いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『遊撃手』時代からずっと読み続けてきた「小田嶋隆という書き手」のこと。


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 小田嶋隆さん逝去。
 2019年に脳梗塞を発症したり、アルコール依存症についての本を上梓されたりしていたので、おそらくずっと体調が良くはなかったとは思うのだけれど、65歳というのは、今の時代に人が病気で亡くなる年齢としては早すぎます。


 僕が「小田嶋隆」という書き手のことを知ったのは『遊撃手』というマイコン雑誌だったのです。
 10代の前半にコンピュータというものを知り、マイコンゲームやコンピュータという新しい世界にハマってしまった僕は、世の中に流通しているマイコン雑誌を、『LOGIN』『マイコンBASICマガジン』『コンプティーク』といったメジャーどころから、『ポプコム』(「美少女ゲーム特集」のときにレジに持っていくのが恥ずかしかった……僕は美少女が目的じゃないんです!って心の中で言い訳していました)、『テクノポリス』『Oh!MZ』(のちに『Oh!X』)といった中堅どころまで、とにかく手あたり次第に読んでいたのです。
 そんな中に『遊撃手』という、小型のちょっと切り口が変わっている雑誌があったのです。

 『遊撃手』から『Bug News』というモデルチェンジがあったのですが、これらの雑誌は、カタログ的なゲーム紹介や新作速報、同時進行ゲームレポートのような他誌とは一線を画した、「文化としてのコンピューターゲーム」を読み物重視で紹介していたのです。
 とくに、Macintoshやアミーガといった、アメリカのコンピュータゲームについての記事が充実していて、『オルター・エゴ』とか『バランス・オブ・パワー』の紹介記事に「アメリカのゲームって、やっぱりスゴイな!」と感心していたものです。思えば、憧れのアメリカの『トップガン』から、バブル経済下の『ジャパン・アズ・ナンバーワン」になっていくの時代とも重なっていたんですよね。

 その『遊撃手』『Bug News』で、僕は小田嶋隆という名前を知りました。
 小田嶋さんは、テクニカルライターとして、ユーモアとシニカルさ、軽妙さにあふれたコラム、エッセイを書いていて、小田嶋さんの文章は、当時10代後半だった僕の心を掴んで離さなかったのです。
 小田嶋さんの文章を読むために、マニアックな洋物ゲームカルチャー雑誌を買っていたような気もします。あの頃は、小田嶋さんが後年、深く政治にコミットするなんて、想像もつきませんでした。

 「コンピューターという新しい文化に乗って『現実離れ』したところに、新世界がある。新世界もそんな良いものじゃなさそうだけど、まあしょうがないよね」という希望と厭世が入り混じったような、時代の空気を僕は小田嶋さんに感じていたのです。



 僕自身は、その後の「政治にコミットしていく小田嶋隆」に、「僕が大好きだった小田嶋隆は、そういうのじゃないんだけどなあ……」と愚痴をこぼしつつ、結局、ずっと小田嶋さんのコラムやエッセイを読み続けてきました。
 近年の、あまりにも左翼言論人的なコラムには、「あんなに面白くて浮世離れしたコラムを書いていた人が、どうしてこうなっちゃったんだろう?」と思うのと同時に、駆け出しのテクニカルライターだった頃の小田嶋さんは、『Bug News』で望まぬ仕事をしていたのだろうか、とも考えていたのです。

 自分自身の変化を考えても、「10代、20代と同じスタンスで仕事をしていても、時代遅れになるか、飽きられるか、自分が飽きるか」ではあるんですよね。年齢とともに「死ぬ前に少しでも世の中の役に立っておきたい」みたいな心境も生まれてきます。

 正直なところ、『Bug News』の頃、ほとんど無名だった小田嶋隆を僕は見つけていたのだ、という優越感、みたいなものが、僕を小田嶋さんの読者にし続けたのかもしれません。「あのバンドがライブハウスでまばらな客入りで歌っていた頃から応援していた」というファンみたいなものなのかな、と。
 あの頃は、まさかあのオダジマさんが、天下の日経で政治コラムを書くようになるなんて、想像してもいませんでした。

