いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「投資はギャンブル」派からみた、「投資を信仰している人々」の危うさについて


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 僕自身の投資経験のはじまりは、20年前くらいにさかのぼります。
 銀行の人に勧められて元本保証の10年契約の金融商品(10年預けておけば、最低限元金は保証します。運用益がうまく出ればその分増えます、という商品。もちろん、途中解約の場合には減ることあり)と毎月分配型の投資信託を持って、分配金をもらうだけで放っておきました。そのときに持った分配型の投信って、良い時には毎月8万円くらいの分配金があって、これをたくさん買えば、働かずに食べていけるのではないか、と思っていたのですが、その後分配金は少しずつ減っていき、僕自身もお金が必要なことがあって少しずつ売ってしまったので、現状(まだ少しだけ持っている)は、もらった配当も含め、総額で元金の5%くらいプラスです。

 ちなみに、10年契約のほうは、10年持ち続けたのですが、結果的には元金そのままで返ってきました。受け取りを5年に分けると0.1%分だけプラスになる、とのことでしたが、そのくらいの金額であれば、さっさと取り戻しておいた方がいいな、と思ったので。

 個人的には、なんとなく「お金のことにこだわりすぎるのは恥ずかしい」というような思い込みがずっとあって、それ以外の積極的な投資に手を出すことはありませんでした。株なんて素人が関わると危ないし、働いた給料だけでそれなりに稼げて貯金もできていたし、仕事と家のことと本とゲームと競馬以外のことを考える余裕もありませんでした。

 銀行とかで、「投資」とかお金の話をする人は、関わると危ない、とさえ思っていました。
 それは半分本当だと、今でも思っています。基本、銀行とか証券会社の人は「自分たち(の会社)にとってプラスになること」を最優先に考えているのは事実でしょうし、ブログやSNSで投資を勧める人は、アフィリエイト収入目的だと思っています。
 ゴールドラッシュのとき、いちばん儲けたのは、金鉱を探した人たちではなく、彼らにツルハシなどの採掘道具を売って稼いだ人たちだった、という有名な話がありますよね。

 僕が株を買ったり、経済のことを勉強したりするようになったのは、ここ3〜4年くらいのことです。
 あるとき、ずっと入っている生命保険会社から、1単元(100株)の株式をお客様にあげます、という手紙が来ていたのです。
 どうせ大した金額じゃないし、手続きとかめんどくさいからと放置していたのですが、ふと気になって、いくらくらいの価値があるのか、そもそもこれは本当にお金になるものなのか調べてみたんですよね。で、だいたい20万円くらいになりそうだ、と。これまで払ってきた保険料を考えればそれほど大きな見返りではないかもしれないけれど、放置しておくのは勿体無い金額です。そのとき、収入が激減していたこともありますし。
 それで、証券会社に口座を作りに行って、その株を受け取り、少しずつ株を買うようになりました。
 あと、ロボアドバイザーでの定額積立での運用も行なっています。これは、稼ぎたい、というよりは、ロボアドバイザーというのは、どんなパフォーマンスを見せてくれるのか、というテクノロジーへの興味の面が大きかったのです。僕はこれまでの験上、自分のギャンブル運とか投資家としての心臓の強さを全く信じておらず、あくまでも「無くなったら、のたうち回るくらい悔しいけど、生活に支障が出ることはないくらいの金額」です。


 ネット時代、スマートフォン時代の株取引というのは、あまりにも便利になっていて驚きました。
 証券会社の人のセールストークに付き合う必要もなく、何十万、何百万というお金が、スマートフォンをいじっているだけで動かせるし、ほぼリアルタイムでの取引が可能です。
 
 実際は、そこまで多くのお金を動かして「勝負」する胆力はないので、あれこれ試行錯誤した末に、現在は「自分が長年利用していたり、好きなサービス、コンテンツを作っていたりする会社の株や、高配当、あるいは株主優待のカタログギフトや優待食事券に魅力がある株を1単元(100株)から数単元で多種類所有しています。株主優待の桐谷さん方式、といえば、わかる人にはわかるのではなかろうか。
はてな』の株も1単元(100株)だけ持っています。数年前、40万円くらいだったのが25万円に下がった際に「チャンスだ!」と思って、憧れの『はてな株主』になったのですが、その後も『はてな』の株価は低迷し、いまはそのさらに半額、13万円くらいになりました。『はてな』を応援したい、という気持ちで、上がる見込みもなさそうですが、損切りせずに持ち続けるつもりです。「株価第一!」みたいな経営をしていないから、『はてな』が好きだとも言えますし(でも正直、もうちょっと株価をなんとかしてくれないか、とは思います……)。

