いつか電池がきれるまで

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『ファイナルファンタジーVIIリバース』発売と「歴史の終わり」の本当の理由

ファイナルファンタジーVIIリバース』がついに発売された。



前作の『VIIリメイク』はかなり気に入っていて、3D酔いで「うえっ」となり、やたらと硬い敵に辟易しながらも、「RPGのキャラクターのグラフィックによる感情表現もここまで来たのか……」と感動しつつエンディングを迎えた。

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僕はプレイステーション版の『ファイナルファンタジーVII』をプレイ済みなので、「これから起こること」を思うと、もう、この『リメイク』で終わってもいいんじゃないか、とも思っていたのだ。
もちろん、出たらプレイする(している)し、この『FF7リメイク』シリーズを見届けてから死にたい、という気持ちもあるのだが。
思い返すと、小学校低学年の頃にゲームウォッチからカセットビジョン(液晶ゲームも色々あったし、マイコンゲームもやったけど)、中学時代にファミコンが出て、テレビゲームの歴史とともに生きてきた感触がある。

もう、「ゲーム終活」とかも考えないといけないような気がする。
仕事をリタイアしたら、積みゲーをやりまくって人生を終えよう、と思っていたのだけれど、新しいゲームですら追いかけきれず、Steamで発売されるインディーズゲームなども含めれば、「やり尽くす」のは無理だな、もう、「とっておく」のはやめて、今遊びたいものから遊んでいこう、という方針にしている。少しやってみて、合わない、つまらないと思ったら、時間のほうがもったいないから放り投げている。

仕事をしていなかった1年間、けっこうゲームをやったつもりだったけれど、『信長の野望』とか『スーパーロボット大戦』とかをやっていると、1つのゲームで1ヶ月くらい平気で過ぎ去っていくし。
ゲームの好みも年齢とともに変わってきて、最近は10時間もかからずに終わるノベルゲームとかをやることが多い。


ファイナルファンタジーVIIリバース』は、前評判も高かった。
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とはいえ、『ファイナルファンタジー16』も発売前の期待の大きさの割には、PS5専用ということもあってか期待ほどの大ヒットにはなっていない。
僕はすごく面白かったのだけれど、『16』が売れず、僕にとっては難しすぎる『エルデンリング』が大ヒットした、ということには、いまの若者たちの情報処理能力の高さと「いわゆる『JRPG(日本発のRPG、FFやドラクエなど)』の時代の終焉」も感じているのだ。

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「物語」を見たいのであれば、YouTubeのゲーム配信をみればいい。自分でレベルアップをチクチクやっていくのはめんどくさいし時間効率が悪い。他にやることも、遊びたいゲームもたくさんあるのだから。


──それも道理ではあるよね。誰がやっても同じ物語であれば、わざわざ、自分で買ってプレイする必要はない、というのもわかる。僕がそれに慣れていないだけだ。

最近、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のナンバリングタイトルから派生したゲームも、あまり売れなくなっている。2023年末に出た『ドラクエモンスターズ3』がそこそこ売れたくらいで、あとは売上的には期待外れだったと思う。

この『ファイナルファンタジーVIIリバース』があまり売れなければ、僕はもう、このタイプの「経験値を積み上げてキャラクターをレベルアップさせ、物語を進めていくタイプのRPG」はジャンルとしてオワコン、まではいかなくても、「大きな開発費をかけても回収するのは難しいタイプのゲーム」であることが証明されてしまうのではないか、と危惧している。

スクウェア・エニックスの株価の掲示板をみていると、『FF16』の「爆死」っぷりを嘆く声が満ち溢れているのだが、僕はあれだけの「物語」を構築して、プレイしやすい(「一本道、ではあるけれど)ゲームでもそんなに話題にもならず、売れてもいない、というのが意外であり、残念だった。
「スッキリしない物語」ではあるけどさ。
スイッチの『ポケモン』とかも、クリアするだけなら、20〜30時間なんだよなあ。もちろん、やり込み勢は、伝説ポケモンを仲間にするために、その何倍もの時間を費やしているわけだけれども。

ファイナルファンタジーVIIリバース』はボリュームもすごいらしいけれど、サブクエストとかおまけゲームとかカジノとか、僕はもうめんどくさいだけになっている。


たぶん、ゲームプレイヤーの世代交代とともに、流行る、売れるゲームも変わってきているのだ。

そう思っていると、『スイカゲーム』が大ヒットするのが、テレビゲームの不思議なところなんだけどさ。
テトリス』のときも、発売時に「この時代にこんな単純なゲーム?」って思ったものなあ。

ファイナルファンタジーVIIリバース』が全然売れない、というようなことになると、『VIIリメイク』シリーズが完結しない、という事態も考えられるので(ちなみに、リメイク3部作の完結編は「早くても2028年になる」とのこと)、売れてほしいし、僕のように「見届けたい」オールドゲーマーもまだ少なからず生き残っているはずなので、「大爆死」はないと信じているけれど。

デキが悪い、とか、つまらない、から売れない、というよりは、「経験値を稼いでレベルアップしていく、物語重視型で、プレイヤーのスキルでプレイ時間を短縮するのが難しいRPG」は、もう大ヒットしない時代。
ファイナルファンタジーVIIリバース』で、それが証明されてしまうのではなかろうか。

「物語」や「経験値を稼いでレベルアップ」が好きなRPGプレイヤーは、『FF14』や『ドラクエオンライン』でコミュニティを存続していく、それでいいのかもしれない。

こんなことを考えて、書いている暇があったら、実際にプレイして、自分で確かめてみろ、という話なんですけどね。

どんなに面白い、すごいゲームでも、「時代の価値観に合わなくなる」ことはあるよね。

競馬ゲームやゴルフゲームは、一時期ものすごくたくさん出て、売れていたけれど、今では『ウイニングポスト』シリーズくらいしか見かけなくなった。


話が飛んで申し訳ないが、僕は少子化について、国の政策や金銭的な負担というのは、根本的な理由ではないと感じている。
「家を継ぐ」とか「結婚して子供がいるのが『普通』の条件」とかいう価値観が変わり、「子孫繁栄よりも『自分の幸せと人生の充実』のほうが優先されるべき」という社会では、子どもをつくる、産む、育てることに消極的になる人が増えるのは、当たり前のことではないのか。
少子化で国が滅びる」と警鐘を鳴らす人はいるけれど、「それならば、国のために子どもを産む」なんて夫婦が出てくるとは思えない。産み育てるのは、学者や評論家ではない。もちろん、条件が整えば、「産めるものなら産みたい」人は増える可能性はあるけれど、それは、「産まないという選択肢を選ぶことができるようになった人々」の増加には、おそらく追いつかない。

人類も、JRPGも、誰のせいでもなく、価値観の変化に伴って、緩やかに減っていく運命なのだろうか。


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