いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「街の書店はなぜ潰れ続けるのか?」


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 「街の書店はなぜ潰れ続けるのか?」
 僕が住んでいる地方都市では、潰れそうな書店はもう潰れ尽くしてしまっていて、残っているのはショッピングモール内の大型書店とTSUTAYAだけ、という状況なのです。

 本好き、書店好きな僕としては、「とにかく本に囲まれた空間があるのが魅力なんだよ、図書館みたいにひたすら静かな場所もいいけど、他の人の他愛のない会話を聞いたり、POPをみながら棚を見て回ることそのものが楽しい」と言いたいのです。
 でも、あらためて思い返してみると、最近3ヶ月くらい、リアル書店に足を踏み入れていない。
 TSUTAYAもDVDを借りなくなってから(アマゾンプライムやネットフリックスで観るようになったので)、ほとんど行かなくなりました。


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 そもそも、本を読む時間が減っているんですよね。
 動画視聴の時間は以前より増えたけれど、仕事の量や勤務時間は、この数年は大きな変化はないし、テレビゲームを徹底的にやっているとか、ブログをがんばって書いている、というわけでもないのですけど。テレビも『ゲームセンターCX』と競馬中継くらいしか観ていないし。

 思い当たる理由としては、老眼が進んできて、本を読むのがめんどくさくなってきている、そして、新しいことへの興味や好奇心が、年齢とともに減退してきているというのはありそうです。
 書店の衰退も、「ディスプレイで本を読んだり、AmazonKindleに馴染めない高齢者世代」がどんどん退場していき、「スマートフォンタブレット端末で本を読むのが当たり前だった世代」の割合が増えてくれば、「本は紙じゃないと」「装丁も含めて読書体験」みたいなのは「古い考え方」になるのは致し方ない。
 そのうち、紙の本というのは、音楽産業におけるレコード盤のようになっていくのかもしれません。
 
 今の若い人たちにとっては、「配信で聴くのが当たり前」になっていて、CDでさえすでに「オールドメディア」になってしまっているのです。僕などは、CD買ったほうが、なんとなく得な気がしてしまうのですが、実際に聴くのはほとんどiPhoneです。CDを買うと、iPhoneに入れる手間だけめんどくさい、とも言えます。

 
 それでも僕は書店が大好きですし、潰れないでほしいと思ってはいます。
 その一方で、近所のTSUTAYAにさえあまり行かなくなったのに、このコロナ禍のなかで、わざわざショッピングモールの紀伊国屋に行くのも、行きたいけどめんどくさいなあ、まあ、また今度、みたいなことを繰り返してもいるのです。

 20年前くらいに地方都市にはたくさんあった、DVDレンタルと一緒になった郊外型書店(TSUTAYA含む)は、仕事帰りに車でちょっと寄って、気分転換するのにちょうどいい距離感だったんですよね。
 それが、大型ショッピングモール内の大型書店となると、混雑のなか車を運転してまずショッピングモールの駐車場に車を停めて、駐車場から歩いて店内に入り、けっこう広い店内を歩いてようやく書店に到着する、という感じで「体感的に、かなり遠いというか、行くのがめんどくさい」のだよなあ。他の買い物のついでに行くには、ショッピングモール内の大型書店は便利なのだけれど、本を買うことだけを目当てに行くには、なんだかハードルが高い。そして、そのハードルの高さの割には、欲しい本が無かった、ということも少なからずあるのです。もっとも、行けば楽しいし、欲しい本がなくても、けっこう面白そうな本を発掘できることも多いのですが。

 ショッピングモールって、平日の仕事帰りにはなかなか行きづらいし、休日は激しく混雑するんだよなあ。
 逆に言えば、そういう「書店の中央集権化」で生まれた「リアル書店難民」を、DVDレンタル業が難しくなったTSUTAYAが取り込もうとして「再リアル書店化」をすすめている、というのが現状なのかもしれません。


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 こういうのをみると、本好きとして「頑張って!」というのと、「あまりに売り手の圧力が強い店は、ちょっと買いづらいし、不安にもなるんだよなあ」と思うのです。
 「このPOPを書いた人が、この店の中にいて、僕のような冴えないオッサンがレジに持っていくのをみたら、どんな気分になるのだろうか?」という自意識過剰モードにもなりますし。
 そもそも、「書店のPOP」が「売るための攻略法」になってから、僕はPOPを信用していないのです。


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 POPだらけの書店って、「店の前で一生懸命アルバイトが旗を振っているガソリンスタンド」のように僕は感じてしまう。
 「お客さんに存在を印象づける」面ではプラスなのかもしれないけれど、書店は、「どの本を平積みにして、目に付く場所に置くか」だけでも「その書店の推しや主張」を見せられるはずなのです。
 僕が好きなリアル書店は、派手なアピールはほとんどしていないのに、店内を一周すると買いたい本が自然と何冊も目に入ってきます。
 もちろん、こういうのは「相性」があるものなんでしょうけど。

 
 正直、書店でのPOPブームが起こって、「王様のブランチで紹介されそうな本」がPOPで薦められ、『本屋大賞』も、「書店員さんが読んで面白かった本」よりも「書店員さんが好きな作家の本」(しかもこれが、同じ作家縮小再生産みたいな本ばっかり。連作短編集+最後に全部がつながって、お約束のどんでん返し、が黄金パターン)がノミネートされることが多くなっています。
 リアル書店のほうが、結果的に、Amazonよりも「良い本を薦めるとか、出版文化を守る、というよりも、いま、ここで売れる本を売る。売れそうな本を薦める」という方向に進んでいっている、ようにも感じます。


