結論から書くと、僕は「Twitterはすでに巨大メディアであり、社会的なインフラになっているので、数年以内に終わることはない」と考えています。
僕はけっこう長い間ネットでブログやSNSをやり続けていて(それこそ、『さるさる日記』からインスタグラムまで)、以前はこんな文章も書きました。
mixiのスタートは、2004年2月。もうすぐ10年。
現実世界を見回してみても、10年前からの友達なんて、何人いるだろうか?
「mixiが衰退した」というのは、事実ではある。
けれど、そこには「mixiの運営側の問題」だけでなく、「mixiでの人間関係のしがらみを、リセットしたい人が増えた」こと、そして彼らにとっては「mixiが嫌になった」と友達に告白して去るより、「最近のmixiは、面白くないよね」という理由でフェードアウトするほうが無難だったことが、大きく影響しているような気がしてならない。
これを書いたのは、2013年です。
そして、2017年には、このエントリを書いています。
『マストドン』、一時期ものすごく話題になったのですが、あっという間にほとんど忘れ去られてしまいました。
大ブームを起こそうとしているのが伝わってきたのだけれど、打ち上げてみれば不発だった『セカンドライフ』とか、ネットのサービスが流行るか流行らないかというのは、けっこう予測するのが難しい。あえて言えば「バカでもできる(悪い意味でじゃなくて、操作が簡単でわかりやすい、ということです)」というのが大事なのかもしれません。
僕は個人サイト、ブログ、mixi、Twitterは長い間使ってきました(mixiは今はもう幽霊部員みたいなものですが)。
facebook、Instagramには馴染めず、アカウントは持っているけれど、自分でもなるべく開かないようにしています。人に会ったときに「ごめん、ほとんど使ってないから」って、面倒ごとを避けるために。
Twitterは、個人にとっては「すでに多くのフォロワーを持つ、既得権者」以外にとっては、たまに自然発火して大火事になるおそれがある紙の日記帳、みたいな感じで、企業にとっては、炎上リスクが高い割に、よほど担当者がうまく立ち回ってくれないと宣伝・広報効果に乏しいツール、だとも言えそうです。
『キングジム』は、Twitterでもっとも愛されている企業のひとつだと思いますが、そうなるまでには、さまざまな試行錯誤があったのです。
ツイッター以外の声も、よく参考にしました。その中で、初期の「こわごわ期」を抜け出すきっかけとなったのは、2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で見かけた、ある書き込みです。
当時の私は、「今日の千代田区東神田は晴れ、28度です」といったBOTのようなツイートを、毎日のように発信していました。
生活者の視点で考えれば、天気のツイートは有益ではありません。天気が知りたければ、天気予報を見ればいい話だからです。
感情を伴わないのもマイナスポイントです。淡々と無機質に、しかも求めてもいない情報を述べられても面白いはずがありません。つぶやいたほうがいいこと、つぶやいてもいいこと、つぶやく必要のないこと、つぶやかないほうがいいこと。
色分けを、より意識するようになりました。後者二つには発信する意味はありません。
では、つぶやいたほうがいいことと、つぶやいてもいいこととは、何でしょうか?
「必要なこと」と「楽しめること」です。
二つに絞り込んで発信する、という方向性が定まったのです。
「炎上」を避けようとすれば、無難な話題に終始することになってしまうし、それでは誰も注目してはくれない。
だからといって、「炎上覚悟」で極論ばかり述べていれば、まともな人には相手にしてもらえなるし、そのうち大炎上することになるでしょう。
Twitterは、バランスをとるのが難しいツールなのです。
僕には短文で面白いことを言うセンスが無いので、割り切って、宣伝か自分が面白いと思ったことのリツイートに使うことにしています。
たまに、思いついたことを書いてしまうこともあるのですが。
実感では、Twitterの宣伝効果というのは、かなり限定的なものではあるんですよね。
「宣伝だとわかりきっている宣伝」を、閲覧者は、ほとんどクリックしてくれません。
僕の側からみると、「こんな有名な人が、僕の感想をリツイートしてくれている!」という場合でも、その人のフォロワーが僕の感想を読んでくれる確率は、1%にも満たないと思います。僕だって、ファンの作家が自作の感想をリツイートしていても、その作家が詳しく言及しているようなものでなければ、まず読みにはいきません。
とはいえ、他に有効な宣伝の手段もあまりないし、やらないよりはやったほうがマシ、ということで、Twitterが使われているのでしょう。
まあ、感想とか書いていると、「あの作家さんが(もしかしたら)読んでくれたんだ、嬉しい!」と個人的に思うことはあります。こんなの読ませてしまってすみません、と申し訳ないときもよくありますけど。
僕も何年か前までは、Twitterのように「多くのメッセージがダラダラとタイムラインを流れていくだけ」のSNSは衰退していって、もっとつながりが深い人たち、仲間うちだけのクローズなSNSが主流になっていくのではないか、と考えていたのです。まあでも、それはもうLINEが実用、Facebookが幻想面を抑えてしまっている、ともいえます。
いまのTwitterって、僕にとっては、「更新」ボタンを押さなくても済む、Yahoo!ニュース、みたいな存在なんですよ。
有名人の訃報やスキャンダル、新作ゲームの情報などの多くは、Twitterのタイムラインからやってくる。
fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenablog.com
口コミによる「集合知」というか「集合ニュースメディア」みたいな感じです。
そこにときどき、好きな人の「あっ!」と思うような呟きが混じっている。
Twitterの見え方は、フォローしている人数(あるいは、フォローされている人数)によっても違っていると思いますが、僕の場合は4000人くらいをフォローしているので(だって、フォローした人に自分もフォローしてもらえると嬉しいじゃないですか。もちろん、危ない人やめんどくさい人、あからさまな宣伝目的っぽいのは除きます)、特定の思想や信条に染まることもありませんし(カープファンの割合は多いだろうけど)。
まあでも、こうなってくると「本当にその人のツイートを読みたい人だけをフォローした別アカウント」とか作りたくなるのもわかります。
そして、SNS、とくにTwitterというのは、フォロワー数に限らず、つぶやいているだけで、世界に対して何かやってやった感が得られるという、お手軽な承認欲求充足ツール、でもあるんですよね。日本語なのに!実質的な「影響力」なんてほとんどゼロに等しく、「インフルエンサー」に拾ってもらえる可能性だって、もともとのフォロワーが少ないほど低いのに!
Twitterで呟くことによって、何者かになろうというのは、「夢を買う」と言って、宝くじを買うようなものではあります。
ごくごくまれにですが、一山当てちゃう人がいるのも、宝くじと一緒です。
それこそ、「宝くじの1等に当選するより、宝くじを買いに行って交通事故に遭う可能性のほうが高い」のだとしても。
1対1のコミュニケーションツールとしてのTwitterは、数年後と言わず、もう終わっていると僕は考えています。
でも、少人数で誰かと「議論」するためのツールなんて、メッセージで済むならLINE、近況を眺めたいくらいならFacebook、直接話したいならZOOMで、もう片が付いているのではないでしょうか。
Twitterは、まだしばらくは生き延びていくはずです。
もともと想定されていた使い方とは、違っているのかもしれないけれど。
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