いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「温室」が大嫌いなのに、「温室」の中でしか生きられない僕らの話


anond.hatelabo.jp


anond.hatelabo.jp


 この世は地獄か。


 ちゃんとしたアドバイスができるような立場ではないのだが(そもそも、ネット上の嘘だか本当だかわからない話に、実在するのかどうかわからない人間がかける言葉なんて、ノイズみたいなものだ)、「そんなに医学に興味があったわけではないのに、流れで医学部に行ってしまった人間」としては、無性に何か書いておきたくなったので書く。
 僕も子どもの頃は、宇津井健さんの『ひまわりの歌』を観て弁護士になりたいと思っていたのだが、結局、司法試験に受かる自信がなかったのと親の暗黙の期待を受信してしまったことで医学部に入ってしまった人間なので、なんだか他人事じゃない気もして。僕も試験の資料とか過去問とか友達に借りるのが苦手で、勉強会もアクティブな人たちと一緒にやることができなくて、本当にギリギリのところで免許を取った、って学生生活だったものなあ。
 そして、そういうモチベーションの人間が、医者になってみて大ブレイク、というわけにはいかないのだやっぱり。

 
fujipon.hatenablog.com


 これを書いてから、もう4年も経ったのだな、と感慨深い。
 今は僕が入学した時代よりもさらに「医学部ブーム」みたいで、子どもの塾でも「医学部入試は大変ですよ」とよく言われる。
 僕自身は、自分が向いていないのに医学部に入ってしまったことを半ば後悔、半ば感謝しているので、子どもに対しては「自分がなりたいものになればいいよ」と常々言っているのだけれど。
 というか、内心は医者にはなってほしくない。でも、この仕事は「人の役に立ち、収入も悪くないし、バカもされない。それに、一生勉強しようと思えばできるので、やる気がある人間にとっては退屈しない」ので、子どもに「医者になんかなるな」と言うのも、それはそれで理不尽ではあるのだろう。子どもは僕ではないし。
 ちなみに、僕の父親は、「自分の好きなことをやっていいからな」と言いつつ、「なんとなく医者になってほしそうな雰囲気」を醸しだしており、一度模試の志望校を法学部にしてみたら、それを見てしばらく不機嫌だったのをよく覚えている。ただし、「毒親」ではなかったとは思う。亡くなってから20年も経ち、僕も大人かつ人の親になったので、昔よりも美化しているだけなのかもしれないが。


 冒頭のエントリを読んで、「そんなに苦しいのなら、これからやっていくのもつらいから、辞めてしまっても良いんじゃない?まだ若いし、親にこれまでの不満をぶつけて、もし受け入れてもらえないのであれば、家を出て自分の好きなことをやればいい」としばらく思ったあと、でも、そんなに簡単なことじゃないよな、と考え直しもしたのです。

 医学部に限った話じゃないと思うけれど、それなりに高度な専門職の勉強や修行って、そんなに甘いものじゃないのだろうし。
 僕の時代は、今の増田さん(『はてな匿名ダイアリー』のエントリの著者を一般的にこう呼ぶしきたりが『はてな』にはあるのです)の時代よりもまだおおらかさが残っていて、「両手で数え切れないほど単位を残したまま実習に進んだ先輩の話」なんていうのもけっこう聞かされたのだけれど、僕たちが学生だった時代(25年前くらい前)から、医学部の勉強や実習はほとんどの人にとって辛いものだったし、地方大学の医学部という一クラス100人弱の狭い世界で「主流派」に入れないタイプの人間の居心地の悪さも存在していました。

 「辛いなら、やめてしまえばいい」

 ディスプレイ越しにそう言うのは簡単なのだけれど、医学部に入って医者になった人のなかに、「勉強や人間関係がつらい、もう自分はダメかもしれない」と思ったことがない人なんていない、というのも僕の実感ではあるのです。



