いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

2023年は、個人ブログ以外も全部沈没

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。


このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現在のブログ情勢と今年の展望」みたいなことを書いているのです。

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それで、今年は何を書こうかな、と思いながら、過去の「今年の展望」の記事を読んでいました。
正直、「2022年の年頭と同じ内容で、2023年も良いのではないか」と思いつつ。

インターネットという技術や、そこでブログやSNS、個人サイトをやっている人たちも、ある種の「踊り場」というか「停滞期」に入ってきた、とも言えそうです。

2022年には、こんなエントリも書いています。
fujipon.hatenablog.com
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「今の子どもたちの憧れの職業はYouTuber」なんて話を聞いて、ゲーム会社に就職するなんて言ったら、親はどんな顔をするだろう?とおそれていた35年前の僕に、「時代は変わるものなのだ」と伝えたかった、とずっと思っていました。
いまや、ゲーム会社というか、エンターテインメント産業は、人気や、やりがいはもちろんですが、一流上場企業になっています。
とはいえ、流行りものというのは、必ずしも定番化していくわけではないのも事実です。


あれほど書店の棚を席巻し、もう僕が知っていた「小説」は無くなってしまうのではないか、とさえ感じていた『ケータイ小説』は、時代の徒花、みたいな存在になってしまいました。
あれほど世の中の家族経営の書店やDVDレンタル店を駆逐してきたTSUTAYAも、「Tポイントカードはお持ちですか?」とともに、かなり厳しい状況に置かれています。
まあ、それはそれで、Dポイントと楽天ポイントとポンタカード……どれを出せばいいんだ!スマートフォンにアプリ多すぎ!みたいな感じになってはいるのですが(結局、生まれてから今までずっと、整理整頓は苦手なみたいです)。


fujipon.hatenadiary.com
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2022年のはじめに、僕はこう書いています。

 個人ブログが斜陽であることは間違いないし、ページビュー数も更新頻度もアクティブユーザー数も、右肩下がりになっているのでしょう。
 文章を書くのはめんどくさいし、めんどくさい割には、Twitterで「うまく言う」ことに比べて、反応にも乏しい。
 そもそも、これだけ情報が溢れている世界では「長い!」「めんどくさい!」というだけで、受け付けない人が多いのです。
 というか、僕自身も、YouTubeで30分以上の動画は避けるようになりました。仕事のBGM的にライブ放送とかを流すことはありますが。


 ブログの次は、動画のYouTubeだ!あるいは、画像のinstagramだ!

 ……と、みんなが思っているうちに、YouTuberの「重大報告!」や、「YouTuberらしいこと」をやろうとして、結局「同じような身内で馴れあって、パターン化された『自称・とんでもないこと』ばかりになっている状況」に、みんな飽きてきているのです。
 ブログの衰退時と同じで、何か面白い動画ないかな……と新規開拓することは、ほとんどなくなっています。
 テレビ番組は「続きはCMのあとで!」ばかりで冗長だから、とYouTubeを観るようになった人たちも、「30分観るのはつらくなっている」のです。自分でわざわざ放火して「火事だ!」と大騒ぎしているような動画が多いし。

 動画もすでに「10秒から1分で観られるショート動画」に人気が集まるようになっているのですが、これだと「広告が入れられなくて、収益にならない」という、配信者側にとっての問題もあります。
 1分というのはさすがに短すぎるのか、人気になっているショート動画の内容もちょっとしたハプニングとか、若い女性の微エロとか、すでに定型化してきています。

 その一方で、見る側としては「短い動画で広告をいちいち見たくはない」わけで、インターネットで無料コンテンツを提供して、広告で稼ぐ、という収入モデルは、限界を迎えつつあるのです。
 「スーパーチャット」などの「投げ銭」で稼ぐ、というスタイルは、VTuberバーチャルYouTuber)によって完成した、とも言えますが、これ以上「投げ銭文化」が浸透していくかどうかは未知数です。僕の感覚としては、すでに投げたい人は投げ尽くしているし、さらに競争が激しくなっていくとそれで食べていけるのはごく一部だけでしょう。


