いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕は君たちに『ライブアライブ』Switchリメイク版を少しためらいながらも薦めてみたい。


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 『ライブアライブ』Switchのリメイク版ようやくクリアできました。
 1994年にスーパーファミコン版が出たときには未プレイだったはずなのですが、Switch版で遊んでいるうちに、「これ、スーパーファミコンでやってなかったかな……」と自分の記憶に自信がなくなってきたのです。
 たぶんスーパーファミコンではやっていないんだけど(ちょうど実習で忙しい時期でもあったし(というか、『ダビスタ』ばかりやっていたかも)、有名なネットミーム(インターネットを通じて人から人へと、一般的には模倣として拡がっていく言葉・行動・コンセプト・メディア)として、「あの世で俺に詫び続けろ―ッ!」を先に知ったから、なのかもしれません。

 今回、「おお、この場面であの台詞が出てくるのか!」と28年越しにちょっと感動もしたのです。
 「源流」を知らないまま使っている「名台詞」って、けっこう多いよね。

 ゲーム内での、あのシーンに関しては、男のほうは酷いが気持ちの想像はできる。でも、女のほうの行動は「えっ?」と固まってしまいました。

 いくら28年前の携帯電話がない時代でも、なんでそういう行動をするのは全くわからない(『ライブアライブ』に携帯電話は全く関係ないのですが、今、大学時代に観ていた『東京ラブストーリー』などのトレンディドラマとかを観直してみると、この二人、携帯電話がある時代だったら、別れなくても済んだのかもしれないな、とか思うことがあります)。
 スーパーファミコン版をやった人たちも、「は?なんでそうなるの?」って思ったのではなかろうか。ただ、理不尽だからこそ、この章の主人公の救われなさ、やるせなさが際立つし、僕自身も、これまでの人生で、人間というのは理不尽なことをやってしまう生き物だ、と痛感してもいるのです。

 まあ、ある登場人物に絶望を与えるための都合、だったような気もするけれど。

 『ライブアライブ』に関しては、ネットで「発売から間もないのに、ものすごく安売りされている」「昔のゲームのリメイク版なのに、フルプライスで7000円とかするのは高い」とも言われていたのですが、安売り効果があったのだとしても、非任天堂ゲームで50万本というのは、けっこうすごいのではないかと思います。
 クリアまでのプレイ時間もそんなに長くなく(僕は30時間くらい)、7+αの各章の主人公のストーリーを1〜3時間くらいでそれぞれクリアしていって(中には1時間もかからずに終わるものもあります)、みんな揃って、さあ、これから本格的な魔王討伐の旅だ!メインストーリーだ!と思ったら、「あれ?ひょっとして、もうクライマックス?」という感じではあったのです。

 しかしながら、日中仕事をして夜に時間ができたらプレイする、あとは週末、というプレイスタイルでも途中で投げ出さずにエンディングを迎えられたのは、短い章で「クリア体験」を積み重ねられて、システムもシンプルで、戦闘は力押し、特定の技の連発でなんとかなったから、ではありました。
 レベル上げにかかる時間も小一時間くらい。やり込み要素も無くはないけれど、サブクエストやクリア後の要素も「一応少しはあります」という感じで、わざわざやり込まなくても、勿体無いとは感じませんでした。

 正直、サブクエストとかおまけ要素とか真エンディングとかがあまりに大ボリュームだと、今の僕は胸焼けがするというか、「もう人生の残り時間も死ぬまでに遊べるゲームも限られているんだから、そんなに大盛りじゃなくていいよ」と感じてしまいます。メインストーリーだけ面白ければいいから!
 聞いてるか『トライアングルストラテジー』! 
 真エンドのハードル高すぎだよ君は!

 サブクエストとかは、無視してやらなきゃいいんじゃない?って思われるだろうけど、そこにあると、やらないと勿体無い、って、引っかかるんですよ、貧乏性だから。
 「お腹いっぱいなら、無理しないで残していいんだよ」と言われても、目の前に食べ物が残っていると、「気になる」のです。


 僕が『ライブアライブ』のリメイクで一番印象に残ったのは、「テンションが上がるオープニングテーマ」でした。
 ゲームを立ち上げたときに流れるこの曲を聴いて元気を出すために、最後までプレイしてしまったような気がするくらいです。
 このゲームの僕にとってのMVPは、作曲の下村陽子さん。


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 ゲームのオープニングテーマって、本当に大事だよなあ。
 すぎやまこういち先生も、『ドラゴンクエスト』の「序曲」ができたとき、成功を確信した、というような話をされていた記憶があります。

 正直なところ、「昔のRPGへの懐かしさ補正」が僕にはかかっていて、『ライブアライブ』を自信を持って他の人に薦められますか?と問われたら、「うーむ、ボリュームにしてもシステムの新しさにしても演出や戦闘の新しさ、カッコよさにしても、同じ時期に出た『ゼノブレイド3』よりもこちらを、とは言いにくいのです。
 でも、セールス的には、最新作であり、ゲームとしてのさまざまなメディアやユーザーの評判も良好な『ゼノブレイド3』と遜色ないくらい、『ライブアライブ』は売れているんですよね。

 僕は「自分はマイノリティだ、マニアックだ」と思いたい傾向があるのですが、実際は「マイナーメジャー嗜好」あるいは「けっこう普通」なのでしょう。
 そして、世の中には、「気軽に遊べて、あまり戦略とか考えずにAボタンを押していたら先に進んでいけるゲーム。飽きたり疲れたりする前に、ちゃんと『終わってくれる』ゲーム」を求めている人って、僕が想像している以上に多いのかもしれません。

 とはいっても『ライブアライブ』には考えさせられる物語もありますし、『原始編』の「言葉がない時代のRPG」をプレイすると「『言葉がない』というのは挑戦的ではあるが、ひたすら分かりにくくてめんどくさくなるのだな」と感じます。

 「一本道のRPG」というのは、日本のRPGを揶揄する言葉として長年使われてきましたが、長年の僕の実感としては、「自由度が高い=面白い、とは限らない」のです。自由度が高くてなんでもできるけれどすごく時間がかかったり、何をやっていいのかわからなくなるゲームと、一本道だけど、丁寧にストーリーが綴られたゲームには優劣はなくて、「プレイヤーを楽しませようとする過程が違う」だけなんですよね。

 スーパーファミコン時代のRPGをリアルタイムで知る人間のひとりとして、『ライブアライブ』のリメイクは、30年前くらいの自分のことを思い出す引き出しになったし、本当に「良い気分転換」をさせてもらいました。
 これからも、ときどき、オープニングテーマを聴きに行くと思います。



 長文エントリが最近多いので、『ライブアライブ』の感想をチャチャっと短く書いてしまおう、と書き始めたのですが、これもまたけっこう長い、そしてダラダラした文章になってしまいました。
 
 もしここまで読んで、『ライブアライブ』に少しでも興味を持った方がいらっしゃったら、セールで安くなってからでも良いので(メーカーは良くないだろうけど)、少しでも触ってみてほしいなあ。
 ニンテンドーeショップで、体験版を無料でダウンロードできます。

 体験版で遊べる3人の主人公のエピソードは、こうしてプレイしてみると、確かに「体験版としてふさわしい」みたいです。古い時代から順番に、と「原始編」から始めると、しっくりこない人もいそうですし。


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