いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

オシム監督を知らない若い人たちにも伝えたい『オシムの言葉』


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 僕が『オシムの言葉』を読んで、オシム監督の大ファンになったのは2006年。
 オシムさんが日本代表監督に就任し、ワールドカップでの「オシム・ジャパン」の活躍が期待される中、脳梗塞で辞任を余儀なくされたのが、2007年の11月でした。
 『オシムの言葉』を読んで以来、「サッカー選手にならなければ、数学教師になっていたかもしれない(ただし、その場合はボスニアの内戦を生き延びられたかどうかはわからないが……とオシムさんは付け加えていたそうです)」というこの名指導者の言動に魅せられてきました。

 脳梗塞のあとも、サッカーへの情熱と知的好奇心を失わない姿をみると、「本当にすごい人だなあ」とそのバイタリティにあらためて圧倒されていたのです。
 監督のような現場での激務には耐えられなくても、テレビの解説やメディアのオシムさんのインタビューで姿を見て、その言葉を聞くだけで、「ただ、そこにいてくれるだけで、嬉しくなる人」だったのです。

 オシム・ジャパンをワールドカップの舞台で見てみたかった、と思うのは、僕だけではないはず。
 僕はオシムさんの「サッカー哲学」に感動し、ボスニアの内戦に翻弄されつつも、祖国・地元とサッカーを愛し続け、日本人と日本のサッカーのために尽力してくれている姿に感謝していました。

 日本代表監督、という激務が脳梗塞のトリガーになったのかもしれない、とも思うのです。
 でも、あの危機的な病状から回復し、15年間も「御意見番」としてサッカー界や社会にメッセージを発し続けてくださったのは、僕にとっては幸運なことでもありました。

 オシムさんがいなくなってしまって、とても淋しい。

 なんだか、それ以外の言葉がうまく出てきません。



 僕がこれまで読んできた、オシム監督の著書の中で、印象に残っている言葉をご紹介したいと思います。
 名言が多すぎて、これでは少ないのですが『オシムの言葉』だけでも、あらためて多くの人に読んでみていただきたいのです。


 まずは、その『オシムの言葉』から。

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(優勝がかかった試合で、最後に決定的なシュートを外した佐藤勇人選手へのオシムの言葉

 ミックスゾーンにいた勇人は、悔しくてたまらなかった。そこに記者が話しかけた。
「監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そうしたら、『シュートは外れる時もある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか』と言われたよ」
 全身が痺れた。この人はどこまでも自分たちを見ていてくれる。その上、選手を横一線で見ているのだ。

 オシムは「羽生はそのポジションにもっといい選手がいても、どこかで使いたくなる選手だ」と言った。そう言わしめるようになっていったには当然ながら、深い過程があった。走るサッカーの象徴のような羽生はこう見ていた。
「監督は厳しいけど誰よりも選手のことを考えてくれているんです。それが求心力になっていると思います。僕も最初は練習でミスをすると、いきなり『お前だけ走ってこい!』と、開始早々にひとりだけ罰走させられて、何だよと思っていたんですよ……」
 でも、今考えてみると、さらにレベルアップできると信頼されていたからだと思えるのだ。
「監督はよくトップ下の選手が簡単に5メートル、10メートルのパスをミスしていたら、サッカーにならないと言うんです。その意味では、僕がそこ(トップ下)をやるのなら、ミスは絶対に犯しちゃいけないんですよね。練習でひとつのメニューが始まって『やれ』と言われた時に、最初はゆっくり入っちゃったりしますよね。様子を見ながら、みたいなパスを出して、たまたま受ける側もそういう気持ちで入っていると、多少ズレるじゃなですか。それで僕のパスミスみたいになる。そういうのが許されないんです。1年目からすごく言われました。すぐに『お前、走って来い』。散々繰り返されたので、僕はもう練習の1本目のパスから集中しよう、と思うようになったし、数メートルという短いパスでも、しっかり通そうという気持ちになりましたね。
 なんで1本のパスで、俺だけこんなに走らされなきゃいけないのかと当初は悔しかったんですが、それがあるから今があるんですよ」


