いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「プロゲーマーになろうとした社会不適合者のありがちな話」の増田さんへ


anond.hatelabo.jp


 僕自身は、学者か弁護士か物書きになりたい、と昔は思っていたのだけれど、世の中には本当に勉強が僕にとってのテレビゲームくらい好きな人がいる、ということを知って、「人にバカにされなくて、お金にもそんなに困ることがなさそうな仕事」を選んでしまった人間なので、まともなアドバイスはできないかもしれないけれど。

 ときどき、「こんなじゃない自分」を想像することはあるのです。
 20代くらいのときは、「なんで自分はこんなふうに現実に妥協してしまったのかな」と後悔していたのだけれど、最近は、「これはこれで、美味しいものを食べたり、面白いものを見たり、自分の子どもに会うことができたし、悪くはなかったのかもしれないな」と思えるようになりました。それこそ「老い」であり「妥協」なのかもしれませんが。景気は悪かったけれど、大きな戦争を直接体験することもなく、テレビゲームの進化をリアルタイムでみることができたなど、運もよかったと思う。
 文章を書いてお金をいただく、という夢も、いつのまにかささやかに実現してはいますし(もちろん、食べていけるような金額には程遠いですが)。

 
 冒頭のエントリを読んでいて思うのは、結局のところ、人というのは、自分が本当にやりたいことは、犯罪とかでなければ(恋愛云々に関しては、法に触れることもあるでしょうけど)、結果はどうあれ、やっておかないと後悔する、ということなんですよ。
 あの時、ああしていれば……ということはたくさんあるのですが、僕自身、そして、これまで出会ってきた人々の大部分は「やらなかったこと」を悔やんでいるのです。「やってみて失敗した」ことって、案外、自分でも納得してしまえるみたいです。


 僕はけっこう、プロゲーマーの話が好きで、彼らの著書を読んでいるのです。

 
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 この本のなかで、日本を代表するプロゲーマー・梅原大吾さんは、こう書いています。

 僕にとって生きることとは、チャレンジし続けること、成長し続けることだ。成長を諦めて惰性で過ごす姿は、生きているとはいえ生き生きしているとは言えない。
 常にチャレンジして、たくさん失敗すればいいと思う。ときにはどん底を味わうような苦い経験もするだろうが、とりわけ若いうちはいくらでも取り返せる。若い頃は気力も充実しているし体力もあるから、きっと立ち直れる。
 もちろん、年を取ったら失敗できないなんてことはない。
 若いうちに失敗した方がいいのではなく、若いうちから失敗した方がいいだけだ。
 僕はどんどん失敗したいと思っている。5年後、10年後もチャレンジと失敗を繰り返していたいと思う。
 もちろん、同じ失敗を繰り返すつもりはない。「よし、失敗した」と喜ぶこともない。ただし、失敗することを恐れない人間でありたい。
 そのためにも、若いうちから失敗した方がいい。
 年を重ねると背負うものが多くなる。そうすると、失敗したときすべてを失ってしまうかのような不安がつきまとい、次の失敗を恐れる気持ちも大きくなってしまう。
 若いうちから失敗癖をつけておけば、トライ&エラーが当たり前の習慣になる。失敗に強くなる。
 進んで失敗する必要はないし、毎回のように失敗する必要もない。しかし、失敗から学べること、失敗からしか学べないことがあることは知っておいた方がいい。どん底から立ち直った人間は、顔つきが違う。目に力が宿っていて、絶対に負けを認めない信念を感じる。そういう手合との対戦は、いつまで経っても決着がつかず心底疲れるのだが、なぜだか晴れやかな気分になってしまう。


「東大卒プロゲーマー」として知られる「ときど」さんは、こんな本を上梓されています。


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 ときどさんは、新しいゲームで、誰よりも効率的に「勝ちやすい方法」を見つけ出し、その技を磨くことによって勝ち続けてきたのですが、それが通用しなくなり、勝てなくなってきたのです。

 そこで、ときどさんは、考え抜きました。
 なぜ、勝てなくなったのか?

