いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの

yutoma233.hatenablog.com


『おのにち』さんは「はてなブログ」を長い間書いておられる方で、僕とは直接の絡みはほとんどないものの、固定読者も大勢いて、マイペースで更新されているのだろうな、と思っていました。
別にブログをやめるとかそういう話じゃなくて、『はてなブログ』有料版の期限が切れたのを延長せずに無料版でやります、というだけの話ではあるのだけれど、最後のほうに、こんな文章があったのです。

最近は、昔感じていたブログへの熱意みたいなものが残念ながら薄れてきつつあるんですけど、それでもやっぱり書くことは楽しいし、同じブログ仲間だ!と親近感を抱いている人達もたくさんいるので、これからも細々と続けていけたらいいなぁと。


 ああ、ブログへの熱意みたいなものが薄れてきているのは、僕だけじゃないんだな、と。
 それは別に今にはじまったことではなくて、もう5年前くらいから、僕が書いているブログはすでにオワコンというか、読まれる数はどんどん減り続けているのです。今は最盛期の5分の1、といったところでしょうか。
 同じ人が同じように書いているはずなのに、21世紀の最初の頃のように、ブログ全体が右肩上がりで、読者数もPV(ページビュー)数も増え続けるのが当たり前、という時代はとっくの昔に終わっていて、いまや、どこが終わりかわからないまま、坂を下っているような感じです。
 読まれなくなったからモチベーションが下がったのか、気のない、マンネリ化したテキストしか書けなくなったから、読まれなくなったのか。
 

fujipon.hatenablog.com


 あの安倍さんの事件のとき、SNSでのさまざまな反応を眺めながら、僕は「もうブログどころじゃないな」とあらためて思ったんですよ。
 大きな事件や社会的な変化について、これまでの自分であれば、まずブログでどんなことを書いている人がいるか、というのを探していたのですが、あの事件に関しては、SNSでお腹いっぱい、という気がしました。
 プラットフォームとして考えても、以前は個人のブログをブックマークして、あるいは「はてなアンテナ」や「読者登録機能」を経由して読む、というのが多かったのだけれど、最近はTwitterで流れてきた話題のものを、気になったら読むことがある、という感じです。

 ブログを読む、というハードルそのものが上がっているし、20年ブログを読んでいても、何も変わらないしな、とも思う。
 単純に、僕が年を取って新しいことに興味がわかなくなったり、同じことを繰り返し書くだけになったりしてしまった、というのが大きいのかもしれません。

 ただ、Twitterでいろんな人を直接触れずに眺めた実感としては、多くの人が、以前のブログのような「不特定多数の人に読まれるもの」「どんどん読者を増やしていくもの」を指向せず、SNSを「すでに仲間だと認識している人たちへの業務連絡」あるいは「お互いが仲間であることの確認」に利用するようになっている気がします。

 見ず知らずの他人を「こする」のは、気に入らないことを言っているヤツを叩くか、応援している人に「イイネ」をするかだけ。
 いやほんと、時代は「開かれたインターネット」からどんどん逆行してきて、SNSでもちょっと話題になると宣伝をはじめる人か、女性設定でガードが緩い人たちをひっかけようとする業者か、お金やモノをくれる相手をリツイートしている人ばかり、おちおち、ネットサーフィンもしていられません。この海、波が高過ぎ、巨大危険生物が生息しすぎ。

 だからこそ「仲間内だけで繋がるツールとして使う」という自衛策がとられ、インターネットはどんどん「LINE化」していっている。
(いや、LINEもインターネットの一部だろう、と言われればそれまでなんですが。というか、こんな但し書きをつけなければならないことをめんどくさい、と感じている自分がイヤになるのですが、そうしてきたからこそ、今でもこうやって、ボロボロになりながらリングに立っているのかな、とも思うのです)


plagmaticjam.hatenablog.com


 こんなふうに、ブログ同士で「言及」してもらったのは久しぶりだなあ、と思いながら読みました。
 21世紀はじめのブログには「トラックバック文化」というのがあって、それこそ馴れ合いから殺伐としたものまで、いろんな事例があったのです。個人的には、良い思い出も、思い出したくないこともある仕組みではあるのですが。最近は他のブログに言及すると「お前とはこれまで何の付き合いもなかったのにリンクするんじゃねえ!」と怒られることもあるのだよなあ。トラックバックハラスメント、略してトラハラ(今作った言葉)にもオールドブロガーは注意すべきなのでしょう。

 歴史は繰り返す、とは言うけれど、2022年になって、SNSでの商売目的の「ネカマ」とか、ブログの「無断リンク禁止」が問題として蘇ってきているのは、なんだか不思議でもあり、興味深くもあるのです。今の「ネカマ」は、色事方面で誘惑するのではなく、投資や商品の販売、寄付とかに誘導してくるみたいで、手法も2020年代化している、とも言えます。

 いまのインターネットの問題点は、結局のところ民主主義の大原則は「数の正義」であり、その数を集めるのにネットは強大な力を発揮することがある、ということなのかもしれません。
 僕は発信側として、あるいは受信側としてインターネットの世界をみてきましたが、「悪名もまた名なり」という傾向は、ネットによってさらに強くなっています。「炎上商法」と言われても、本人がそれに耐えられる鋼鉄のハート(あるいは厚顔無恥さ)を持っていれば、「文句を言いにきたヤツもまた1PV」ではあるのです。

