いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『風の谷のナウシカ』を、はじめて映画館で観た話

風の谷のナウシカ [DVD]

風の谷のナウシカ [DVD]

  • 発売日: 2014/07/16
  • メディア: DVD

腐海(ふかい)と呼ばれる毒の森とそこに棲む蟲(むし)たちに支配された世界。辺境の王国・風の谷には、自然を愛で、蟲とすら心を通わせる少女ナウシカがいた。腐海を焼き蟲を滅ぼそうとする大国の争いに巻き込まれながらもナウシカは、人を愛するのと同様に蟲たちをも愛そうとする…。


 新型コロナウイルスの影響で、映画館の上映スケジュールが大きく変更されているのです。
 現時点(2020年8月3日)では、「マスクをして鑑賞、席は前後左右ひとつずつ空けて座る」というのが僕の手の届く範囲の映画館のルールになっているのですが、まあ、お客さんも徐々に戻り始めてはいるものの、「わざわざマスクをして、人が集まるところに行くのもねえ……しかも、魅力的な超大作は軒並み公開延期になっているし……」という状況が続いています。そうなるとまた、映画館サイドとしても、「このタイミングで、お客さんをたくさん呼びたい大作を公開するのもねえ……」と二の足を踏んでしまっている、という悪循環。8月7日からは、延期されていた『ドラえもん』映画が公開されるようですが、ここでファミリー層が戻ってくるかどうか。まあでも、最近また新型コロナウイルスの感染者数が激増していますし、「わざわざマスクして映画館で観なくても……」という感じになりそうな気がします。
 そういう状況になっているため、最近の映画館では、旧作、しかも、都会の名画座で上映されるような「古い名作」ではなくて、比較的近年のエンターテインメント大作が上映されているのです。『アベンジャーズ』シリーズとか『ダークナイト』も再上映されていました。
 中でも、スタジオジブリの『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』のスクリーンでの上映は、けっこうお客さんも入っているようなのです。
 ビデオやDVD、テレビ放映では飽きるほど観た、という人は多そうだけど(僕もそうです)、上映当時はまだ生まれていなかった、とか(思えば、買い物のついでに映画館に行く、というシネコンがこんなにできたのは、そんなに昔の話ではないですし)、ジブリの名作を映画館のスクリーンで観ることができるのは、これで最後かもしれない、そう言われれば、たしかにそうだよなあ、と。
 僕は『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』は映画館のスクリーンで観たことがなく、この機会に冥土の土産に観ておきたい、と思ったのです。
 で、まずは『風の谷のナウシカ』。
 僕は好きな映画を問われたら、一番に挙げるのは『ナウシカ』か『カリオストロの城』なんですよ。宮崎駿の大ファンなのか、と言われたらそうでもない、と答えるのですが、この2作は本当に大好きです(好きな映画を3つ、と言われたら、これに『ロード・オブ・ザ・リング
を加えます)。
 『風の谷のナウシカ』って、中学生のとき、周りのアニメファンが「これはすごい」と絶賛していたのだけれど、僕は「アニメマニア向けの女の子が出てくるやつだろ……」と半ばあきれていたのです。しかしまあ、僕が今回スクリーンで映画をみていて冒頭のシーンで思ったのは、「ナウシカのこの飛んでいるのを真後ろから撮ったアングル、パンツ見えそうにもほどがある」だったのですが(ちなみに見えません)。

 そんなふうに『ナウシカ』をマニア向けの映画だと見なしていた僕なのですが、中学校を風邪で休んだ日のこと、昼過ぎくらいになると、案外調子が良くなってきて、暇になってしまったんですよ。そんなとき、友人が「ぜったい観て!」と半ば強引に置いていった、『風の谷のナウシカ』のビデオが目について、観てみることにしたのです。そういう「学校休んでいるから、さすがに堂々とテレビゲームはできないよな」というシチュエーションでなければ、観なかったのではなかろうか。

 2時間後、金色の野をゆっくりと歩むナウシカを観ながら、僕はポロポロと涙をこぼしていたのです。
 何に感動したとか、そういうのを超越した、なんだかとてつもなく「綺麗なもの」を観た、そんな感じでした。
 僕は世の中に対して、ずっと斜に構えていたつもりで、本で泣いたのは『さようなら、どらえもん』くらいだったのですが、『ナウシカ』には、本当に圧倒されました。