 ときどさんはそこで、「とりあえずやってみる」ことが大切だという気づきを得ています。

 格闘ゲームでも勉強でも、仕事でも、本番で何らかの成果を出すには、日々の学びの積み重ね=反復が必要です。プロゲーマーであれば練習。受験生ならば受験対策がそれにあたります。ビジネスパーソンのように日々の仕事が、本番かつ学びの場の場合もあると思います。
 格闘ゲームの場合、ざっくり次のような「学びのサイクル」を反復することになります。


(1)インプット:必要な技術を学ぶ
(2)アウトプット:学んだ技術を試す
(3)フィードバック:試した結果から得た新たな発見を学びに生かす


 重要なのは、このサイクルを回す「スピード」を、できる限り速くすること。格闘ゲームでいえば、どんどん対戦して、どんどん結果を検証することです。理由は2つあります。
 ひとつは、eスポーツの世界では正解が常に変化しているからです。例えば「昨日の試合でAの戦い方で勝った。今日、同じ相手に同じ戦法を使ったら負けた」。こういうことが、当たり前に起こります。ずっと同じことをやっていたら勝てません。
 プレイヤー人口が増えたこと、情報が共有されるようになったこと。大きくこの2つの理由で、攻略の速度は飛躍的に高まりました。常に新しい一手が研究され、それが披露されることが、また新たな一手を生むきっかけになるのです。日々状況が更新されているので、時間をかけていると更新された情報に対応していないやり方になってしまいます。
 同じ「反復」でも、昔はコツコツ時間をかけて準備をし、本番に臨めばよかったけれど、今は、いわば「小さな本番」を繰り返して学び続けないと、努力が全部ムダになってしまうのです。


 こんなに努力をして、ふたたびプロゲーマーとして頂点に上り詰めたのか……と感心してしまうのですが、ときどさんは、自身について、こう述べています。

 東大卒というだけで「勉強を頑張ったんですね!」「意志力がありますね!」と言われるのですが、残念ながら僕の場合はそうした言葉はまったく当てはまりません。実は、僕は極度の面倒くさがりで、物事を続けたり、継続したりするのが本当に苦手です。週1回のインターネット配信のために移動するのがダルいので、会社(配信の撮影場所)に住んでいたくらいです。
 そういう人が何かを本気で継続したい、やり遂げたいときに意志の力に頼っていると、何も実現しません。大事なのはダメな自分を前提にして、それでもなんとか努力が続く「仕組み」を作ってしまうこと。自分が「動く」のではなく仕組みに「動かされる」ようにするのです。


 僕は半世紀近く生きてきて、「面倒くさいことがものすごく苦手」な人の中に、「ちゃんと仕組みを作って、勤勉に生きていくのが、結果的には、いちばん面倒くさくない」という結論に至った人が少なからずいることを知りました。

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 面倒くさがりを突き詰めたゆえに、傍からは、ものすごく勤勉にみえる人って、存在するんですよ。
 ときどさんは、まさにこのタイプではないかと思います。


 最近、この本を読みました。

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 もちろん、「全員」というわけではありませんが、プロゲーマーには高学歴者が大勢いるのです。

 私の身近な例を挙げると、本書に後ほど東登場する日本初のプロスマブラプレイヤー「aMSa(あむさ)」は東北大学の宇宙地球物理学科卒業だし、日本を代表するプロスマブラプレイヤー「Abadango(あばだんご)」は東京農工大学大学院でプログラミングを学び、修士号を得ている。ほかにも、元GameWith(ゲームウィズ)所属のトッププレイヤー「Shogun(しょーぐん)」は京都大学卒業であるなど、スマブラ界だけで見てもトッププレイヤーで高学歴の人は多いし、大卒というくくりで見ると、その割合はかなり高くなる。
 スマブラ以外の例を挙げると、本書で話を聞いた「ときど」は東大卒プロゲーマーとしてさまざまな大会で実績をあげる傍ら、著書を複数出版しており、ゲーマー以外の層からも人気と支持を得ている。ニンテンドースイッチソフト『ARMS』の世界大会で優勝した「KHU(こへう)」も東大卒だが、彼はそれに加えて法科大学院を修了後、司法試験に合格した──など、さまざまなジャンルで最上位かつ高学歴というプレイヤーが存在する。


