いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ジャニーズ性加害問題」と「マスメディア・インターネットの無力」

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この会見については、質問をしていた(というか自説を長々と語っていた)記者の無作法も含めて話題になっています。
僕自身は、ジャニーズ事務所やそのタレントたちに格別の思い入れはないのですが、こうして、子どもや若者を自分の欲望のために食い物にしていたクソジジイがあの世に行ってしまった後で、寄ってたかって、その会社や所属タレントを責めるメディアの厚顔無恥な姿勢に呆れてもいるのです。

この事務所内に自浄作用があればよかったのだけれど、自分の親や親族が性加害を行なっているという噂を聞いて、本人に直接確かめ、諫めることができる人が、どのくらいいるだろうか?
自分が所属している組織で、「そんなこと」が行われているかもしれないというのを聞いて、仕事を失う覚悟で、事実を確認できるだろうか?
自分自身が被害に遭ったとしても、その後仕事で成功できたとしたら、負の経験をあえてオープンにしたいと思うだろうか?

わざと車を傷つけて修理費用を請求したビッグモーターの社員も、認知症の高齢者を勧誘して成績を上げた保険会社の人も、そういう「企業体質」とか「それが称賛される環境」がなければ、たぶん、そんなことはしなかった。
逆に言えば、普通の人でも、そういう会社に所属してしまえば、少なくとも「不正を積極的に告発する勇気を持つ」ことは難しいし、生き延びるために、その風土に染まっていく。


この性加害の話は、1970年代には、「公然の秘密」として芸能界では知られていたとされていて、1980年代末には、元フォーリーブス北公次さんによる告発本も出ています。
30年以上前から、「告発者」は存在していたのです。
にもかかわらず、ほとんどのメディアはそれを「黙殺」してきました。


『タブーの正体!』(川端幹人著・ちくま新書)という本のなかに、こんな話が出てきます。

 ただ、ジャニーズ型であっても、バーニング型であっても、芸能プロダクションがタブーになる過程にはひとつの共通する構造がある。それは、彼らがメディアを組み込む形で強固な利益共同体を築き上げていることだ。その共同体に取り込まれた者は、そこから排除されることを恐れ、プロダクションに一切さからえなくなってしまう。
 こうした構造をとてもうまく利用しているのが、今、人気絶頂のアイドルユニット、AKB48だ。AKBのメディア対策は非常に特徴的で、芸能ゴシップを頻繁に掲載している週刊誌や実話誌など、本来は芸能人にとって天敵であるメディアに対して利権を積極的に分配し、自分たちの利益共同体に取り込む戦略をとっている。
 たとえば、密会写真スクープなどで芸能ゴシップの震源地となることが多い写真週刊誌『フライデー』では、「AKB友撮」という連載に加え、グラビアや袋とじ、付録ポスターという形で、毎号のようにAKBメンバーが登場。さらには、人気イベント「AKB選抜総選挙」の公式ガイドブックも同誌編集部で制作され、講談社から発売されている。
 もうひとつの写真週刊誌である『フラッシュ』も同様だ。「今週のAKB追っかけ隊ッ!」といった連載に加え、こちらは「じゃんけん選抜」の公式ガイドを出版している。
 普段はアイドルと縁遠い総合週刊誌でもさまざまなAKBがらみのプロジェクトが展開されている。『週刊朝日』は「AKB写真館」に続いて「AKBリレーインタビュー」と、長期にわたり連載を続けているし、『週刊ポスト』編集部と小学館は、2011年の公式カレンダーの制作と販売を任されている。
 他にも、『アサヒ芸能』のような実話誌から、「日刊ゲンダイ」「東京スポーツ」などの夕刊紙、さらには『BUBUKA』などの鬼畜系雑誌まで、それこそありとあらゆるメディアが、連載、グラビア、記事、写真集の発行といった形で、AKB人気の恩恵に預かっているのだ。
 AKBの連載をしている週刊誌の編集幹部がこんな本音を漏らす。
AKB48AKSという会社が運営しているんですが、ここに秋元康さんの弟がいて、雑誌対策をやっている。これまで芸能プロが相手にしなかったゴシップ週刊誌にもエサを与え、味方にするというのは彼の戦略ですね。ただ、それがわかっていても、我々としては乗らざるをえない。というのも、AKBが出ると、雑誌の売り上げが数千から一万部くらいアップする。雑誌が売れない時代にこれはすごく大きいんです」
 しかも、AKSの戦略が巧みなのは、AKBがらみの単行本や写真集などの出版権を、週刊誌発行元の出版社に与えるだけではなく、週刊誌の編集部を指名して制作させている点だ。このやり方だと、売り上げが編集部に計上されるため、編集部としてはますますAKBへの依存度が高まり、さからいづらくなる。
 実際、こうしたメディア対策が功を奏し、AKB48は今や、新たな芸能タブーのひとつに数えられるようになった。AKBにはメンバーの異性関係や運営会社・AKSの経営幹部の問題などさまざまなゴシップが囁かれているのだが、どの週刊誌もそれを報道しようとはしない。『週刊文春』『週刊新潮』だけは活字にしているが、AKBの利益共同体に組み込まれた他のメディアに無視され、完全に孤立している状態だ。