 いまから、ものすごく感じの悪い話を書く。

 最近の『はてなダイアリー』のなかで、いちばん僕の心に引っかかったのが、このエントリなんですよ。

goldhead.hatenablog.com


「温室育ち」なんて、僕にとっては、いちばん屈辱的な罵倒の言葉だった。
 でも、客観的にみれば、親が医者で、切実にお金に困ったこともなく、進学校から、そこそこ(まさに「そこそこ」だと思っていた)の大学に進んで、あんまりやる気はないけれど、なんとか仕事を続けてきて、こうしてブログを書くことやゲームや読書にかまけて生きてきた僕の人生は、まさに「温室」だったのではなかろうか。情けない話だ。
 
 そういうふうに育ってきた僕が、たとえば大学時代に一念発起して、自分がやりたいことをやろうとして医学部をやめて世界を放浪したり、大人になってからライターに転身したりしようとしていたら、うまくいったとは思えないのです。
 僕は理想に燃えて国境なき医師団に入っても、「暑いからクーラーつけて」って言いたくなるだろうし、「みんな自己満足でやってるだけじゃないか」とかすぐにボヤキたくなる人間なのだ。

 世の中には、「温室育ち」の反動で、そこから飛び出して、正反対の冒険的な世界を追い求める人が、わずかな割合で存在する。
 しかしながら、ほとんどの「温室育ち」は、それに気づいたときには、温室から出ると生きられないようになってしまっている。
 どんなに自分を変えようとしても、淡水魚は海では生きられない。
 
 増田さんの家庭環境は、ものすごく過酷なものだと感じるし、それは「毒親育ち」ではない僕が想像で評価できることじゃない。
 その一方で、(いちおう)教育熱心な親のもとで、公立高校で「医者をめざすなんて偉いねえ」なんて言われながら良い成績をとり、地方大学の医学部に受かってしまったという増田さんは「典型的な地方エリート」でもある。
 僕の時代から、増田さんと同じような「成績優秀で、地元の公立では負けなしの女子」と「進学校で打ちのめされ、自分の能力の限界を思い知らされた挙句に、なんとか妥協点として地方の医学部に引っかかった男子」との文化的な衝突が、地方大学の医学部では起こっていた。

 一方は「何あの医学部なのに下品でやる気のないバカな連中」とあざけり、もう一方は「世間知らずのお嬢さんに何がわかる」と軽蔑していたのだ。
 みんな「同じくらいの偏差値」だったから、そこに入ってきたにもかかわらず。

 まあでも、そういう衝突は悪いことばかりじゃなくて、そういう価値観のぶつかり合いと融合(あるいは妥協)が起こるのも、「大学」というものの役割なのだと、今は思う。
 もっと人数が多い大学では、もっと多様な価値観に触れることができたのかもしれないが。

 世の中というのは、「後輩を何人酒で潰したか」を自慢するようなやつが「人間味がある」と愛されることも多い。
 曰く、理不尽。

 だが、医者にしても(たぶん、裁判官も弁護士も公務員も)、顧客には、「なんでそんなことをするのか、やるべきことをやらないのか理解できない人」が大勢いる。不眠不休の当直で、急性アルコール中毒の患者が運ばれてきて、診察をしていると、その酔っ払った仲間が「お前らみたいなエリートさんに、俺たちの気持ちがわかるかよ!」と殴り掛かってくることもある世界だ。
 それでも、相手が「患者」であるかぎり、われわれは診療を行わなくてはならない。

 正直、僕はもう、気力や体力の限界を感じて、いまは救急や高度医療からは離れてしまった。
 ラクでいいけど、「医者になったのに、医者としてはダメダメだった自分」が悲しくなることもある。けっこう、よくある。
 だが、こうして生きていて、ときどき、こんなブログを書いたりしている。25年ぶりにカープが優勝して、黒田さんと新井さんが抱き合っているのをみて、「これを観られただけでも、我慢して生きていた甲斐が少しはあった」と思った。