 この本の著者の「すいのこ」さんも、鹿児島大学の大学院を出て、一般企業に就職したものの、プロゲーマーへの夢をあきらめきれず、ゲームイベントの運営会社に転職後、プロゲーマーになった人なのです。
 実際のところ、プロゲーマーのなかには、大学を出てそのまま就職したほうが、生涯収入が多くて安定した仕事に就けた人が大勢いるはずです。
 でも、彼らは、「自分が好きなこと」に、一度きりの人生を賭けることにした。


「ときど」さんがプロゲーマーになるか、公務員になるか、お父さんに相談したとき、こんなアドバイスをもらったそうです。

「わかっていないかもしれないけど、この業界が、おまえの考えるとおりに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」


 僕はこの話が好きで、親としても、こういう考え方ができる人間になりたいなあ、と思っています。
 考えてみれば、僕が消極的に選んだいまの仕事も、こうして文章を書くときに役に立っている、と言えなくもない。
(まあ、そう割り切るには、責任が重すぎる仕事ではありますが)


『Fortnite』を中心に活動しているプロゲーマー、ネフライトさんは、こんな話をされています。

「普段の練習でも、いろいろな人とプレイするようにしています。Fortniteは人口が多いうえに年齢層も幅広くて、若い人だと小学生のプレイヤーもいたりします。そういう人たちとオンラインで繋がって会話をするので、年齢の垣根みたいなものは基本的にありません。オフラインで会って話をする時も自分が年長者だからとかは関係なく、フラットに交流していますね。今、デュオ(2人1組のチームによる対戦ルール)の大会で組んでいるパートナーは15歳の中学生です。僕が25歳なので、10歳差になりますね。ただ別に年齢は関係なくて、その人の実力が高くて、パートナーとして一番良いと思ったから組みました」
 実力や考え方が自分とマッチしているかが大事であり、それ以外のことはやはり”こだわらない”」のだ。
「自分が中学生の時からオンラインのゲームに触れて育ってきて、そのなかで多くの人と交流してきたから、上下関係の概念がなくなっているのかもしれない。インターネットにはいろいろな人がいるんで、たまに煽られますが別になんとも思わないかな。まあ、そういう人もいるよねって思う程度です。このあたりの考え方はゲームをやってこないと身についてこなかったと思うので、続けていてよかったなと思います。
 ゲームを通じて得られた、上下関係にこだわらない”ネフライト流コミュニケーション術”。練習においても余計なことに”こだわらない”のだという。
「普段の練習での負けとか、目先のことはあまり気にしないですね。あまりにも負けすぎると気になっちゃうというか、原因が何なのかと考えてやり方を変えたりしますが、どんなトッププレイヤーでも勝率100%なんてことはありえないので、練習で負けたとしても、負けた事実自体は気にならないです。大事なのはそこから敗因を分析して、次に繋げること、大会で緊張せずに自分が持てる最大のパフォーマンスを発揮するために練習をしているので、練習で負けを怖がってもしょうがないと思います。本質的に『強い』っていうのは、『結果を残す』っていうことじゃないですか」
 あくまでも大事なのは成長することであり、勝ち負けを気にしすぎてもしょうがないという割り切った考えは、彼以外にもトッププレイヤーたちが持つ考え方のように感じる。


 冒頭の増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者)が書かれている内容のなかで、僕が気になったのは、この部分でした。

