いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある40代のおっさんが読んできた「ゲーム雑誌」の時代


anond.hatelabo.jp


 思えば、小学校高学年から高校卒業くらいまで、ずっとゲーム雑誌とマイコン雑誌ばかり読んでいたような気がする。
 あとは、『タクティクス』(ボードゲームの雑誌)とか。
 もちろん、『週刊少年ジャンプ』も読んではいたのだけれど、僕はあまり『ジャンプ』の記憶はないんだよなあ。
 毎月、マイコン雑誌を眺めては、「またPC8801mk2SR以降か……おっ、X1に移植される!」(数か月後)「Turbo専用、だと……」というようなことを繰り返していた記憶しかないのです。


 いちばん僕の人生に影響を与えた雑誌は、『LOGiN』でした。
fujipon.hatenadiary.com


 21世紀に入ってからは、ほとんど読んでいないので、休刊から10年も経ったのか、というよりは、10年前まで、まだ出ていたのか、というのが正直な気持ちではあるのですが。
 『LOGiN』は「ヤマログ」のような「投稿系」「お笑い系」の記事もすごく楽しかったのですが、思い出してみると、ゲームの記事だけじゃなくて、『オールザットウルトラ科学』やSF本の紹介など、「マイコンやゲームに話題に限らない、若者向けのサイエンス雑誌」、そして「サブカル雑誌」でもあったんですよね。僕がSF小説を読むようになったのは、『LOGiN』で安田均さんが紹介されていた『銀河ヒッチハイク・ガイド』に興味を持ったからですし。J.P.ホーガンに挑戦して、すぐに挫折してしまったりもしたけれど。
 たぶん、『LOGiN』には、「徹底したエンターテインメントの追及」の裏に、「コンピューター、ゲームへの興味を入り口にして、もっと科学の世界に興味を持ってもらいたい」ってメッセージがこめられていたのではないかと思うのです。
 そして、そういう「使命感」みたいなものは、あの時代の「マイコン雑誌」の共通点でもありました。
 『月刊マイコン』で行われていた「コンピュータ将棋」の延長線上に、電王戦があり、いまの、「おそらく人間の名人に勝ち越すであろうコンピュータ将棋」があるわけですし。
 今から考えると、テーブルトークRPGやボードでのシミュレーションゲームなんていうのは、コンピューターゲームの発展によって、かなり市場が縮小、あるいは消失してしまったジャンルだよなあ。


 当時のゲーム雑誌、マイコン雑誌にはいろんな思い出があるのですが、この2018年の年の瀬に、僕が読んできた「ゲーム雑誌の全盛期をつくってきた人々が当時を語っている本」を集めてみました。




(1)超実録裏話 ファミマガ

超実録裏話ファミマガ〈2〉弟雑誌続々創刊のスーパー秘話集第2弾

超実録裏話ファミマガ〈2〉弟雑誌続々創刊のスーパー秘話集第2弾

fujipon.hatenadiary.com


ファミマガ』は、1985年7月創刊。

スーパーマリオブラザーズ』は、「発売直後の売上が芳しくなく、ちょっと不安な空気が編集部に流れていた」そうです。
いまとなっては信じられない話なのですが、思い返してみると、有名アーケードゲームの移植でもなく、派手に宣伝されていたわけでもない『スーパーマリオ』は、たしかに、発売直後はあまり注目されていなかったんですよね。
我が家では、発売直後に購入したのですが、あまり期待していなかった『スーパマリオブラザーズ』というゲームがあまりに面白いので、ものすごく嬉しかったことを覚えています。
いまは、発売前にゲームの評価まで固まってしまっているような時代なので、あのときの感動が、よりいっそう懐かしく思い出されるんですよね。