 あくまでも僕の個人的な考えなのだが、増田さんの人生戦略としては、なんとか医学部を卒業して、安定した収入を得られる状況をつくって(医師免許があれば、そんなに難しいことではない)、経済的にも環境的にも「自立」することが望ましいのではないかと思う。
 医者の仕事のなかには、「ラクで短時間にそこそこ稼げる(責任はそれなりにあるが)」ものがけっこうあるし、割り切れば趣味メインで生きることも可能だろう。

 いますぐにでも学校をやめて働けばいい、親から絶縁されても生きてはいけるはず、と思う人もいるはず。
 だが、増田さんがこの年齢まで囚われていた「温室」というのは、案外やっかいなものだし、長年培ってきたコンプレックスと小さくても譲れないプライドというのは、そう簡単には捨てられない。
 僕自身がみてきた世界では「他のことがどうしてもやりたくて医学部や医者をやめた」人の多くは、その後もそれなりに楽しく生きているが、「医学部の勉強がつらくて(あるいは、ついていけなくて)やめた」人は、その後、「あのとき、なんでもう少し辛抱して、医師免許をとっておかなかったのだろう」と嘆いている。
 正直、どんなにやりたくない、興味がない医学の道であっても、「温室育ち」だと、一度そのサークルに入ってしまったら、「あの人は途中でリタイアした」と周りに思われる(のではないか)というのは、けっこうキツイとも思うし。

 
 怒られるかもしれないけれど、望まないけれど医者になってしまった、ということは、けっこう僕の人生にとって悪いことばかりではない、と最近思うようになってきた。


fujipon.hatenablog.com


「ときど」さんがプロゲーマーになるか、公務員になるか、お父さんに相談したとき、こんなアドバイスをもらったそうです。

「わかっていないかもしれないけど、この業界が、おまえの考えるとおりに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」


 正直、僕よりも書ける人は世の中に大勢いるし(というか、過半数はそうだろう)、医者としても平均より下だ。
 でも、医者×ブログを書いている人、として考えると、少しは価値が出るかもしれない。
 これを読んでいる人だって、僕が医者じゃなかったら、ここまで読んでいないでしょう?

 増田さんの生きがいである趣味の世界でも、「医師免許を持っていること」は、メリットになりうるのではないか(どんな趣味かは知らないので、的外れだったらすみません)、と僕は思います。
 「医師免許を持った法律家」は、珍重されるだろうし。

 これからの人生のほうが(たぶん)長くて、親とか兄弟の存在って、自分が大人になって(あるいは自立して)家を離れてみると、すごく小さなものになっていくから。
 今はつらいだろうし、将来的にも心の傷が完全に消えることはないかもしれないけれど、あなたは欠陥品ではありません。いや、あなたが欠陥品ならば、大概の人間は欠陥品ですよ。というか、人間なんてもともと欠陥品なんだ。
 
 一人が好き、飲み会より映画が好き、っていうのが「欠陥」なら、その上に仕事も勉強も頑張らずにブログばっかり書いている僕なんかもう社会の敵以外の何者でもない(本当にそうかもしれないけど)。

 「自分は勉強や実習がつらい」って、友達っぽい人に愚痴をこぼしてみるのも良いんじゃないかな。
 他人に弱みをみせられるようになる練習って、けっこう大事。
 眠れないとか不安が強いようなら、気軽に精神科や心療内科で相談してみてもいいと思う。医療というのは、そういうときのために存在しているのだし、実際に睡眠薬抗不安薬を使いながら仕事をしている人も少なくないから。

 あと、僕は「すでに医学部に入って何年か過ごしている人」や「医者になってしまった人」に対しては、現状をなるべくうまく利用して生きやすくしたほうがいいよ、と言っていますが、近年の医学部人気で、医学とか人間に興味が乏しい人が医学部に入ってしまうことは、本人にとっても世の中にとっても、良くないことだと考えています。嫌々やるには、本当にきつい仕事だから。入ってしまう前に止められるのであれば、その方がいい。この仕事をするのに大事なのは頭の良さよりも体力と気分転換が上手であることだということも、伝えておきたい。


fujipon.hatenadiary.com
blog.tinect.jp

毒になる親

毒になる親

アクセスカウンター