 現状では、個別株投資は、トータルでそれなりにプラスにはなっているのですが、それは、ちょうど新型コロナ禍の前に株取引をはじめ、コロナ禍で株価が一時的に暴落した際に、安くなった優良(と考えた)企業の株を買ったからです。
 僕は仕事上、あるいはこれまでさまざまな本を読んできて、人類の歴史上、感染症が猛威をふるうことは数十年に1回くらいあって、大きなものでも数年単位で収束していったことを知っていました。
 戦争とか経済不況についてはわからないけれど、感染症は、「数年後には落ち着くであろう脅威」だという自信がありました。
 もちろん、今回は違うかもしれませんが、もしこれで人類が滅亡するような事態になれば、僕自身も「終わり」になるだろうから、それを考えても仕方がない。

 結局のところ、そのとき安く買った分の余力でずっとやっているようなものではあるのです。
 しかし、「コロナが終息すれば、経済はまた右肩上がりになる」というのもまた幻想のような気もしてきています。
 外食産業や多くの人が集まるようなイベント関連企業などはさておき、コロナ禍でのリモートワークの推進や企業へ出向いて営業活動をすることが少なくなったおかげで、売り上げが減ってもコストダウンの効果のほうが大きい企業もたくさんありますし、コロナ禍での「ステイホーム需要」もありました。
 コロナが終息しても、薬剤メーカーの営業マンが外来中に説明希望で押しかけてきたり、勤務時間外の会議をした実績を作るためだけの会議が復活したりするのは勘弁してほしい、と願っています。

 「コロナが終息すれば、経済は良くなる」という「期待」が先行して株価はけっこう上がってきているのに、「現実」は応えてくれず、みんな失望することになるのではないか、と危惧してもいるのです。

 僕の場合、年齢的にも40代後半になって、職業人として、大学や大病院で偉くなる、というキャリアは望めず、かといって、開業を考えるほどの甲斐性もない、という状況に、煮詰まってもいたのです。
 これから先の人生、職業人としては、下り坂をダラダラと降りながらも、働き続けなければならない。
 子供たちがお金を理由にやりたい勉強ができないようなことにはしたくない。

 投資とか経済の勉強というのは、そんな停滞しきった僕の人生にとっては、格好の「趣味」だったとも言えます。
 こんなことを書くと傲慢だと言われるでしょうし、実際にその通りではあるのですが、投資というのは、もう凹凸がなくなってしまった僕にとっての「人生が壊れない程度のギャンブル」なのです。
 楽しいから、というか、今の僕の人生において、ヒリつく、やりがいのある数少ないことだから続けている、とも言えます。

 僕はもともと、競馬やパチンコ大好きのクズなギャンブル野郎です。
 その一方で、仕事とか人生においては「一か八かの大勝負」は避けてきました。
 ギャンブルは「命の次」のお金を失ってしまう可能性が高い。
 しかしながら、割り切ってしまいさえすれば、「お金が無くなるだけ」でもあります。
 いや、ギャンブルで負けても平常心でいる、というのが難しいことなのだけれど。
 考えようによっては、ギャンブルというのは「人生で直面するであろう、さまざまな失敗に対して、自分はどういう振る舞いをする人間であるかを知ることができる場」でもあります。

 競馬とかパチンコとかを経験してきて、投資沼にハマってしまった僕は、「競馬での本命馬の落馬やパチンコの1000回ハマりで、いきなり掛け金がゼロになるギャンブルに比べれば、株式投資というのは、急落してもいきなりゼロにはならないし、胴元が取るテラ銭で最初からマイナスになることもなく(税金や手数料はかかりますが)、還元率も高いし、精神的にはラクだな」と感じています。