この本のクライマックスは、なんといっても、このエピソードでしょう。

「昔、ファミマガという本を作ってまして」と挨拶すると、5割以上の確率で「野球拳の!」と言われます。ゲーム雑誌の歴史の中で、これほどに記憶に残っている記事は珍しいんじゃないかというのが『水晶の龍』のシンシアの野球拳。
 当然、ウソ技なのでありますが、担当者が何時間もかけて描いたグラフィックの見事さ。そしていくつであっても男は男という悲しいサガ。任天堂のハードにそんなソフトが出るわけはない…と、わかってはいても、確かめようと頑張った。


(中略)


 実際にこのウソ技が掲載され、市場にあった『水晶の龍』の在庫が無くなり、書き換えの回数が増えたといわれています。幸いだったのは技のコマンドが単純だったこと。何度やり直しても実現はせず、そのうちウソだと気づきます。しかも内容が内容なんで、問い合わせもできず…。純粋な子供の心はいたく傷つけられたわけでありますな。


 この本には、当時の「ウソ技」の記事が紹介されているのですが、「こんな小さな記事だったのか……」と意外でした。
 ものすごく大々的に紹介されていたような記憶があったのに……
 あれは本当に罪作りな企画だったなあ。
 「ファミコンでそれはさすがに無いだろう」と思いつつも、「もしかしたら……」と期待せずにはいられない中高生男子マインド……


 ちなみにこの本、第2弾も発売されています。

超実録裏話ファミマガ〈2〉弟雑誌続々創刊のスーパー秘話集第2弾

超実録裏話ファミマガ〈2〉弟雑誌続々創刊のスーパー秘話集第2弾

fujipon.hatenadiary.com



(2)1989年のファミコン通信

1989年のファミコン通信 (ファミ通Books)

1989年のファミコン通信 (ファミ通Books)

fujipon.hatenadiary.com


ファミコンが誕生した30年前には小学校高学年で、ファミコンの全盛期に小学校〜高校時代を過ごしていた僕にとって、「ゲームデザイナーになる」とか「ゲーム雑誌の編集者になる」というのは、まさに「夢」だったのです。
テレビゲーム友達と、「大学で東京に出て、『ログイン』か『ファミ通』か『BEEP!』の編集部でバイトさせてもらおう!」なんて、よく話していたものです。
この本、そんな「夢」を本当に実現してしまった人、田原誠司さんが、「創刊黎明期の『ファミコン通信』に、アルバイトとして入ってた当時の自分と編集部の様子」を描いたものです。


田原さんは、友人に借りて読んだ『ファミコン通信』との出会いを、こんなふうに書いておられます。

 自分の部屋でファミコン通信を開いたときは、すべての漢字に振り仮名があることに驚いた。いわゆる総ルビである。こんな本を読むのは小学校以来だ。やっぱり大学生が読むものじゃないよなと思いながらページを繰っているうちに、ただの総ルビ雑誌ではないことがわかってきた。
 やられた! と思ったのは、ディスクシステム用のソフト『バレーボール』の記事だった。そのゲームの内容を紹介するページの中で、画面写真の横に添えられたキャッチコピーが”全マップ公開!”となっていたのだ。全マップもなにも、『バレーボール』は画面中央に固定されたバレーコートで試合するだけのスポーツゲームだ。そもそもマップ自体が存在しない。そんなことは百も承知で全マップ公開と言ってのけるバカさ加減。このキャッチコピー一発でぼくはファミコン通信に惚れた。その号を端から端まで、何度も熟読した。笑いながら、頷きながら、唸りながら。イマムラに電話をした。奴にはライブラリーがあるはずだ。「こんど会うときにいままで発売されたファミコン通信を全部貸してくれ!」

そうそう、まさにこういうのが、『ファミコン通信』のノリだったんですよ。
作っている側も楽しんでいる雰囲気が伝わってくるような。
当時、新潟大学の学生だった田原さんの人生は、『ファミコン通信』との出会いで、大きく変わっていくのです。



(3)石井ぜんじを右に!