 この本の著者である木村元彦さんが、「Number.660」(文藝春秋)の特集記事「オシムの全貌。」に書かれた「智将を知るための5つのエピソード」のなかの1つ。

 リーグ戦優勝2回、カップ戦優勝3回、チャンピオンズリーグ出場3回。就任以来、オーストリアの中位クラブだったグラーツを飛躍的に成長させたオシムは何故このチームを去らなくてはならなかったのか? クラブのハネス・カルトウニック会長との確執が原因とされている。
「中立的な立場からモノを言おう」とコメントをくれた地元紙クローネン・ツアイソンのカリンガー記者によれば、発端は会長が、常勝を求め始めたことによるという。チームは生き物であり、世代交代も含めて調子には波があることを前提とするオシムの考えは理解されなかった。
 チャンピオンズリーグ出場という歓喜から時は経ち、やがて溝は深まって行った。メディアに対し、会長が故郷ボスニアについて中傷的な発言をしたことをオシムは許せなかった。またオシムに対する給料の不払いが表面化する。クラブの経済事情を知るオシムは和解を望んだが、クラブ側は高圧的な態度に出たため、やむなく裁判に。一説によると、不払い金額は15万ユーロだったが、弁護士料なども含んで37万ユーロに膨らんだという。裁判には勝ったが、クラブの経済事情を考え、オシムは分割払いを認めた。カリンガーは言う。
「彼はカネが欲しくて裁判をしたんじゃない。その証拠に支払われたものはすべて寄付しているんだ」。クラブを去った今も、関係者の尊敬を集めており、スタジアムの道具係の人たちは、オシム夫妻が日本にいる間、グラーツの自宅の周りを自発的にパトロールしているという。


 オシム監督の選手への指導には、全て根拠や意味があったのです。
 厳しい練習を課したけれど、選手たちはレベルアップを実感することができた。
 そして、監督は、結果ではなく、選手たちがやるべきことをやっているかをきちんと見守り、適切な評価をして自信を持たせた。

 オシム監督の訃報に際して、羽生選手がひとりでボスニアオシム監督を訪ねたときのことを語っておられました。
 ボスニアという遠い国まで、自分ひとりで会いに行こうと思うような「恩師」って、どれだけ大きな存在だったのだろう。
 以前のチームの関係者たちが、オシム監督が不在の間、自宅の周りを自発的にパトロールしている、というのにも驚きました。

 「敬愛」されているというのは、こういう人のことを言うのでしょうね。
 「尊敬」される人は多いし、「みんなに愛されている」人もたくさんいます。
 しかしながら、オシムさんほど、その両方を併せ持った人は、稀有な存在だったのです。
 

 オシムさんには、チャンピオンズリーグで毎回上位を狙えるようなビッグクラブで指揮をとるチャンスが少なからずあったはずです。
 でも、大きなお金が動くビッグクラブで、政治的な揉め事に巻き込まれるよりも、成長途上のクラブ(あるいは代表チーム)をレベルアップさせていくことに、オシムさんは「やりがい」を感じていたとされています。何だか野村克也監督のことを思い出します。

 オシムさんは「知性の人」ではあったけれど、ある意味「知性的、理性的でありすぎた」がために、ビッグクラブで強権を振るって有名選手を集め、思い通りのチームを作ってタイトルを撮りまくる、みたいな野心家になりきれなかったのかもしれません。「野心家」って、イメージは悪い言葉だけれど、現実世界で成功するためには、必要な要素ではありますよね。
PK戦は苦手というか嫌いで、PKになるとキッカーを指名して、最後まで結果を見届けることなくロッカーに引っ込んでしまう」なんていうエピソードも、僕は気に入っていたのです。そういう「人間らしさ」がとても魅力的だったんですよね。まあでも、オシムさんと全盛期の気合いが入ったモウリーニョさんのチームがPK戦をやったら、モウリーニョさんのチームが勝ちそうな感じはします。