 真面目な人が良いことを書いていても、誰も読まなければ、そのエントリに存在価値はあるのか?
 僕自身、「まいじつ」や「いまトピ」にうんざりさせられていることは以前も書いたのですが、結局のところは、見てしまってうんざりしているわけですし。

「人は、面白いものか役に立つものしか読まない」
 これは長年のインターネット生活で僕が得た教訓なのですが、もうひとつ「叩いて自分が優越感に浸れるもの」をこれに加えるべきなのでしょう。
 他人事ではなく、僕自身も、自分でわざわざ苛立つであろうものを見に行って、やっぱりフラストレーションをためまくって抑肝散とかを飲んでいるというのが現実なのです。


 id:plagmaticjamさんが仰っているように、こうしてみんなが疲れ果てる、真っ白な灰になることで、その灰のなかから、新しい、もっと建設的なもの、もっと共同体を幸せにするインターネットや民主主義が生まれてくるのかもしれません。

 ここがゴールだと考えると暗澹たる気分になるけれど、こういう経験を糧に、後世の人々は、もっと良い世界をつくっていく可能性はあるのです。


 堤幸彦監督の映画『はやぶさ』で「日本のロケットの父」と呼ばれる、糸川英夫さんの、こんなエピソードが出てきます。

 糸川さんは、うまくいかなかった事は「失敗」じゃなくて、「成果」なんだと常に言っていた。


fujipon.hatenadiary.com



 正直なところ、「もう読んでくれる人がいなくなって、話題にも、お金にもならない『ブログ』というもの」に、僕は限界と虚しさを感じてはいるのです。
 その一方で、それでも書き続けているというのは、結局、「好きだから」なんだろうな、としか言いようがない。


laiso.hatenablog.com
blog.kyanny.me

 
 そんなブツブツ言いながら、なぜブログを書き続けているのか?
 その問いには「書かずにはいられないから」としか答えようがないところがあるのです。依存症ですね。


 先日亡くなられた小田嶋隆さんが、自らのアルコール依存について書いた本のなかで、こう仰っています。

fujipon.hatenadiary.com

 なんでアル中になっちゃうんでしょうね? 私もさんざん訊かれました。みんな理由を欲しがるんですよ。その説明を欲しがる文脈で、アル中になった人たちは、「仕事のストレスが」とか、「離婚したときのなんとかのショックが」とか、いろんなことを言うんです。
 だけど、私の経験からして、そのテのお話は要するに後付けの弁解です。
失踪日記2〜アル中病棟』の吾妻ひでおさんも言ってました。アルコホリックス・アノマニス(AA)の集会や断酒会など、両方に顔出して、いろんな人のケースを聞いたけど、結局さしたる理由はないことがわかった、と。「こういう理由で飲んだ」とこじつけているだけで、実は話は逆。
 まず、飲んじゃった、ということがある。
 飲んじゃったから、失業した、飲み過ぎたから離婚した、飲んだおかげで借金がこれだけできたよ、というふうに話ができていくのです。
 ではなぜ飲んだんですか、という問いには、実は答えがない。
 世の中で、アル中の話がドラマになったり物語として書かれるときに、やっぱり理屈がついていないと気持ちが悪い。止むに止まれぬ理由がないとドラマが成立しにくい。だから、飲むための理由を補った形で物語がつくられるわけです。
 だからあれウソ、だと思う。
 実際の話、嫌なことあって酒飲むとすっかり忘れられるかというと、そんなことはありません。あたりまえの話です。むしろ、飲み過ぎちゃったってことが逆に酒を飲む理由になる。あるいは、お酒がない、入っていないと、正常な思考ができない、シラフだとイライラしてあらゆることが手につかなくなる、そういう発想になっていくから飲む。
 アル中になる前に飲んだ理由は、別に普通の人が飲む理由とそんなに変わりません。なんとなく習慣で飲んでました、仕事が終わって一区切りで飲んでました。その程度のものです。


 結局、僕も「なんとなく書き続けてちょっとチヤホヤされているうちに習慣になり、今に至った」だけのような気がします。
 大部分の人生なんて、そんなもの、なのでしょう。
 僕の場合は、インターネットが無くても紙の日記を書き続けたとか、同人活動文学賞に応募し続けたとは思えないので、この時代だから書き手になり、書き続けてしまった、としか言いようがないのです。
 読んでくれている人には(それが正負どちらの感情に基づくものであっても)感謝したいし、おかげで人生の退屈をけっこう紛らわせることができています。まあ、贅沢ですよね、退屈だとか言える人生というのも。


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backtolife.hatenablog.com
xura.hatenablog.com


 そして、こうして長い間書いていると、「長年読んでます」と仰ってくださる方に出会うこともあるのです。
 僕は誰かのために書く人間ではないし、お金のためと言えるほど稼げたことはないのですが(半日アルバイトで健診したほうが、1ヵ月のブログ収益よりもはるかに稼げます)、こうして、顔も知らないのにずっと生存確認し合っている人がいるのは、とても有難くて嬉しい。
 id:xuraさん、本当にありがとうございます(これを書きたくて、この長いエントリをここまで書いてきました)。


 僕の狭い観測範囲ですが、以前ほどお金にも話題にもならず、読んでくれる人がいなくなったからこそ、今でもブログを書いている人、書かれているブログというのは、密度が濃くなっているというか、面白いものが多いのではないか、と思うのです。


fujipon.hatenadiary.com
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