石井ぜんじを右に! ~元ゲーメスト編集長コラム集~

石井ぜんじを右に! ~元ゲーメスト編集長コラム集~

fujipon.hatenadiary.com


魔界村』の攻略記事がきっかけになって、ゲームライターの世界に足を踏み入れ、妥協を許さない責任感の強さもあって、『ゲーメスト』の若き編集長として、「テレビゲームの時代」を駆け抜けた石井さん(でも、いまでもほとんど毎日、ゲームセンターに通っておられるそうです。筋金入り、とはまさにこのことか)。
 『ゲーメスト』は一時は『ファミ通』の次くらいに売れたゲーム雑誌となり、新声社はかなり儲かっていたのだとか。
 その後、経営者たちの無謀な拡大路線で、経営がうまくいかなくなり、結局、本丸である『ゲーメスト』も1999年に廃刊となってしまうのですが……


 『ゲーメスト』といえば、「伝説の誤植」の数々!

 このコラムの「石井ぜんじを右に!」という名称は、「ゲーメスト」の有名な誤植「インド人を右に」というところからきている。これはもともと「ハンドルを右に」と表記すべきところが、なぜか「インド人を右に」となってしまった。

 ほんとこれ、知ってるのに、やっぱり笑ってしまいました。
 石井さんは「ミスを売りにするのは不本意なんだけど、まあ、それで記憶に残るのなら、エンターテインメントとしてはアリなのかな」と振り返っておられます。
 当時は本当に締切ギリギリで(というか、デッドラインをはるかにオーバーしながらも)、新しい記事を入れていたそうです。
 とはいえ、「インド人を右に」は、あまりにもすごすぎる。
 字の形をみてみると、間違えるのもわからなくはない……ような気がするけれど、ゲーム雑誌の記事なんだし、文脈的におかしいだろそれ……
 今となっては、これもまた良い思い出、なんですけどね。



(4)蘇るファミコン必勝本

蘇るファミコン必勝本 (TJMOOK)

蘇るファミコン必勝本 (TJMOOK)

fujipon.hatenadiary.com


 今回、この『復刻版』をみて、「これこれ!」と思ったのは、「スーパーマリオブラザーズ256ワールド」でした。
 そうそう、『ファミコン必勝本』発だったんだよなあ。
 これをきっかけに、『ファミコン必勝本』は、認知度を上げたのですが、メジャーになってしまったことは、『必勝本』サイドにとっても、意外ではあったようです。

 そうしたアングラなネタも取り入れながら、読者を増やしてきた『ファミコン必勝本』が、『ファミマガ』『ファミ通』『マルカツ』と並んで”4大ファミコン誌”と呼ばれるようになったのは、初期から読んでいた読者にとっては少々違和感があったかもしれない。どちらかといえば、アングラネタを扱う『ゲームボーイ』やメーカーと喧嘩が絶えなかった『ハイスコア』に近い立ち位置だったはず。なにせ、『ファミマガ』や『ファミ通』はこうしたバグ技は禁じ手にして、決して掲載しなかったからだ。


 当時は、電源を入れたままカセットを抜き差しする、というのはいかがなものか、とかなり賛否が分かれていて、『ファミマガ』などは、「こういうハードが壊れる可能性があるバグ技は扱わない」というスタンスでした。
 それにあえて踏み込むのが、宝島社っぽいよなあ。
 僕の知人にも、これでファミコンを壊してしまったヤツがいたのを思い出します。
 それでも、ダメだと言われればやってみたくなるのが、人間であり、子供ってものではありますよね。



 あの時代から30年くらい経って、当時の編集者たちの肉声を記録するのも、どんどん難しくなってきています。
 ファミコン雑誌に関しては、かなり売れていたこともあって、こうして証言が本になっているものも多いのですが、マイコン雑誌に関しては、あまりまとまった記録が残されていないのです。『LOGiN』や『マイコンBASICマガジン』の全盛期の裏話とか、誰か書いてくれないものだろうか。
 冒頭の記事に対する反応をみていると、けっこうニーズはありそうな気はするのだけれど。


fujipon.hatenablog.com

圏外編集者

圏外編集者

アクセスカウンター