 「投資はギャンブルか」という問いに対しては、感染症や他国の戦争、人々の「空気感」みたいな、自分の力ではどうしようもないもので大きく左右されてしまうものに「賭ける」のは、ギャンブルだとしか言いようがない、と思うのです。
 業績が良くても「材料出尽くし」で株価が下がり、ひどい業績なのに「悪材料出尽くし」で株価が上がっていくのを見ると(もちろん、業績が株価に素直に反映されることもある)、市場を形成しているのが人間である限り、絶対安全とか確実はあり得ない。

 
 作家の森博嗣先生のエッセイに、こんな言葉があります。

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ギャンブル


最も期待値の大きいギャンブルは、勉強である。
(その次は、仕事)


 人が生きるというのは、ギャンブルの連続でもあるわけです。
 昔は一流大学を出て石炭関連の企業に勤めるのがエリートコースだったのに、石油へのエネルギーの転換で、石炭産業は斜陽になってしまいました。僕の高校の同級生も、25年くらい前に銀行やマスメディアに就職していきましたが、銀行はIT化による人員削減・効率化、支店の統廃合の波にさらされ、マスメディアもインターネットの普及で、既存の紙や雑誌の広告によるビジネスモデルは崩れてしまっています。
 お互いに信頼していたはずの夫婦が3組に1組が離婚するのは、人や人間関係は変化していくものだし、それは予測不能なものであるからでしょう。
 勉強しても、そのジャンルで頭角を現せるかどうかは時流やライバル次第、という面もあるし、極論すれば、自分より1つ上に超優秀な人がいたために、教授の座に届かなかった人だって少なからずいるのです。もちろん、教授になることだけが学問的な成功ではないけれど。
 人生は因果応報とか、努力は必ず報われる、という人もいますが、生まれた直後に原爆が落ちてきた赤ん坊は、そんなに悪いことを前世か何かでやっていたのでしょうか。

 「人生はギャンブルの連続」とは言っても、だからこそ、森先生の言葉のように「期待値(努力が報われる可能性)」の高低はありますし、賭けるのであれば、「期待値が高い」あるいは「どんな結果になっても自分で納得できる」という選択をした方が良いとは思います。

 
 僕は最近の「投資熱」とか「インデックス投資を他人にやたらと勧める風潮」については、「それが期待値の高いギャンブルであることはわかる」一方で、あまりにそれを「信仰」している人が多いのではないか、と感じてもいるのです。


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 この記事、最近書いたものの中では、けっこう多くの人に読んでいただいたのですが、コメントに「複利のこと知らなそう 」というのがあって、驚いてしまいました。

 これまでさんざん、カードローンの話とかで、借りる側にとっての「複利の怖さ」も書いてきたのに!
 とはいえ、読む側にとっては、初見の筆者のこれまでのことなど興味がないのは僕だってそうなので致し方ないのです。
 でも、「投資」を勧める人は、他人の理性や経験を軽んじて、「どうせこいつら、『インデックス投資の利点』も知らずに漫然と生きているんだろう」という上から目線で語りがちだという印象が強いんですよ。

 「自分はみんなとは違う。正解を知っている」と思う人ほど、そういう気分になったときこそ、隙ができやすい。
 だからこそ、詐欺師は、「これはあなただけに教えるんですよ」と言うことが多いのです。

 僕は50年生きてきて、いろんな失敗もしてきたので、あらためて思うのです。

「長期投資は、時間を味方にして、複利のメリットを活かす」
「戦争や災害や、さまざまな要因で数年〜十年単位の一時的な低迷がみられることはあるけれど、長期的にに世界の経済や人々の富は右肩上がりになっている」
 これは歴史的事実ではあるんですよね。

 僕が手塚治虫が描く「火の鳥」のように、永遠の生命を持っているのであれば、黙ってインデックス投資をやります。

 でも、生きていると、「30年後には複利の効果もあって資産が大きく増えています!」が事実だとしても、「30年」って長い、長すぎる。
 3年だって長い。次の給料日だってけっこう先に感じるし、まだ休日まで何日もある。

 日常を生きていれば、自分自身に限らず、身内の病気や事故、急にお金が必要な事態、どうしてもやりたいことだってある。
 老後の資金がない、ことへの危機が叫ばれがちですが、逆に、70歳、80歳になって資産がたくさんあっても、自分ではそれを使って楽しむのは難しくなるし、ヘタすれば身内の遺産争いのもとになることもあります。

