いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

Steamの『ポートピア連続殺人事件』は、アドベンチャーゲームの可能性への40年ぶりの再挑戦なのだと思う。


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あの『ポートピア連続殺人事件』が自然言語処理NLP)の技術で蘇る!

僕は子どもの頃、『週刊少年ジャンプ』で、まだライター業がメインだった堀井雄二さんが、自分自身でマイコン版のこのゲームを紹介していた記事をリアルタイムで読んでいました。
自分で物語の世界の主人公になれるなんて!とマイコンゲーム、とくに「アドベンチャーゲーム」というジャンルに対しては、すごく憧れていたんですよね。

ケイブンシャの『マイコン大百科』という本で、APPLE2の『ミステリーハウス』というゲームが紹介されていて、「全部英語なのか……」と思いつつも、いつかこのゲームで遊んでみたいものだ、と憧れていたのです。

それからしばらくして、国産マイコン(パソコン)が、PC8001、6001シリーズやFM7(8)、シャープX1、MSXなどが並び立つ時代となり、家庭用ゲーム機としてファミコンが世に降り立ちました。

ちなみに、『ポートピア連続殺人事件』が発売されたのは、PC8801版が1983年6月。もう40年も前なのか、そりゃ僕も年を取るはずです。

ファミコン版が発売されたのは1985年11月で、マイコン版では、コマンド入力式だったのが、コマンド選択式となっていて、ダンジョンが追加されていました。

「もんすたあ さぷらいずど ゆう」

これは何の暗号なんだ?と悩んでいたのも今となっては懐かしい。


初期アドベンチャーゲームの話をはじめると、やたらと長くなってしまうので、興味のある方は、ぜひこのエントリを読んでみてください。

fujipon.hatenablog.com


この新生『ポートピア』、僕もとりあえず少しだけ触ってみたのです。
AI搭載で、ChatGPTみたいに、コンピュータ(あるいは相棒の「ヤス」)とふだんの会話と同じような感じで「対話」しながら(コマンド入力ですが)、ゲームを進めていけるようになっているんだろうな、と予想していたんですよ。

ところが、実際にプレイしてみると、どんなコマンドを入力しても「うーん」「それはわかりません」のオンパレード。目の前の人に話を聞けっていってるだけだろうがボケ!とか、罵声を浴びせたくなってきたのです。
月曜日の夜、穏やかな気持ちで懐かしいゲームに浸るつもりが、「なんじゃこれは!」と呆れてしまいました。

……でも、なんだか懐かしかったのも事実です。

昔の、1980年代前半のアドベンチャーゲームって、こんな感じだったよなあ、って。

fujipon.hatenablog.com

僕が愛機シャープX1で遊んだハドソンの『デゼニランド』なんて、謎解き以前に「どの動詞がこのゲームでは使えるのか?」をひたすら確認して日が暮れていましたから。
デゼニランド』は英語で「OPEN DOOR」のように入力するシステムでした。
さすがに「TAKE」とか「MOVE」は使えるのですが、「僕はこのアイテムをこう使いたいのに、それをどう言葉にしていいかわからない」のです。
というか「正解の単語が特殊で、やろうとしていることは正しくても、ゲームが全然先に進まない」という現象が頻発していました。

「ATTACH」「POLISH」という単語だけで、わかる人にはわかるはず。

あの頃は、休日に朝から晩まで、和英辞典を引きながら、動詞を片っ端から打ち込んで、「ココデハ ○○ デキマセン」だったら、その動詞はこのゲームでは使えない、「ナニヲ ○○ スルノデスカ?」だったら、どこかで使える、という仕分け作業をしていたこともありました。
それでも「POLISH」は出ないよなあ、半世紀生きてきて、それなりに英語も勉強してきたけれど、POLISHって、使った記憶がありません。

「制作側が『正解』だと想定していることと、プレイヤーが『やりたいことを言葉で表現する』ときのギャップ」が、コマンド入力式アドベンチャーゲームの大きな課題だったのです。RPGであれば、「とりあえずレベルを上げて突破」みたいな回避策(あるいは時間稼ぎ)が可能なのですが、アドベンチャーゲームだと「ずっと同じ場面を見続けて、受け付けてくれない言葉を探すだけ」になってしまいます。

アドベンチャーゲームの仕組みは面白いけど、制作側とプレイヤーのコンピュータを介しての「自由な言葉による意思のやり取りは難しい」。

その問題点を解決したのが「コマンド選択式アドベンチャーゲーム」だったんですよね。
僕の記憶も曖昧だったのですが、Wikipediaによると、はじめてのコマンド選択式のアドベンチャーゲームは、『オホーツクに消ゆ』のパソコン版だったようです。
また堀井雄二さんか!