 思い入れがある作品だけに、あれから35年くらい経って、オッサンになった僕があらためて映画館で『ナウシカ』を観ることには、ちょっと不安もあったのです。美しい記憶はそのままにしておいたほうが良いのではないか、とも思う(その気持ちは、観てしまった今でも半分くらいあります)。
 まあでも、チケットを買って、座ってしまったからには、もうどうしようもない。

 僕は『ナウシカ』のオープニング、タイトルとともに、久石譲さんの音楽が静かに流れ、古代の遺跡っぽい映像が続くところも大好きで、ときどき、『ナウシカ』のそこだけ観ることもあります。『007』とか『スター・ウォーズ』とか『ルパン三世』とか、正直、「オープニングテーマを観れば満足」でもあるのです。もちろん、映画館では、それだけ観て家に帰ったりはしませんが。
 久石譲さんのジブリ作品の音楽のなかでは、今でも『ナウシカ』がいちばん好きです。

 中学生の僕は、やっぱり、「ナウシカ寄り」の立場で『風の谷のナウシカ』を観ていたのだな、と思います。
 今、50歳近くになって観てみると、僕にとって気になるのは、あの年になって、周囲からは「そろそろ腰を落ち着けたら」なんて言われながらも腐海の謎を解く旅をやめられないユパ様の執念やクシャナ殿下が行方不明になったときに「俺にも運がめぐってきたか?」と自問したものの、戻ってきたとたんに従順な部下に戻ってしまうクロトワの処世術なんですよね。ナウシカがいなかったら、あの世界はどうなっていたんだろう。善良で平和な人たちの自然と一体になった暮らしも、文明や最新の兵器の前では、蹂躙されるか、ゲリラ戦でもやるしかなくなってしまう。「正しい」だけでは、「正しくなくても構わない」あるいは「強さこそが正しさなのだ」と考えている人たちには通用しない。

 巨神兵は、核兵器の暗喩だと言われていますが、「大国に征服され、巨神兵を利用されたくないのであれば、自ら巨神兵を使って対抗するしかない」というのは、今の年齢の僕にとっては、「まあ、そのとおりだよな」と思わずにはいられない理屈なんですよ。
 中学生のときは、「そんな争いなんてやめればいいだけだろ」って憤っていたのに。
 
 結局、35年前の宮崎駿監督の問題提起には、今になっても、答えは出ていないのです。
 あの頃の僕がそれを知ったら、どう思うだろうか。まあ、あのときは1999年に人類が滅亡すると50%くらい信じていたからなあ。
 人類は滅亡しなかったし、核戦争も起こってはいないし、環境保全運動はそれなりに行われてきている。ただ、世界の「つくり(構造)」みたいなものは、あまり変わっていないような気もします。

 正直なところ、そういう「35年前の自分の観かたと比べていた」のが半分、あと半分は「これが庵野秀明監督が描いた巨神兵のシーンか……」というような、「アニメ史」的に観ていたところが半分、という感じではあったんですよ。
 なんだか、「答え合わせ」をしているような気分でした。
 それにしても、トルメキアの巨大船はあまりに無防備すぎないか。小型機にあんなに簡単に撃墜されているようでは、あまりにも無策すぎる。そして、宮崎駿監督は、戦争が大嫌いなはずなのに、兵器や戦いを格好よく描くのが好きすぎる。
 
 やっぱり、面白かったんですよ『ナウシカ』。良いミステリを描くために大事なことは、偶然や犯人のミスに頼らず、犯人も捜査側もお互いにベストを尽くすことだ、というのを聞いたことがあるのですが、『ナウシカ』って、あらためて観てみると、「ナウシカに都合の良い敵側の改心やミス」って、ほとんどないんですよ。クシャナ殿下の「所詮、血塗られた道だ」って、なんか妙にカッコいい。


 35年前、僕を号泣させたクライマックスのナウシカの復活シーンも、今回はそれほど涙は出ませんでした。というか、エンドロールまで含めて、「けっこうあっさりしているな」とも感じたのです。今は映画のエンドロールって、洋画だと10分くらいありますからね。最後に「おわり」って出てくるのも、なんだかほのぼのします。


 このエンディングに関しては、『仕事道楽―スタジオジブリの現場』(鈴木敏夫著・岩波新書)という本のなかに、こんな話が出てきます。


ナウシカ』というと、ぼくがいつもふれるエピソードが二つあります。


(一つめは高畑勲さんについての話なのですが、ここでは略します)