 現在のAKBには、これほどの影響力はないと思われますが、ジャニーズ事務所というのは、長年、この「メディアとの利益共同体システム」を築き上げてきたのです。

 僕自身の観測範囲で申し訳ないのですが、メディア関係者も医療関係者も「他人のためを最優先に働いている人」はほとんどいません。
 もちろん僕だってそうです。
 このブログだって広告いっぱいついているし(多すぎてもう少し片づけたいけど増築しすぎた家みたいにわけわからなくなっています)。
 「みんなのため」って言っている人でも、「そういう姿勢を見せて、みんなに讃えられる」という欲望が透けてしまいます。
 
 ただ、それは「間違っている」のではなく、「そういうものなのだ」と考えるべきなのでしょう。

 僕が以前勤めていた職場でも、「パワハラやひどすぎる残業を訴えた人」は存在したのだけれど、周囲の反応は、最初は共感だったけれど、何度も聞き取り調査やカンファレンスが繰り返されるにつれて「めんどうなことしてくれたよなあ」に変わっていった記憶があります。
 部活の理不尽なシゴキと一緒で、人というのは「自分がした苦労は、他人も味わうべきだ」と思いがちではありますし。


 メディアも、すべてが沈黙していたわけではないことは知っています。
 『週刊文春』は、かなりのリスクを取って告発キャンペーンを行っていました。
 でも、ほとんどの人たちは、それを大きな問題とは考えなかった。
 ファンは信じたくなかったのだろうし、僕のようなファンじゃない人間は「所詮他人事」だと思っていたし、ジャニーズと蜜月関係にあったメディアはあえて腫物にさわるよりは、現状維持を望んでいた。
 
 サンデル教授が講義のなかで例示していた「一人の子どもを幽閉することで平和と繁栄を維持することができる街があったとしたら、それを実行することは許されるのか?」という問いがあります。
 これを教室で聞けば「そんなの許されるわけがないだろう!」と憤る人も多いはず。
 しかしながら、現実の世界では、自分が「当事者」でなければ、「みんなのため」には仕方ない、という態度をとる人が多数派なのです。
 
 太平洋戦争のときも、ほとんどのメディアは戦争を賛美しつづけました。
 ところが、終戦したとたんに「民主主義ブーム」が巻き起こり、「戦争責任」を問い始め、責任者たちをつるし上げた。


 内部からの自浄作用が期待できず、外からの人間には事情はわからないし、そこに斬り込んでいくリスクも取れない。
 そんなときに、事実を明らかにし、告発するのが「マスメディア」の仕事じゃないのか?

 いや、われわれだって、サラリーマンだし、家族だっているし……

 そんな声も聞こえてきます。
 でも、それだったら、ちゃんと権力者の犬の顔を晒して生きてくれ。
 自分たちの都合がいいように、「権力の代弁者」と「報道の自由戦士」と「一介の市民」を切り替えるな。


 こういう文章をしばらく書いていないので、うまく書けませんが、あとひとつ、これは僕自身が20年以上、インターネットで書き続けていて、今回あらためて感じたことがあります。

 インターネットは、ほぼすべての人類に、大小はあれど「発言力」を与えたようにみえたけれど、30年以上前から告発者はいたはずのこの「ジャニーズ性加害問題」は、今回、「魔王」が逝き、海外のメディアで大きく報道されるまで、日本のSNSで拡散され、大きなムーブメントを起こすことはありませんでした。どうでもいい自己顕示欲まみれのいけすかない記者へのバッシングはトレンド入りするのに、300人以上が現時点で救済を求めているというこの問題に対してネット民が行えたのは「死体蹴り」だけだった。


 インターネットは無力だ。


 もちろん、ほとんどの人は芸能事務所の内部で行われている蛮行に積極的にコミットできるほど、暇でも物好きでもないのでしょう。
 僕だって、この件に関しては、長年「噂としては知っていたけれど、芸能界とかってそういうものなんだろうな」程度の興味でしかありませんでした。

 たぶんみんな、もう気づいているんだよね。
 有名YouTuberの再生数は軒並み落ちているし、ブログは全然読まれなくなったし、SNSの「トレンド」のハッシュタグを検索するとパパ活女子が並ぶようになった。誰かにみてもらうための「幸せアピール」を目にすると、しまった、としか思えない。
 
 でも、他にやることも、楽しいと感じられることもない。
 堕ちた偶像を叩くことくらい?

 われわれが手にしている武器には、たぶんもっとマシな使い方があった。
 もちろん、「ネットを楽しむ」のは悪いことじゃない。僕もそのおかげで生き延びてきた人間だ。

 でも、今まで何をやってきたんだろう、とばかり、最近考えてしまう。これが「中年うつ」なのだろうか。


fujipon.hatenablog.com
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