コマンド選択式というのは本当に偉大な発明でした。
「自由度がなくなる」「そんなことをしたらコマンド総当たりでクリアできてしまうじゃないか」
と言われていたのですが、プレイヤーにとっては「ずっと同じ画面を見つづけ、何も進まないまま投げだしてしまうリスク」からは解放されますし、初期のグラフィック(がついている)アドベンチャーゲームにありがちだった「画面に表示されているものをなんとかしたいのだけれど、それをどう呼んでいいのかわからない」という問題もクリアできるようになったのです。

僕は昔、『ダイヤモンドアドベンチャー』というゲーム(たしかメーカーはマイクロキャビン)で、部屋のドアの前にある四角いものが「MAT」であるということに気づかずに、半年くらい行き詰まっていたことがありました。
「MOVE MAT」で、MATの下からKEYが見つかり、それでドアを開けたら、あとはエンディングまで一直線。クリアしたときには、なんだか力が抜けてしまいました。
当時のゲームはむしろ、そういう「わかりにくさ」「通じにくさ」みたいなものを放置して、「クリアまで長い時間楽しめる」ということにしていた節もあります。

「コマンド選択式」はアドベンチャーゲームの主流となったのですが、そうなったらなったで、「早くクリアできすぎてしまう」「何も考えずにコマンドを総当たりするだけでクリアできてしまう」という問題点がクローズアップされることになりました。

それに対して、「自由にコマンド入力ができて、それをコンピューター側がうまく認識できるようになる」という方向への進化は、あまり試みられなかったのです。

アドベンチャーゲームは、プレイ時間を延ばすために、物語の分量(テキスト量)を長大にしたり、分岐が攻略サイトをみないとわかりづらいマルチエンディング式にしたりするという「物量で圧倒する」方法で、プレイヤーを「長く遊べる」ようにしていったのです。
そして、もはや「選択肢」すらなくなり、「ゲーム」というよりは「自分で進めるスピードや場面転換のタイミングを決められるアニメーションのような『ノベルゲーム』」というジャンルも派生したのです。
たくさんのゲームが発売されるようになり、価格設定にも幅ができたため、ひとつのゲームのプレイ時間は長いほうがいい、という縛りもゆるくなっています。

ノベルゲームの良作に込められた、圧倒的な物語への熱量は僕も大好きなのですが(正直、反射神経を要求されるようなゲームはどんどんついていけなくなっているし)、「それならアニメを見るとか、小説を読むとかで良いんじゃない?」という思いもあります。

そもそも、僕がパソコンの「アドベンチャーゲーム」に強く惹かれたのは、プレイヤーが物語の世界に積極的に関わって、その選択で世界を変えていけるからではなかったのか。


fujipon.hatenablog.com


「読ませる」アドベンチャーゲームは進化してきましたが、「自由にその世界を味わえる」アドベンチャーゲームは、『ポートピア』の時代に時計の針を止めてしまいました。
ゲームを作る側にとっても、それが当時の技術的な限界だったとはいえ、けっして本意ではなかったはずです。

本来は「その物語のなかで、プレイヤーは思いついたことがなんでもできるゲーム」をつくりたかった人はいるはずなのに。
ダンジョンズ&ドラゴンズ』を代表とするTRPGテーブルトークRPG)のように、『ポートピア』で言えば、相棒の「ヤス」と雑談をしながら、ときにはヤスの意見を聞きつつ捜査を進めていく、対話型の「アドベンチャーゲーム」も、いまのAIの技術なら、実現できそうな気がします。

今回のSteam版の『ポートピア』って、僕は「40年前にみんなが諦めた鉱脈を、今の技術であらためて採掘してみようという試みのファーストステップ」だと思っているのです。

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現状、Steam版の評価は無料にもかかわらず、散々なものなのですが、おそらく、こういう反応を見越して、制作側も「実験作というか、デモ的な段階ですよ(だから無料です)」とアナウンスしていたのでしょう。
僕も「ああ、昔のコマンド入力式アドベンチャーゲームだ!」と懐かしさと苦笑が入り混じりつつ、1時間くらい触って寝てしまいました。
肝心の「自然な会話を生成する機能」は、問題発言のリスクを考慮して今回は除かれたとのことですし。
それじゃつまらない、のだけれど、以前、SNSでAIの実験が行われた際に、一部の心無いユーザーが、そのAIに差別発言を教え込み、あまりにひどいことばかり言うようになったので、実験が途中で打ち切られた、という話もあります。
たぶん、技術的には「自然な感じの会話のやりとりをしながら、ゲームを進めていく」ことも可能、もしくは、プレイヤーとのやりとりを積み重ねていくことによって、会話の精度を上げていくことが期待できる段階まで来ているのではないでしょうか。
ただ、それはそれで、「こちら側、使う人間のモラルの問題」が出てくるのですよね。
あえて差別的なことを言わせて、「こいつ差別してる!」と指さす人もいるからなあ。

これはまだ、「40年前に閉ざされた扉が、あらためて開かれた第1章」に過ぎないのだと思います。
僕がもう少し年を重ねて、ベッドから起き上がれなくなったとき、AIと対話しながら楽しめる「物語」ができていたらいいなあ、と期待しています。


ああ、『リアルサウンド』懐かしいな……
fujipon.hatenadiary.com

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