 2022年になって俯瞰してみると、『コンプティーク』や『ポプコム』から直木賞を獲るような人気作家が出ているわけですから、当時のマイコン雑誌というのは、雑誌文化のなかで「新しい感性の人が自由に書きやすい場所」だったのかもしれませんね。



はてなブックマーク」では、「また小田嶋隆か!」と毛嫌いされることが多かったけれど、僕はずっと、自分が若くて何も持っていなくて、家に籠もってマイコン雑誌を読みふけっていたときの小田嶋さんが忘れられなかったし、コラム集もずっと読んでいました。
 こんな説教くさい人じゃなかったのに、とは思いつつも、小田嶋さんのコラムには、僕が知らなかったことが少なからず書かれていましたし、なんでも書ける器用さ、みたいなものが、小田嶋さんをストレスがかかる仕事に向かわせてしまったようにも思います。とはいえ、書く人間として、『Bug News』と『日経ビジネスオンライン』のどちらに書きたいか、書くべきか、と問われたら、大抵の人は後者を選ぶでしょうけど。


 小田嶋さんの、とくに後半生の仕事は「左派言論人」「反権力の論客」として語られがちなのですが(というか、小田嶋さんの訃報を伝える媒体によって、かなりニュアンスは異なるのですが、「反権力の人という枠にはめたいマスコミ」が多い印象です)、小田嶋さんは、「安倍晋三さんの批判」だけを書いていたわけではないし、政治関連以外で、僕の記憶に残る文章をたくさん残してもおられるのです。


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 数年前に、ある少年事件に関連して、15歳から17歳ぐらいまでの非行少年のプロフ(インターネット上に書かれた自己紹介ページの類)を大量に閲覧したことがある。その折、彼らのあまりな幼さに痛ましい気持ちを抱かずにはおれなかった。
 彼らのプロフページには、それこそ判で押したように、同じ文言が書き連ねられている。
「仲間のためなら命を投げ出すぜ」
「最高の地元で、オレは最高の仲間に恵まれてる」
「自慢の宝物は仲間だよ」
 プロフの文面からは、彼らの「不品行」が、ある部分、「仲間」との連帯を証立てるための「儀式」であったことがありありと伝わってくる。
 逆に言えば、マトモな社会人になって、大人たちに褒められる真っ当な少年になることは、彼らの中では、そのまま仲間を裏切り続けることにつながっているようだった。あるいは、もう少し別の見方をするなら、いい歳をして、いつまでも友情なんかに絡め取られている人間は、人生を踏み誤るということだ。
 その意味で、早い段階で友だちと疎遠になった私のような人間は、要領がよかったのだと言えば言える。
 ともあれ、元ヤンと呼ばれる「昔やんちゃした男たち」は、仲間には恵まれている。
 独り立ちして、勉強したり働いたりせねばならなかった時期に、いつまでもダチとツルんでいたことの報いを受けて、彼らの多くは、高い学歴や職能とは縁の少ない暮らし方をしている。でも、その彼らは、オヤジになってなお、相変わらず一緒にバカをやれる仲間を持っている。
 いずれが勝ち組であるのか、簡単には判断できない。


 この「オヤジになってなお、バカをやれる仲間を持っている」という人たちが、いわゆる「マイルドヤンキー」と呼ばれているのです。
 ここで書かれている「仲間のため」っていうのは、「幼さ」「極論」のようでいて、日本でのさまざまな創作物(とくにエンターテインメント系)をみていると、こちらのほうが「主流」なのかもしれません。
 以前観たテレビ番組の街頭インタビューでの「人生でいちばん大切なものは?という問いに、「友だち」って答えた人が、かなり多かった記憶もあります。