 もう一つはラストシーンです。王蟲(オーム)が突進してくる前にナウシカが降り立ちます。宮さんは最初、そこでエンドマークというつもりだったんです。あそこで終わっていたら、あの映画はどうだったんだろう? あまりにもカタルシスがないと思いませんか? こういうとき、宮さんはサービス精神が足りないんですよ。
 ラストシーンの絵コンテを見て「これでいいのかなあ」と思っていたら、高畑さんもそう思ったらしい。二人で喫茶店に入って、「これはいかがなものか」という話になった。高畑さん「鈴木さん、どう思う?」、ぼく「終わりとしては、ちょっとあっけないですね。いいんでしょうか?」。高畑さんの疑問は、要するに、これは娯楽映画だ、娯楽映画なのにこの終わり方でいいのか、ということなんです。高畑さんは理屈を考えるの得意でしょう、話が長いんですよ。そしてどんどん話題が広がる。ああでもないこうでもないって、多分、8時間ぐらいしゃべってたんじゃないかなあ。
 で、「鈴木さん、手伝ってください」と言うので、二人でラストシーンの案をいろいろ考えた。案は3つでした。A案は宮さんの案そのまま。王蟲が突進しその前にナウシカが降り立って、いきなりエンド。これはこれで宮さんらしいけどね。B案、これは高畑さんが言い出したもので、王蟲が突進してきてナウシカが吹き飛ばされる、そしてナウシカは永遠の伝説になる。C案、ナウシカはいったん死んで、そして甦る。
「鈴木さん、この3つの案のなかで、どれがいいでしょうかね」
「そりゃ死んで甦ったらいいですね」
「じゃ、それで宮さんを説得しますか」
 それで二人、宮さんのところへ行きました。そういうとき高畑さんはずるいんですよ。みんなぼくにしゃべらせる。どうしてかというと、責任をとりたくない(笑)。自分が決めて、それに宮さんが従ったとしても、もしかしたら宮さんはあとで後悔する、そうすると自分の責任になるでしょう。それが嫌で、ぼくに言わせたいわけ。わかってましたけど、しようがないから、ぼくが案をしゃべる役回りになりました。
「宮さん、このラストなんですけど、ナウシカが降り立ったところで終わっちゃうと、お客さんはなかなかわかりにくいんじゃないですか? いったんバーンと跳ね飛ばされて、死んだのかと思ったところで、じつは甦る、というのはどうでしょう?」
 そのときもう公開間近で、宮さんも焦っていた。宮さんは話を聞いて、「わかりました。じゃ、それでやりますから」と言って、いまのかたちにした。『ナウシカ』のラストシーンに感動された方には申しわけないんですが、現場ではだいたいこんな話をしているんですよ。
 このラストシーンがじつはあとで評判になってしまいます。原作とまるでちがうじゃないかという声もあって、いろいろ論議を呼びました。宮さんはまじめですからね、悩むんです。深刻な顔をして「鈴木さん、ほんとにあのラストでよかったのかな」と言われたときには、ぼくはドキドキしました。いまだに宮さんはあのシーンで悩んでいますね。


 僕としては、「あのラストでいいに決まってるじゃないですか!というより、あれ以外にありえない!」と強く主張したいところではあります。あの「青き衣をまといて金色の野に降りたつ」ナウシカの姿こそが、『風の谷のナウシカ』の「最大の見せ場」のはずなのに。吹っ飛ばされて終わりだったら、多くの人にとってのトラウマ映画になったのではなかろうか。
 「現実はそんなに甘くない」からこそ、美しいフィクションが必要なこともある(と思う)。

 鈴木さんと高畑さんが説得してくれてよかった……と思うのだけれど、「宮崎駿監督は、いまだにあのシーンで悩んでいる」のか……

 あと、あらためて感じたのは、映画館で観ると、もともと集中しやすい環境ではあるのだけれど、今観ても、「時間が一度も気にならない映画」だったことでした。スリリングな緊張感あふれるシーンか、綺麗で、ずっと見ていたいシーンばかりでつくられていて、こちらが現実に戻る隙がない。

 僕は基本的に同じ映画を2回観ることはないのですが(そんなに記憶力は良くないのだけれど、なんだか時間がもったいないような気がするのです)、『ナウシカ』は、また観ると思います。

 しかし、ナウシカは「正しすぎる」よね。そんなことは、35年前は全く感じなかったのに。


風の谷のナウシカ [Blu-ray]

風の谷のナウシカ [Blu-ray]

  • 発売日: 2010/07/14
  • メディア: エレクトロニクス

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