いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

三遊亭円丈さんと『サバッシュ』の思い出


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 三遊亭円丈さん、亡くなられたのか……
 訃報を伝える記事では新作落語での活躍や、蚊取りマットのCM、1986年に上梓された、落語協会との騒動を題材に描いた本『御乱心』について語られているものが多いようです。
 『御乱心』は本当に面白くて、円丈師匠の「自分自身が巻き込まれている騒動を楽しんでしまう、ネタにしてしまう気質」みたいなものを感じずにはいられないのです。



 ただ、僕にとっての三遊亭円丈という人のいちばんの思い出は、マイコンゲーム好きで、小学館マイコン雑誌『ポプコム』で、長年連載を続け(『円丈のドラゴンスレイヤー』)、好きが高じて自らゲーム制作までしてしまったことなんですよね。
 そして、その制作過程における、『ポプコム』編集部や制作会社、プログラマーとの軋轢も、面白おかしく『ポプコム』の連載で語っておられたのです。
 当時の『ポプコム』は、『ザナドゥ』をはじめとしたマイコンゲームの「同時進行レポート」が一世を風靡していました。
 それまでは「新作ガイド」みたいな内容がほとんどだったマイコンゲームを、発売後も追い続け、プレイヤーがゲームを進めていく様子を毎月連載していく、という企画は、けっこう斬新だったのです。
 「月刊誌」というのは、いまの「ゲーム動画」のスピード感に比べれば、はるかにのんびりしていて、プレイヤーにとっては「まだそんなところなのか」と思うことも多かったのですが、誰もが心の中でやっていた「ゲームプレイ実況」を文字にした、というのは大きな功績であり、転機だったような気もします。

 その円丈さんがシナリオを書き、『ポプコム』が激推ししたゲームが『サバッシュ』でした。
 開発がアナウンスされてから、完成までは遅れに遅れ、円丈さんは連載でスタッフへの不満をぶちまけまくり、「本当にこれは発売されるのか?」と多くの読者がやきもきしながら、見守っていたのです。
 むしろ、このゲームの開発が「究極の同時進行レポート」だったのかもしれません。


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 円丈さんのアイデアを読むとすごく面白そうなのに、実際にやってみると煩雑さでうんざりするシステムの数々に、使えないAI、広すぎるマップに遅い移動速度……
 期待値が高かっただけに、「微妙」なゲームではあったのですが、「新しいことをやってやろうという意欲」は伝わってくる作品で、当時のマイコンゲーマーは、そういう「気概がカラ回していている作品」が、けっこう好きだったんですよ。
 実際、『サバッシュ』は、かなり売れたみたいですし。
 ただ、円丈さんは、開発陣との軋轢と制作遅れもあって、結局、ゲームの完成前にシナリオ担当から「抜けて」しまったそうです。

 僕は円丈さんが『ドラゴンスレイヤー』で書いている制作陣との軋轢は、「炎上(円丈)商法」みたいなものではないか、と思っていたので、「本当にそんなに揉めていたのか……」とけっこう驚きました。
 とはいえ、なんとか完成に至ったのは、ある意味たいしたものだったのかもしれません。
 ちなみに、この開発陣は、のちに『エメラルドドラゴン』という名作をつくっています。
(円丈さんによると、「俺が投げ出して、「名前も外してくれ」と頼んで、終盤のシナリオがなかったのを、一週間でラストをデッチ上げ完成させてしまった人たちだそうですが……)


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 当時のソフトハウス(ゲーム制作会社)というのは、マイコン好きの知人が集まってワイワイやりながらゲームをつくっているようなところが多くて、ヒット作が出たらお金で揉めたり、人間関係がぎくしゃくして分裂したり、というのがよくあったのです。
 『ドラゴンスレイヤー』から、パソコンゲームを作り続けている『日本ファルコム』とか、ゲーム制作的にも経営的にも本当にすごい。
 
 ちなみに『サバッシュ』が予想以上に売れたがために、続編の『サバッシュ2』も、再び円丈さんが加わって制作されました。

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 主人公が3人いて、それぞれ違ったゲーム展開が楽しめるという意欲作だったのですが、やっぱり円丈さんと制作陣が揉め、開発は大幅に遅れた末に、1993年2月に発売されました。
 スーパーファミコンPCエンジンのCD-ROM全盛期、1994年末にはプレイステーションが出ていますから、マイコン(パソコン)ゲームにとっては、斜陽期でもあったんですよね。
 まあでも、『サバッシュ』シリーズには、円丈さんがマイコンゲームをやり込んでいればこそ、という不満の解消への挑戦やオマージュが組み込まれていて、僕にとっては忘れられない作品です。
 ゲームをつくるのって、大変なんだなあ……とあらためて痛感しました。
 あの糸井重里さんも、『MOTHER』シリーズ開発の追い込みの際には、ずっと缶詰めになっていたそうですし。


 円丈さん、享年76ということは、『ポプコム』で連載をしていた35年前は、今の僕よりも若かったんだなあ……
 この10年くらいは、飯野賢治さんや森田和郎さん、任天堂岩田聡社長など、僕が遊んできたゲームをつくっていた人の訃報に接することが多くなってきて、そろそろ僕も「GAME OVER」が近づいてきたのだな、と考えずにはいられません。


 『ログイン』や『ポプコム』『マイコンBASICマガジン』を読むために生きていたような10代のマイコンゲーマー少年が、もうすぐ50歳か……

 僕にとっての三遊亭円丈は、「『ポプコム』でしょっちゅう揉め事を起こしていたゲーム好きなのに落語家のおじさん」でした。
 ずっと密に追いかけていたわけではないけれど、円丈さんが亡くなってしまったのは、なんだかとても淋しい。
 新作落語とかCMの円丈さんだけじゃなくて、こういう『サバッシュ』とかの話を書き残す人間が、少しくらいいてもいいよね。


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