全ての審査が終わるまでに1ヶ月ほど期間がかかった。俺はその1ヶ月間審査以外でfps2をプレイできなかった。
強くなろうと頑張っているところ、負けているところ、弱いところを誰かに見られるのが嫌だった。これからもしかするとプロゲーマーのXとして活動するかもしれない自分の弱さを他人に見せたくなかった。
いつか失ったはずのプライドで全ては終わった。


 ここまで読んできてくださった方には伝わっていると思うのですが、日本を代表するプロゲーマーたちは、口を揃えて「負けること、失敗することを恐れず、積極的に試行錯誤して自分が成長することが大事なのだ」と言っているのです。
 目先の勝負の結果や小さなプライドなどは捨てて、常に「より良い方法」を模索すること、そして、仲間(ライバル)と切磋琢磨することで、自分の弱点を知り、ともに成長していくこと。
 
 増田さんが、あえて「自分の弱さを他人に見せたくなかった」と言及しているのを読むと、こういう先達の話は、すでに知っていて、自身でも、それが弱点だと感じておられるのではないか、とも思います。だから、蛇足かもしれないけれど。

 こういう考え方というのは、これからの時代を生きる人間みんなにあてはまるはずです。

 僕個人の意見は、増田さんが、「ゲームを仕事にできなければ生きている甲斐がない」と考えているのであれば、なりふりかまわず、とことんまでプロゲーマーを目指すしかない、というものです。
 ただし、そこまで本気であるならば、小さなプライドは捨てて、プロゲーマーのチームとか研究会に頭を下げてでも入れてもらって、自分の成長を意識しながらどんどん負けることをおすすめします。
 大学に行きながらでも練習はできるはずなので、ちゃんと大学に通って、自分で時間を管理しながら練習をしていくべきでしょう。
 自分の視野を広げる、というのも、ゲームだけでなく、人生にとって大事なことだから(セーフティネットを持っておくのも、精神的な安定を含めて、悪いことではありません)。大学をやめるなんてことは、プロゲーマーとしてやっていく過程で、どうしても学業との両立が難しい状況が生じれば、そのときに考えればいいのです。
 

 すいのこさんの本のなかで、ときどさんがこんな話をされています。

「格ゲー(格闘ゲーム)の大会に比べれば、受験なんてたいしたことないんじゃないか」と考えるようにしていきました。受験には模擬試験があって、合格ラインに達しているかどうかを教えてくれたり、克服すべき分野をアドバイスしてくれたりする。だけど、格ゲーはそんなことは誰もしてくれないんです。それに、当時の格ゲーは『1先(1試合先取制)』が多かった。それに比べれば、本番さながらの練習が何度もできる受験はずいぶん楽に思えました。
 共通項もあります。僕には東大しか見えていなかったから、受験勉強は東大対策に絞る。格ゲーだって、倒したい相手がいたら、その相手の対策だけをやって、ほかの無駄は徹底的に省く。そして徹底的な反復練習。世界一になれた『ゲームで培った考え方』に自信があったから、その考え方を受験に応用して、勉強を頑張れました。きっと僕は『ゲームをしていたから東大に受かった』のだと思います。朝10時から19時まできっちり勉強して、それから23時まできっちりゲーセンでゲームもやる。さすがにそれ以上は残りません。帰ると決めた時間には必ず帰ってました」

 「プロゲーマー」って、こういう人と闘って、勝たなければならないんですよね。その覚悟が本当にあるのかは、自分に問いかけてみたほうが良いかもしれません。


 eスポーツで何年食えるか、とか、競技種目自体が突然変わってしまうリスクがある、とか、ネガティブなことはいくらでも言えるのですが、ひとつの世界で頂点にいける「方法論」を確立した人は、他のことをやっても、たぶんうまくやれる可能性は高いはずです。


「どうなるんだろうな俺は」じゃなくて、「どうしたいのか俺は」に尽きると思う。
 正直、そこまで「やりたいこと」があることが、すごく羨ましい。
「どうしてもやりたいことがある」っていうのは、たぶん、かけがえのない才能なんだ。


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