 YouTubeに関しては、「視聴者数を稼ぐために、観てもらえるネタを試行錯誤していく大手YouTuberが、何をやっても視聴数が伸びなくなって、右肩下がりになっている」のに対して、「自分の趣味や『好き』を極めた人たちが、それを活かして発信している動画」には根強い支持があるのです。


DIME』という雑誌の2010年7月6日号の特集記事「ヒットの法則大研究」より。
(「結果を出し続けるプロデューサー・秋元康による「深く刺さる『濃いコンテンツ』創造術」という記事から。「濃いコンテンツを創るための秋元康の5の法則」の「法則4」。引用部はすべで秋元さんの発言です)

「何かがヒットすると、みんな後を追いかけようとします。二番煎じを狙っているわけではないのでしょうが、同じような所に正解があるような気がするのです。
 しかし、流行はまるで、”もぐら叩き”のゲームのように、全く違う場所から頭を出すのです。それを追いかけるのは困難です。
 逆に、ブームとは関係なく同じことを続けていると、それがブームになったりします。壊れて止まっている時計でも1日のうち2回は正確な時を示すことができます。
 何かアイデアが浮かんだとき、まわりを見回す必要などないのです。いまの時代のニーズは? なんて考え始めたら、ヒットは作れません。これはヒット間違いなし!という思い込みが一番重要なのです。もう古いかな? なんて不安に思う必要もありません。
 昔、僕が『ザ・ベストテン』の構成に関わっていたとき、ルービックキューブが流行りはじめたのでセットに使おうと提案したら、却下されたことがあります。
 その後、コピー商品が出回るようになってから、ようやくセットになりました。『遅すぎますよ』とプロデューサーに言ったら、『これくらいがちょうどいいんだ』と言われました。
 ここには2つのポイントがあります。(1)プロデューサーの思い込みの激しさと、(2)テレビでは視聴者の最大公約数を狙っていることです。
 つまり、”テレビはみんなに広まってからネタにするもの”というプロデューサーの思い込みが、当時の40%近い視聴率を叩き出していたんです」


 半世紀も生きていると、時代は繰り返すというか、歴史というのは、同じようなところをグルグル回りながら、少しずつ前に進んでいく(あるいは、進んでいってほしい)と感じます。


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 もう、大国どうしが血を流しての全面戦争なんて、時代に合わないというか、世界がそれを許さないのではないか、という雰囲気だったのに、ロシアはウクライナに侵攻し、核戦争の恐怖を打ち消せないまま、もうすぐ1年が経とうとしています。
 技術や情報伝達手段が進歩しても、それを利用するのが人間であるというのが、ボトルネックになっている面はあるのです。

 日本でインターネットが一般的なものになりはじめてから、だいたい四半世紀(25年間)。
 インターネットで個人が発信する、ブログなどのテキスト(文字)情報が、見直される時期が、そろそろ来るのではないか、と感じています。

 最近、新規公開株式(IPO)の抽選結果を報告するブログのなかで、わざわざ抽選結果を動画にしているサイトを見ました。
 「果たして、抽選結果は!」と、じわじわ拡大していく文字、結果が表示されるまでの長すぎる間。
 
 ……こんなの、ブログにそのまま書いてくれれば、3秒(いや、1秒かも)で結果がわかることなのに。わざわざ動画を再生して、じらされるなんてバカバカしい、もうこの人のコンテンツは二度と見ない、そう決意しました。
 僕も個人サイトをやりはじめたときに通ってきた道なのですが、人というのは、自分が苦労してつくったものは、他者が評価してくれる、と思いがちです。
 でも、消費する側にとっては、自分の小さな子どもがつくってくれた料理、というような「自分にとっての物語性」が無ければ、「その場にあるものが、美味いか、不味いか」だけなんですよね。

 「次は動画だ」と思っていたけれど、動画にも向き、不向きはあるし、ある程度、「動画で視聴数をとれるパターン」ができあがってくると、みんなそのフォーマットに乗ってしまって、同じような内容ばかりになってしまうのです。
 これは、ブログでもそうなのですが。
 僕自身も、「更新頻度は減ったとはいえ、そんなに内容が変わったわけでもないのに、なぜ読んでくれる人がピークの5分の1になってしまったのか」とずっと考えていたのです。
 しかしながら、あらためて考えてみると、そりゃ、同じようなことを10年も続けていれば、みんな「慣れる」し、「飽きる」。変わっていないからこそ、人がいなくなってしまう。とはいえ、時代に合わせて適切に変化していくのは、ものすごく難しい。