『急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは」より。

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 監督として必要な資質とは何か。
 例えば、プロ選手としてのキャリアはそれに当たるだろうか。
 思うにサッカーの監督は、必ずしも元プロ選手である必要はない。プロとしての経験がなくとも、サッカーの監督にはなれる。
 必要なのは知性であるからだ。
 知性があることで優れたキャリアをまっとうできた監督はたくさんいる。彼らはサッカーで何かを成し遂げる機会を得た。サッカーは走るだけではないし、遠くにボールを蹴ることでもない。
 他の多くのこと——人生の哲学が内側に含まれている。

 選手から最大限を引き出す。
 監督は彼らを批判することもできるし、怒鳴りつけることもできる。好きなことができるが、すべては彼らの「最大限を引き出す」ため、ということだ。怒鳴りつけて批判ばかりしていてはプレーも悪くなるばかりで、選手もそういう状況には耐えられない。
 日常生活においても、批判に耐えられない人間はたくさんいる。そんな人々に対しては、十分に注意深くならねばならない。それこそ心理学であり、監督は人間心理の専門家であるべきなのだ。
 十分な時間をかけて、選手を理解しようと努める。心理的・精神的に、彼らがどうであるのかを。
 選手は監督がそれだけ自分を気にかけていると思えば、自分に自信を持てる。自信を得れば、プレーも良くなっていく。逆に嫌われていると不安を抱き始めると、その後が難しくなる。監督に嫌われていると感じた選手は、同じように嫌われている選手を求めるからだ。それは監督に敵対するグループが生まれたことを意味する。これはちょっとした問題だ。
 どんな仕事においても、集団をうまく機能させるためには、正しい方向へと導けるリーダーが必要だし、能力のある人間、監督が必要だ。そしてその監督に、「選手」の経験があるかどうかはまったく問題にならない。

 とはいえ、オシムさんは、選手としての経験があるほうが、クラブ首脳やメディアとの対話や、選手とのコミュニケーションが「やりやすい」面はあるのだけれど、とも仰っています。
 それよりも大切なのは、選手の力を最大限に引き出すための「知性」だということなのです。

 

『考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』から。

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この新書のなかで、オシムさんは、日本人に対して、こんなメッセージを投げかけています。

 ヨーロッパではゲームに負けて駐車場に戻ると車が壊されている。アテネではファンが練習に来て監督や選手を追い回していた。そういうことも、ヨーロッパを模倣し続けると将来起こりうるということだ。
 日本独自のサッカー文化も大事にしなければならない。
「日本はスポーツ国家ではない」――そういう意見も一部の識者の中にはあるらしいが、私は、その意見には賛同できない。
 日本人はスポーツインフラストラクチャーに多大な投資をしている。ホール、スタジアム、子供用の小さなスタジアム、プール、他のスポーツ施設も、全てがとてもハイレベルだ。日本では、これら全てのスポーツ施設が人々によって建てられ、使われている。
 だから「日本はスポーツ国家ではない」とはいえないと思う。日本人はスポーツ好きな国民で、自由な時間にさまざまなスポーツを楽しんでいる。
 フーリガンのいないスポーツ国家は理想ではないか。日本人はそのことに誇りをもっていい。


 オシム監督自身が、ユーゴスラビア代表監督として、あるいはボスニア内戦で、「サッカーが、スポーツが政治に翻弄される状況」を経験してきたのです。
 オシムさんは、「サッカーをサッカーとしてみんなが楽しめる国」である日本に、深い愛着を抱いてくれていたのではないでしょうか。
 もちろん、結果を出すための最大限の努力はするし、それがプロだと理解しているけれど、「ただ、サッカーが上手ければいい」というのではなくて、オシムさんは、サッカーを、世界を、人生を、広い視野で見続けてきた人だったのだと思います。


 さまざまな苦難を乗り越えて、「知性の力」を見せてくれた、オシム監督の御冥福をお祈りします。
 オシムさんの故郷の人々だけでなく、日本も、僕も、あなたに出会えて幸運でした。

 もう、オシムさんの監督時代のことを知らない若い人たちも大勢いると思うのだけれど、これからも『オシムの言葉』は、「リーダーや親として振る舞うことに戸惑い、悩んでいる人たち」への羅針盤であり続けるはずです。


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