いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「それ、観てるだけで面白いの?」というのは「時代遅れ」なのかもしれない。

夏休みの旅行中、7歳の長男が、ゲーム実況動画にハマっていたのです。
うちは現時点では、宿題が終わって家族で遊ぶWiiU以外はテレビゲーム禁止なのですが、海外旅行中、長男にとってはあまりにも楽しいことが少ないだろうと感じたため、ネットがつながるホテルなどで、好きな動画を観ていいよ、ということにしていたのです(家人は不満顔でしたが)。


www.youtube.com


長男は、スマートフォンで熱心にニンテンドー3DSの『妖怪ウォッチ3』の実況動画を観ていました。
それを横目で眺めながら、僕もネットやりたいなー、などと思いつつ、気になったので訊ねてみたのです。
「ねえ、他の人がゲームやっているのを観て、面白い? 自分がやるときに、先がわかってたら、つまらなくなると思わない?」
「うーん、どうせうちはゲーム禁止だし。それに、面白いよ、このゲームやってる動画。自分でやるより面白いかも」
「自分でやる楽しさ」よりも、「誰かがやっているのを観る」ほうがいい、のだろうか。
ニンテンドー3DSで好きなだけ遊べる環境であれば、自分でやるのかもしれないのだけれど。


子どもの頃、家でみんなでファミコンをやっているときも、「観てるほうが楽しいから、コントローラーは握らなくていい」って言う友人がいた記憶があります。
僕は「えーっ、自分でやったほうが、絶対楽しいのに!」って、そいつに言っていたのです。


結局、息子が実況動画をエンディングまで観る前に(『妖怪ウォッチ3』はかなりのボリュームがあるみたい。そして、Amazonのレビューでは評判があまり良くないです)、旅行は終わってしまったのですが、帰ってきてからは「動画の続きを観る」とは言ってきません(宿題を終わらせるのに必死で、それどころじゃない、というのもあって)。


僕自身は、他の人が「自分がやっているゲーム、あるいは、今後自分がやる可能性があるゲーム」の先のほうをプレイしていると、「自分でやったときの楽しみがなくなるから、見せないで!」と頼んでいたものです。場合によっては、その場を去ったり、ヘッドフォンをつけて他のことをしたりしていました。


僕は運動音痴でスポーツ一般ヘタクソなので、職場対抗ソフトボール大会とかのレベルでも嫌で嫌でしかたないのです。
にもかかわらず、スポーツを観るのはけっこう好きというか、大好きなんですよね。
野球好きの知人は「自分でやったほうが絶対に楽しいよ!」と言うのですが、僕は守備のときは自分に向かってフライが飛んでこないように祈り(あんな突然飛んでくるものの座標を3Dで合わせてキャッチするのは神業だと思う)、打席ではフォアボールだけを心待ちにしているプレイヤーであり、「野球は観るのは楽しいが、やるものじゃない」と思っています。
ちなみに、今年の野球は、25年ぶりくらいに観るのが楽しくて仕方がありません。至福の神ってるタイム。


僕にとって、野球が「観るスポーツ」であるように、テレビゲームだって、「自分でやるのは得意じゃないけど、他人がやっているのを観るのが好き」という人がいても、全くおかしいことではないのですよね。
最近、CSでは、こんな番組もありますし。
otn.fujitv.co.jp

この番組を何回か観てみたのですが、演出的な問題なのか、題材になっているゲームのことを僕があまりよく知らないからなのか、「すごく上手い人たちなのはわかるんだけど、あまりにも動きが速すぎて、何をやっているのかよくわからない」というのが僕の率直な感想です。
「プロゲーマー」というのが職業として存在しているのだから、「自分ではそんなに上手いわけじゃないけれど、上級者のプレイを観るのは好き」っていう人も、少なからずいるのでしょう。


インターネットの動画配信やCSのおかげで、これまでは地上波レベルでは「商売にならない」ようなジャンルのものが「実況」されるようになってきています。
配信されることによって、それを「観るだけの層」が生まれてきているものもあるようです。


最近読んだ『不屈の棋士』という新書のなかで、村山慈明さんという棋士が、こんな話をされていました。

村山:コンテンツ力を上げていきたい。最近は「ニコニコ生放送」の影響で、将棋は指さないけど見ることを楽しむファンが増えてきた。そういう方は棋士に魅力を感じている。だから僕と兄弟子の飯島栄治さんの因縁の話とかすると喜ばれるんです(笑)。


えっ、「将棋は指さないけど見ることを楽しむファン」って、実在するの?


