いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕にとっての「平成」は、「インターネットと個人主義(というか、家族主義の崩壊)の時代」でした。


 こんな10連休なんて、全部休めるのはごく一部の人だけだし(僕も半分くらいは仕事です。まあ、入院している人を10日間放置なんていうのは、「なんでも主治医がやらなければならない」というのが当たり前だった時代じゃなくなっても、現実的ではないよね)、ペースが乱れるし、お金も遣うからうれしくないよね、と思っていたのだけれども。

 昨日の夜、Twitterで多くの人が「平成の30年間とその時代の自分のこと」と振り返っているのを読みながら、こういう感慨に浸れるのも、天皇陛下崩御されての改元ではないので、「喪に服す」必要がない、というのと、インターネットがこんなに一般的なものになって、SNSで「メディアに選ばれたわけではない、個人の感慨」にじかに接することができるからなのだよな、と考えていたのです。
 おかげで旅行帰りで疲れているのに、だらだらと夜更かししてしまって、今日の仕事がつらいわけですが。

 元号というのは、自分の都合でどうこうできるものではないし、勝手にこちら側が「時代の変化」を投影しているだけではないか、とも思うし、そういうことを考えるのは、日本の長い歴史のなかで、たぶん、明治以降からだけ、なんですけどね。それ以前は、大きな自然災害が起こったら、縁起が悪いと改元されていた時代も長かったわけですし。


 僕にとっての「平成」は、「インターネットと個人主義(というか、家族主義の崩壊)の時代」だったのです。
 
 10代後半から40代後半という、人生の真ん中(いや、これから後半がそんなに長く続くかどうかなんてわからないけど)を過ごしてきた平成の30年間。
 思えば、10代後半の大学時代の僕というのはやたらと自意識過剰で、人とうまく接することができず、自分のやるべきことがうまくいかないと、ひどく落ち込んで周りに迷惑をかけるか、いやになって投げ出してしまう、という状況だったのです。
 そういうことに対しても、今では「発達障害的(そういう診断名がつくレベルかどうかはわからないけれど)」だという説明のしかたはできるんですけどね。思えば、「発達障害」という概念がここまで一般的になったのも、平成の後半になってからではあります。
 個人的には、この30年間で、周りの人の寛容さと資格に支えられて、なんとか生き延びつつ、社会に適応できるようになってきたのではないかと。
 30年……やたらと時間はかかったけれど、今では、「このくらいの精神状態で、いま20歳だったら、人生もっとマシだったのに」とか、考えています。
 その一方で、能力はありそうなのだけれど、あまりにも気性が悪いので去勢したら、おとなしくなったかわりに、まるで走らなくなった馬みたいだな、とも思うのです。まあ、気性も能力のうち、ではありますが。
 とか言ったら、成熟したような気がするけれど、40代になって、かえって自分のカッとなりやすいスイッチが入りやすくなったり、制御困難なイライラを感じたりすることもあるんですよ。人生って、「めんどくさい」との闘いだな、とか、よく考えます。


fujipon.hatenablog.com


 あとは、なんというか、「自分が幸せになること」を個人が希求していくことができるようになった時代のすばらしさといたたまれなさ、みたいなものも感じています。

fujipon.hatenablog.com
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 インターネットと資格のおかげで、僕はこの30年間をなんとか生き延びてきましたが、その一方で、20年くらい、ネットで書き続けてきたことに、何か意味はあったのだろうか、とも思うのです。最近はあまり読まれなくもなっているし(面白くないから仕方がないんだけど)、何かまとまった成果をあげた、とも言い難い。食べていけるほどのお金にもなっていない。こうしてブログを書いている時間、アルバイトに精を出していたら、いまごろ、タワーマンション1室分くらいは生涯収入が違っていたのではなかろうか。
 とはいえ、こうしていることが、僕自身への「救い」になってきたのも事実ではある。
 昔のような「もうひとりの自分」とか「もうひとつの居場所」というネットの役割は薄れてきたけれども、それでも、「ある程度距離があったり、直接の知り合いじゃないからこそ、うまくやっていける関係」みたいなものは、やっぱりあるのではなかろうか。
 でも、ここに入れ込みすぎると、ネットでの他者との距離感が近くなりすぎて、居心地が悪くなることも多いのです。

 
 「平成」という時代に、日本人は劇的に幸せになったわけじゃない。でも、世界全体は、さまざまなことが良くなっている。
 自分たちが停滞しているなかで、周囲が前より幸せになって活気づいていくのを見せられて、なんとなく敗北感を抱いてしまう。


fujipon.hatenadiary.com


 「自分は幸せではない」というのを、有名人でも芸能人でもマスメディアに注目された人でもないのに、世の中に「発信」できるようになったのが、「平成」という時代であるわけで、それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。個人的には「良いこと」だと思いたいのだけれど。
 ただ、そのことによって、「自分の想い」を小瓶に入れて海に流しても、それが誰かに拾われて、返事がもらえることは稀なのだ、ということをみんなが思い知らされる時代になった、とも言える。
 小瓶を流したい人は腐るほどいるけれど、それを拾って読みたい人は、そんなにいない。
 海は、誰かの「想い」を詰めた小瓶だらけになってしまっていて、見る人をうんざりさせている。


 「そういう人たちの相手をしてくれる人工知能(AI)」は、令和の早い時期に一般化されるのではなかろうか。
 そもそも、ネットでやりとりしている人たちの「実在」は、そんなに確実なものではなくて、だからこそ、「あらかじめ知っている相手とのつながり」を重視する人が増えて、「フォロー外から失礼します」と言わなければならなくなっているんですよね。
 その一方で、何気なく投げたボールが急所に当たって、ディスプレイの向こうで傷ついている人というのも、確実に存在しているのだけれど。


 古市憲寿さんの『誰の味方でもありません』という新書のなかに、こんな言葉がありました。

 平成最大の変化の一つは、IT環境の劇的な進化だ。誰もがスマートフォンを持ち歩き、日々膨大な量の写真や動画が撮影され、それが共有されるようになった。
 つまりインターネット上には、平成が終わっても、無限ともいえる量の「平成」が残されることになる。一人の人間がどんなに頑張ったところで、アーカイブされた「平成」を見尽くすことはできないだろう。つまり新しい元号の時代になっても、永遠に「平成」は消えないのではないか。


 たとえば、いまからたった30年前、「昭和」の時代に、日ごろどんなものを自分が食べていたか、思い出してみてください。
 自分が好きだったメニューや、流行ったお菓子などは思い出せるかもしれないけれど、そういう日常の記憶って、虫食いだらけで、予想以上に「思い出せない」ものなのです。
 文字ができて、写真ができて、映像ができて。
 そして、「平成」の時代には、インターネットによって、多くの人たちが、自分たちが生きてきた日常のアーカイブを残していきました。
 その多くが、顧みられることのない、海に浮かんだボトルメールなのだとしても。

 「平成」は終わるけれど、「平成」を総括するには、まだまだ時間がかかりそうです。
 というか、「平成」は、散らかったままのゴミ屋敷のような存在のまま、歴史にとどまっているのかもしれません。
 見る人によっては、それは、宝の山にもなるのでしょう。


 さようなら、平成。
 うまくいかないことばかりだったし、後悔していることもたくさんあるのだけれど、たぶん、僕はこんなふうにしか、生きられなかったのだろうと思います。
 後世からは、「平成の30年間」は、「人間の生き方が大きく変わった時代」だと評価されるのではないか、と、平成最後の日になって、あらためて考えているのです。


fujipon.hatenablog.com

誰の味方でもありません(新潮新書)

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FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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