 この文章は、次の一文で締められています。

 私は、もう一回生きても、どうせ同じことしかできない。まあ、それは、お互いさまだろうけど。

 うん、結局のところ、「僕も、向こうも、こういうふうにしか生きられなかった」のだよね。
 そう言ってしまえば、身も蓋もないのだけれども。



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 なんとなれば、新聞や雑誌の紙面のうちに、ひとつの枠を与えられて、その中でなにがしかの言説を開陳する以上、そのテキストが、周囲の、他ページの、上段や下段にある文章と同じテンポやムードの出来物であって良い道理はないからだ。
「おい、この書き手の文章は、何かが違っているぞ」
でも良い。あるいは、
「まーたオダジマの原稿は、いいぐあいにきちがってやがるな」
 でもよろしい。
 いずれにしても、読み手による好悪や、その時々の出来不出来を超えた地点で、コラムは、「違った」文章であらねばならない。
 内容、文体、視点、あるいは結論の投げ出し方や論理展開の突飛さでも良い。とにかく、どこかに「当たり前でない」部分を持っていないとそもそも枠外に隔離された甲斐がないではないか。
 だって、居住区域外の、ある意味鉄格子の檻みたいなものの内側に、オレらコラムニストは追いやられているわけだから。だとしたら、ガオオオぐらいな咆哮はやらかしてみせるべきところだろ? 見世物芸人の意地として。



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 大学は、社会に役に立つべきなのかもしれない。
 でも、通う身からすれば、大学の魅力は、役に立たない生き方が許容されているところにある。
 就活はどうするのか、って?
 大学で学んだことが職業に結びつかないような生き方こそが、豊かな人生だよ。



 近年は、アルコールの影響もあったのか、小田嶋さんの文章は、以前のようなしなやかさというか、「自分の正しさを疑わない人たちへの、小田嶋さん自身へのセルフツッコミからはじまる社会への問題提起」が減り、小田嶋さん自身が、自分の党派のスタンスを盲信しているように見えることもありました。それは、あまりにもライターとして「自分の役割」に適応してしまうがゆえ、だったのかもしれません。
 ネット社会のなかで、「みんなの空気」「声の大きい人たち」に流されない「老害」であることを自らに課していたようにもみえます。


 ちなみに、小田嶋さんとアルコールについては、このエッセイも興味深いものでした。


 僕がいちばん好きだった時代の小田嶋さんは、アルコールに依存しつつ、書いていたのか……

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 この文章のなかでも、何度も出てくる「コラム」と「エッセイ」という言葉。僕自身も、その違いをうまく説明できないので並記しているのです。


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 小田嶋さんはこの本の巻末の対談で、コラムとエッセーの違いについて、こう仰っています。

 それはコラムとエッセーの違いについて、昔から思っていたことです。コラムというのは、話題やテーマといった対象寄りなんです。俺が俺がという話はあまり出ない。エッセーというのは、女優さんの副業だったり、作家の筆のすさびだったりして、俺の庭にとか、俺が俺がという思いの方が出る、私的なものです。
 だから、自分としてはコラムと言いたい気持ちがある。


 もしかしたら、小田嶋隆という人は、「日本で最後の専業コラムニスト」だったのかもしれませんね。
 
 僕の個人的な気持ちとしては、小田嶋さん自身のスタンスは理解できるけれど、小田嶋さんの「エッセー」をもっと読みたかった。
 古舘伊知郎さんが、『報道ステーション』を長い間続けてしまった後のような、「器用にこなせる人だったからこそ、いちばん向いているわけではない大きな仕事」に時間をあまりにも費やしてしまったのではないか、と、身勝手な残念さを感じてもいるのです。

 私は、もう一回生きても、どうせ同じことしかできない。まあ、それは、お互いさまだろうけど。


 ああ、僕もそうだ。生まれ変わっても、フローラは選べない。

 そして、「他人は変えられない、動かせない」という前提を持ち、わかりあえない他者から批判を浴びながらも、小田嶋さんは、ずっと書いてきたのです。


 小田嶋さん、本当におつかれさまでした。
 なんかもう受けつけないなあ、と思った時期もあったけれど、僕は小田嶋さんの文章が好きで、そして、書かずにはいられない「業」に勝手に親しみを抱いていました。

 なんだか、僕のなかのマイコン少年も、小田嶋さんと一緒に喪われてしまったような気がしています。


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