「認めたくない」と言う自由もあります。
 ですが、冒頭のエッセイに関しては、「だから書くな」と強制されるような内容ではない、というのが、僕の考えです。
 不快なら、あなたが(そして僕が)読まなければいい。その自由が、われわれにはあります。
 まあ、そう言うと、「お前がブックマークコメントを読まなければいいだろ」って言いだす人が出てきて、堂々巡りになっちゃうんですけどね。

 『cakes』『note』が、どんどん「(著者がどれほど変わった人であるかどうかの)見世物小屋化」している、とは思うのだけれど、「現実では触れるのに躊躇する『困った人』『変わった人』を安全圏から観察できる」というのは、インターネットが生み出した新しい娯楽なのです。
 ネットがどんどんリアルとシームレスになり、みんなが「現実で言えないことは、ネットでも言わないように」用心していくなかで、『note』は、『YouTube』『はてな匿名ダイアリー』とともに、「ネット黎明期を思い出させる、悪趣味な人間観察ができる場所」になっています。
 でも、文章を書くとか、ネットで世の中に対して何かを発言する、なんていうのは、基本的に危険で不粋で下世話なことなんだよね。僕もときどき、自分がすごく嫌になります。でも、やめられない。何度かやめてみたこともあったのですが、まだ依存から脱け出せない。


fujipon.hatenablog.com
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 ネットで読まれるコンテンツには「面白い」か「役に立つ」しかない、とよく言われるのですが、「叩いて気持ちよくなれる」というのもあるのではないかと思います。
 ただ、最近はその「叩く閾値」がどんどん下がってきているような気がしてなりません。
 ネット上では学術論文みたいにしか書けなくなったら、それをみんな読んで、問題意識を共有しようとするのだろうか。
 「炎上」に参加するのはネットユーザーのごく一部だという調査結果も出ているので、大部分の観客は「読んでいない」か「まあ、こういうのも有りなんじゃないか」で終わりなのだろうけど。


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