 インターネットやブログの利用者、もしくは読者として新規参入してくる人が多い時代であれば、こちらが現状維持でもどんどん読まれていったけれど、ネット利用者も、(少なくとも日本語環境では)これからどんどん増えるとは考え難い。
 ネットを使わない高齢者が寿命を迎え、デジタルネイティブ世代がさらに生まれてくることで、もう少しは増える可能性はありますが、いま「本当にYouTubeすら観られない高齢者」は、かなり減ってきていると思います。
 instagramも、人気タレントの「お宝画像」披露の場になっていて、僕はほとんど観なくなりました。
 身近な人をそれなりにフォローしてれば、違うのかもしれませんが。

 Twitterは、どんどん「良くも悪くも、ものすごい人」が、あちこちから巨大な釣り針を垂れている釣り堀みたいになっていて、僕はみていると不安になってきます。医者クラスタ、と呼ばれているものが、よくタイムラインに流れてくるのですが、ああいう「自分の仕事や患者をネタにして、女性医師のフリなどもして、人に注目されないと気が済まない、露悪趣味の人たち」が医者という職能集団の標準だと思われているのではないか、と心配になります。僕がリアルで接している医者や医療従事者は「ちょっと一癖あっても、コツコツと自分の仕事をしている人たち」が大部分です。そういう人たちは、いちいち「発信」しないし、してもバズる(人気になる)こともありません。

 僕は、他の仕事をしている人に対しても、「SNSだけで人気」というのは「SNSへの適応能力が高いだけではないか」と考えるようにしています。
 僕自身だって、「こうして文章を書くのが好きで、苦にならない」だけで、医者としての能力には自信がありません。
 仕事でそれなりの自信や実績があれば、そっちで勝負すればいいし、多くの人はそうしています。
 そういう、ネット限定での「インフルエンサー」たちの薄っぺらさは、すでに多くの観客にとっての共通認識になりつつある。

 承認欲求とつまらない日常への怨嗟が衝突して発火する場所が「SNS」と呼ばれるようになっているのです。

 インターネットは、生まれたときからそれに接してきた世代にとっては、単なる「道具」でしかない。
 彼らには、インターネットがある世界が当たり前で、ネットにロマンも偏見もなく、「それを自分がどう有益に使うか」だと考えているようにみえます。
 これが、パラダイムシフト、というやつなのかもしれませんね。

 僕は最近、ずっと前に自分が書いたものを読み返すことが増えたのですが、あらためて読み返してみると、けっこう面白いというか、こうして自分の思考の記録が残っていることが不思議でもあるのです。
 これ、もうちょっと読まれてほしかったなあ……というのもあるし、同じような内容でも、世に出したタイミングやちょっとした題材の違いで、大きな反響がみられたり、ほとんどスルーされたり。
 僕はずっと「読まれることを期待して書くと、ブログってキツい」と言い続けていますし、実際その通りではあるのですが、僕には「読まれることが、書くことのエンジンになってきた」のも事実です。
 そういう意味では、何をやってもなかなか読んでもらえない時代というのは、もどかしいものではありますね。
 「炎上商法」とか言うけれど、「炎上」するのもけっこう難しいものだし。

 「今年の個人サイトの展望」を書くはずだったのに、愚痴ばかりになってしまいました。
 正直、「個人ブログは長い停滞期にある」し、個人ブログだけではなく、SNSYouTubeも右肩上がりの時代は終わり、踊り場で、「次に何が来るのか、そもそも、何かが来るのか?」と立ち止まって新しい風をみんなが待っている、というのが、2023年の現状だと感じています。
 そんなことを考えているうちに、デジタルネイティブの世代は、インターネット原住民たちの先入観や限界を乗り越えていくのかもしれませんね。いや、そうであってほしい。

 近年はずっと「ブログ終活」を意識していたのですが、今年は少し前向きに書いていこうと思っています。
 テキストは、ある程度のボリュームがある文字情報は、けっこう強いし、適切に使えば、効率も良い。
 そして、読むのも書くのも楽しい。


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