 大きな戦争やインフレが起これば、資産の価値は大きく変動します。
 コロナショックからの「右肩上がり」の株価しか見てきていないのに、受け売りの知識で「インデックス投資は絶対正義!」みたいなことを言っている人を見かけるたびに「ブログ歴3ヶ月でGoogleアドセンスに通った私の『ずっと稼ぎ続けられるブログ術』」を見た時のような黒い微笑みを隠しきれなくなるのです。

 競馬初心者が、最初に買った馬券が当たっただけで「競馬最高!絶対儲かる!馬券を買わないヤツはバカ!」とか言っていたら、どう思いますか?


 Twitterを見ていると、月間何十万円もインデックス投資に投入し、その額を誇っている人が少なからずいます。
 いわゆる「余裕資金」でやっているのであれば、個別株の信用取引などで一攫千金をめざすより、はるかに安定性が高い投資だと思うのですが、生活を切り詰めて、食べたいものも食べずに節約し、友人の「お金がかかる誘い」も断り、有金全部『オルカンeMAXIS Slim 全世界株式 (オール・カントリー))』にぶち込むような生き方は、「投資」というより「信仰」に近いのではないか、という気がしてくるのです。

 人は幸せになるための手段のひとつとしてお金を稼ぐのであって(実際は、お金は不幸を回避するのには非常に有益ですが、たくさん持っていたからといって幸せにつながるとは限りません)、やりたいことや日常の娯楽、好奇心を満たすことを捨ててまで、インデックス投資に積み立てる金額を上げていくのは本末転倒ではないのか。
 人生は『人生ゲーム』ではありません。いくらゴールでたくさんお金を遺していても、それで「勝ち」ではありません。
 むしろ、ゴールまでの道中を楽しむことが大事だと僕は思うようになりました。
 
 そもそも、今後の世界経済も右肩上がりになるのかどうか。
 いま、日本の人口は、どんどん減っていっているのです。今の社会を考えると、人類滅亡の危機や大きな戦争にでもなって、「子どもを増やすこと」が至上の価値になるようなことでもないかぎり、「少子化」が続いていくはずです。
 いまの世界の人口は80億人くらいで、まだ増えているのですが、僕が子どもの頃に聞かされていた「人口爆発による食糧危機」は杞憂に終わりそうです。近い将来、世界の人口はピークを越えて減少に転じると人口学者たちは推測しています。
 世界の各地が豊かになっていくにつれ、人々は「少なく産んで、ひとりひとりを丁寧に育てる」ようになるのです。

 これまでの人類史で、世界大戦や疫病で人口が特定の国や地域で減少したことはあるにせよ、産業革命以降は、世界の人口は爆発的に増えてきました。
 世界経済が右肩上がりなのは、「人間の数がずっと増えてきたから」という可能性もあり、効率化がすすみ、生産性が上がっても、人口がどんどん減っていく世界で、経済がずっと右肩上がりになるかどうかはわかりません。
 まあ、それこそ「そんな未来の話を考えても仕方がない」のですが。


 個人的には、インデックス投資は、現状では、もっとも期待値が高い資産を増やす方法のひとつではあると考えています。
 面白くはないし、「絶対」ではありえないけど。


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 この本のなかに、こんな記述があります。

誤解(1)投資はリスクが高い

 投資をしない理由で、筆頭に挙げられる声は、「投資のリスクが怖い」というものです。
「せっかく一生懸命に働いて手に入れたお金を、投資をして失うのは避けたい」という損失回避の声が多く聞かれます。


真実(1)「現金投資」のリスクは高い

 これはほとんどの人が誤解している点です。投資はリスクがあると言いながら、現金を持ち続けることこそが、そもそも投資だということを理解していないのです。
 現金という資産に長期投資することほど、リスクが高い投資行動はありません。
 なぜなら、経済ショック後に現金需要が高まったとしても、長期的には現金の価値は確実に目減りするからです。


 「現金は日本円に投資しているものだ」という考え方は理解できます。
 これを読んだときには「その通りだ!」と思ったんですよ。
 でも、少し時間がたって、あらためて考えてみると、少しずつ目減りしていくとしても、「現金」の安定性の高さと「何かあったらすぐに使える」という利便性には代えがたいものがあり、資産のうちのある程度の割合は現金、あるいはすぐに引き出せる預金の形で持っておくのは、妥当な選択ではあるのです。