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 僕も最近はリアル書店で見つけた本を買う前に、Amazonレビューを確認するんですよね。Amazonレビューを妄信しているわけではありませんが。
 POPは「宣伝用のコピー」でしかないと思っているし、既読の本につけられたPOPをみて、玉石混交というか「きっと、読んでいない本、あるいは自分では面白いとは思わなかった本のPOPを上司の命令とかで書かされたんだろうな」と嘆息することも多いのです。
 商売ってそういうものだしね。アフィリエイトブロガーの「オススメの商品」と同じ。


 配本システムがどんなに進化しても(というか、ネット書店以前の「注文してもいつ届くかわからない」という時代に比べたら、はるかに配本システムは便利になっています)、「手間」でAmazonに勝つのは難しいだろうと思います。
 個人的には、Amazonで注文してから受け取りまでの時間差や「届けられるときに家にいなくてはならない(これは、僕自身は宅配ボックスで解決していますが)」というのが、かえってめんどうに感じることも多いのですが。

 僕自身は、現時点では、リアル書店Amazonなどのネット書店で半分ずつ本を購入していますが(リアル書店に行けないときには、紀伊国屋などの「リアル書店系のネット通販」で購入していることも多いです)、紙の本というのは、アイテムとして愛おしいのと同時に、物理的に部屋を占拠する存在でもあるのです。
 現状での小さな子どもの「絵本」は別として、僕の子どもたちは、タブレット端末やスマートフォンでけっこう本を読んでいて、その感想を聞く限りでは、電子書籍だから紙の本とは違う、ということもなさそうです。
 紙の本を持っているときの、あの重さ、感触が好きなんだ、というのは、僕の世代の懐古趣味でしかないのかもしれません。


 リアル書店が完全に無くなることはないと思うんですよ。なんのかんの言っても、「書店」には人を集める力があるし、書店のないショッピングモールは見たことがありません。
 これからは、紙の本がたくさん置いてある、ということが「価値」につながる時代になっていく可能性もあると思います。

 その一方で、「リアル書店で本の実物を確認して、Amazonで注文する人も増えそうではありますが。ポイントもつくし。
 ただ、僕がいくら「DVDレンタルショップの雰囲気が好き、懐かしい」と言っても、若い世代が「家でリモコンのボタンを押せば定額で観られるものをわざわざ時間を使って店に借りに行く必要なんてない」と思うのは当たり前です。


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 瀧本哲史さんが、講義のなかで、こんな話をされているのです。

 みなさん、パラダイムシフトって言葉、聞いたことありますよね?
 パラダイムチェンジとも言うかもしれませんが、要は、それまでの常識が大きく覆って、まったく新しい常識に切り替わることです。
 最近では、スマホが登場してガラケーに取って代わったことなんかは、典型的なパラダイムシフトでしょう。
 一般的な用語として広まっていますが、でもこれ、もともとは科学ジャンルの言葉で、トーマス・クーンという科学史の学者が『科学革命の構造』という著書の中で使い始めたものなんですね。
 たとえば、超有名な天動説から地動説への大転換があるじゃないですか。ガリレオ・ガリレイとかの。
 あれって、どうやって起きたと思います?
 どういうふうに、みんなの考え方がガラリと変わったんだと思います?
 じゃあ、そこの方。はい。


生徒1「学会とかで議論して、認められた?」


 なるほどなるほど、非常に良い答えですね。ありがとうございます。
 他にいますか? はい、あなた。


生徒2「古い学者がみんな死んじゃって……」


 そう、そう。そうなんですよ。
 クーンはですね、地動説の他に、ニュートン力学ダーウィンの進化論など、科学の歴史上で起きたいろんな科学革命を調査・研究した結果、たいへん身も蓋もない結論に達してしまったんですね。
 ふつうに考えれば、天動説を超えるような人に対して、地動説の人が「こうこう、こういう理由で天動説は観察データから見るとおかしいから、地動説ですね」って言ったら、天動説の人が「なるほどー、言われてみるとたしかにそうだ。俺が間違ってた。ごめんなさい!」っていうふうに考えを改めて地動説になったかと思うじゃないですか。
 でも、クーンが調べてみたら、ぜんぜん違ったんですよ。
 天動説から地動説に変わった理由というのは、説得でも論破でもなくて、じつは「世代交代」でしかなかったんです。
 つまり、パラダイムシフトは世代交代だということなんです。


 僕は紙の本が好きだし、愛着もありますので、これからもなるべく紙の本をリアル書店で買い続けようと思います。
 でも、いまの若い世代、自分の子どもたちをみていると、「紙の本へのこだわりがなければ、読みたいものがすぐに買えて読める電子書籍がメインになるのも致し方ないな」と考えざるをえないのです。
 口伝、そして石板とかパピルスの時代を経て、グーテンベルクがヨーロッパで活版印刷を確立してから、600年弱(中国では、1000年くらい前に活版印刷が行われていたそうです)。歴史の変遷としてみれば、紙の本の時代が終わりつつある、ということなのかな、とも思います。
 書店に問題がある、やり方が悪いから潰れる、というよりも、「いまは次の記録媒体に変化していく時期で、工夫した者はある程度延命できるだけ」とも言えそうです。もちろん、ある程度の期間、割合は、紙の本も残るとは思いますが。
 とりあえず、人間は過去から未来に「情報」を受け継いでいく生きものである、ということは、これからも変わることはないでしょう。
 そう考えると、「電子書籍の先にあるもの」を見てみたい気がしますけどね。子どもたちがちょっと羨ましい。


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