僕も将棋は大好きですし、自分でもときどきは指します。そんなに強くはないけれど。
でも、いざ、自分の息子に将棋を教えてやろうと思いかけては、いまの世の中の慌ただしさのなかで、将棋の面白さがわかるくらいまでに必要なトレーニングの時間を捻出できるだろうか、と逡巡してしまうのです。
僕が子どもだった40年近く前は、子どもの娯楽の選択肢も少なかったよなあ。とくにインドア系にとっては。


将棋を「ニコニコ生放送」で観る人というのは、将棋のルールを知っていて、ある程度は強い人じゃないか、と僕は思い込んでいたのです。
ところが、必ずしもそうじゃなくて、「将棋というゲームに命をかけている棋士たち」の人間ドラマや真剣勝負の空気感に魅了されて将棋をネット観戦する人も、少なからずいるようなのです。
今は、コンピュータが、どちらが優勢か、という「評価値」を算出し、それがリアルタイムで表示されるようになっており、自分の棋力がたいしたことなくても、形勢がわかりやすくなっています(ただし、評価値は必ずしも絶対ではありません)。


コンピュータがものすごく強くなってきたことで、「人間対コンピュータ」「コンピュータが人間を超ていこうとするなかでの人間の苦悩」という、わかりやすいドラマが生まれていることもあるのでしょう。


将棋の駒の動かし方はわかる、というくらいのレベルの人が、トッププロのタイトル戦や『電王戦』とかをリアルタイムで観て、面白いのだろうか?とは思うんですよ。
対局にはかなり時間がかかるので、「観ながら何か他のこともやっている」という人も多いはず。
こんなことを書いている僕だって、解説も評価値もなしで、「どちらが有利か」をプロ棋士(あるいはプロ棋士とコンピュータ)の対局中に判断なんてできないくらいの棋力しかないんですが。
僕みたいなエラーマンだけど野球観戦好き、がいるのだから、将棋でも「なんかこの棋士かっこいい」「頭良さそうな人たちの真剣勝負の雰囲気に憧れる」っていう人がいても、おかしくはないのかな。


人っていうのは「自分ができること」に関しては「なんで観てるだけで満足できるのだろう?」って思いがちなのでしょうね。
将棋とかテレビゲームは「(特殊な事情がなければ)誰にでもできる」というイメージがあるからこそ、「観るだけの人」は想定しにくいのですけど、実際は「潜在的な観客志向の人」というのが、けっこういるのかもしれません。
観客に徹している人のほうが、かえって、その対象の「厳しさ」や「難しさ」を直視している、とも言えるのです。


「自分ではプレイしない観客」ばかりが増えてしまうと、そのジャンルの未来はどうなってしまうのだろうな、とも思うんですけどね。
結果的に裾野が広がったり、宣伝になったりもするからメリットが大きいのか、それとも、プレイヤーが減ることによって全体のレベルが下がったり、収益性が悪化し、尻すぼみになっていくのか。


「それ、観てるだけで面白いの?」


テレビゲームは、この年齢になってみると、自分で最初からレベル上げするのもねえ……って思うことも多くなったし、「プレイするとつまんない、あるいはめんどくさいんだけど、編集された実況動画なら面白い」っていう作品も少なくないんだよね……
将棋も、自分で指して下手さを再確認するより、最高峰の勝負の「空気感」に触れているほうが愉しいような気がする……


自分がそんな感じなのに、息子にだけ「努力」を求めるのは、間違っているのかもしれませんね。


不屈の棋士 (講談社現代新書)

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人工知能は碁盤の夢を見るか? アルファ碁VS李世ドル

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こちらは随時更新中の僕の夏休み旅行記です。有料(300円)ですが、よろしければ。
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