 金融資産の多くは「いつでも換金できる」と思われがちだけれど、いざというときに売ってそのお金を使えるまでに何日か時間がかかったり、都合の良い(増えている)タイミングで売れるとはかぎらないのです。売れば税金がかかることもある。

 インデックス投資を勧めている人たちは「少し下落したくらいで売るなんてばかみたい」「売らずにずっと積み立てるのが正解」だと言いがちなのですが、僕の実感としては「絶対に使わない(使えない)お金なんて、無いのと一緒」なんですよ。
 何十年か後には、大きなリターンを得られるかもしれませんが、そこまで生きている保証なんてないし、難病や慰謝料で、どうしても切り崩さなければならない場面が出てくるかもしれません。


 だから、インデックス投資なんてダメだ、と言うつもりは毛頭ありません。

fujipon.hatenablog.com

 このエントリでも書いたのですが、今の世の中って、ピケティが言う”r>g”が成り立っているのです。

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21世紀の資本』の主張は「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できずに格差は広がる。格差の解消のために、なんらかの干渉を必要とする」というものだ。その根拠となったのが、「r>g」という不等式だ。「r」は資本収益率を示し、「g」は経済成長率を示す。

同書では、18世紀まで遡ってデータを分析した結果、「r」の資本収益率が年に5%程度であるにもかかわらず、「g」は1~2%程度しかなかったと指摘する。そのため、「r>g」という不等式が成り立つ。

この不等式が意味することは、資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということだ。言い換えれば「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」というわけだ。
富裕層の資産は子どもに相続され、その子がさらに資産運用で富を得続けることができる。もちろん各国で所得再分配政策は行われているものの、ピケティ氏は、多くの富が世襲されていると示唆する。

 労働による収入よりも、資産運用のほうが「効率がはるかに良い」時代ではあるのです。

 結局は「銀の匙をくわえて生まれてきた人間にはかなわない」という身もふたもない話になってしまいそうなのですが、人は、自分が持っているカードで勝負するしかないんですよね。


 僕がいま考えていることをまとめると、以下の7項目になります。

(1)投資はギャンブルだが、ギャンブルのなかでは期待値が高く、多くの人にとっては実行する価値がある。


(2)ただし、「ギャンブルに絶対はない」ので、全資産をぶち込むのはリスクが高すぎる。


(3)リスク分散を考えるのであれば、インデックス投資に全部賭けるのではなく、現金や不動産、個別株や金、仮想通貨などに分けておくほうが良いかもしれない(ロボアドバイザーって、まさにこういうことを手数料の代わりにやってくれるのです)。


(4)投資は資産を増やすには現時点では有効だけれど、人生に限りがあるし、老化は避けられないので、「どうやって貯める、増やすか」と同じくらい、あるいはそれ以上に「どうやってお金を使うか、人生を楽しむか」を考えたほうがいい。


(5)やってみて自分にとって「苦痛」あるいは「楽しくない」のであれば、他人が勧めるからといって、インデックス投資を無理にやる必要はないと思う。「投資は正しい」という名目で、退屈な人生を少しエキサイティングにするために投資をやっている人は多いはず。


(6)「長い目でみればプラスになる」と言うけれど、人生は短いにもかかわらず、長期投資が実を結ぶまでの時間は、実感として、けっこう長い。


(7)投資は自己責任で。ネットで投資を勧める人を見かけたら、みんなが大嫌いな金稼ぎ目的のアフィリエイトブログの人と同じくらい疑り深く接したほうがいいです。


 長くてまとまりのないエントリに付き合っていただき、ありがとうございます。
 みんなが大好きなインデックス型の投資信託も「商品」であり、売る側の都合、みたいなものは必ずあるのです。

 あと、これは、あくまでも「僕の場合の話」ですので、悪しからず。
 日々食べていくのにギリギリのお金しかない、という人はインデックス投資云々なんて言われてもどうしようもないでしょうし、ビル・ゲイツくらいの資産があれば、投資よりも、チャリティ活動での使い道のほうが悩ましいはず。


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