いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『もののけ姫』も映画館で観てきた話


もののけ姫 [DVD]

もののけ姫 [DVD]

  • 発売日: 2014/07/16
  • メディア: DVD


柳の下にドジョウが二匹、と思われるかもしれませんが、新型コロナウイルス禍のなかでのスタジオジブリの名作再上映観賞の第二弾として、『もののけ姫』を観てきました。


第一弾『風の谷のナウシカ』はこちら。
fujipon.hatenablog.com


千と千尋の神隠し』と『ゲド戦記』は、すでに映画館で観たことがあったのと、どっちもラストの展開があまりにも唐突なのが僕の好みではないので、たぶん観ないと思います。
 というか、僕の近所の映画館でも、8月20日までで、ほとんどがジブリの再映キャンペーン終了だったみたいなのですけど(それでも、『もののけ姫』の最後の上映には、20人くらいは入っていました。20時上映開始で)。
 個人的には、『ハウルの動く城』をもう一度観てみたい。あのキムタクの棒読みハウル、あれはあれで味があって僕はけっこう好きなのです。

 『もののけ姫』は、『ナウシカ』に比べると、僕自身の思い入れは乏しくて、以前、家でビデオ(DVD)を観たときも、「ヤックル萌え!」という印象しか残っていませんでした。こんなにいろんな勢力が入り乱れる話だったっけ。

 とりあえず、『ナウシカ』の後に映画館でみると、アニメーションとしての映像のクオリティが上がっていることを実感しますし、演出的にも、アシタカが砲声を聞いて、近くで戦闘が起こっていることを知る→実際の戦闘の場面を見せる、というふうに、登場人物の視点というのが意識されているように感じました。久石譲さんの音楽はやはり素晴らしいし、米良美一さんの『もののけ姫』のテーマ曲って、エンディングで流れるものだと記憶していたのですが、劇中で流れる場面は、人間の孤独とかせつなさとか小ささと、それでも生きる、という決意みたいなものが静かに伝わってきて、なんだかとても良いシーンだったのです。いやしかし、あのシーンであの曲を流すのは天才だな。

 それにしても、こんなに入り組んでいて、「正しさ」とは何か、混乱せずにはいられない映画が、当時の日本映画でナンバーワンの興行収入をあげ、多くの観客に支持されたというのは、とても不思議な気がします。
 それと同時に、人というのは、「自分にとって、ちょっとだけ難しいもの」に触れるときが、いちばん心の感度が上がり、ワクワクするものなのかもしれないな」とも思うのです。
 
 あと、登場人物に対する感情というのは、鑑賞者である僕の年齢や立場によって変わっていくものだということもあらためてわかりました。『ナウシカ』のときもそうだったのですが。
 『もののけ姫』初見のときは、なんとか自分の呪いを解き、サンを助けようとするアシタカに感情移入し、エボシ様は「科学技術を過信して、自ら破滅に向かっていこうとしている傲慢な敵」のように感じていたのです。
 しかしながら、今回観た印象では、アシタカは相変わらずイケメンであり、ヤックル萌え!も変わらなかったのですが、行き場のない人たちに居場所をつくり、外部からの侵略や干渉に立ち向かうために、「強引な手段を使っても、力を手に入れるしかない」と割り切って行動しているエボシ様に、すごく感情移入してしまったのです。

 僕は子供の頃は三国志諸葛孔明劉備、『銀河英雄伝説』はヤン・ウェンリーの大ファンだったのですが、年を重ねてくると、そういう「理想に殉じて現実に跳ね返されてしまう人」たちよりも、曹操とかラインハルト・フォン・ローエングラムのように「独善的で目的を達成するためには手段を選ばないが、世の中を改革するという強い意志を持って行動する人」に魅力を感じるようになってきたのです。正しいやり方で世の中を変えるのは、あまりにも時間がかかる、いや、それでは、結局現実に打ちのめされるだけ。なんのかんの言っても「力を持たない正しさ」は、あまりにも儚い。
 まあでも、それからまた時間が経つと、「やはり、たとえ志半ばで倒れても、理想を貫く人が世界には必要なのだろうな」と思うようになりました。

 「自然とともに生きる」と言っていても、大きな武力に直面すれば、餌食になるだけです。
ナウシカ』で登場人物のひとりが口にしていたように、「大国の侵略を受けたくなければ、彼らが巨神兵を使用する前に、巨神兵を自らのものとして、その力で対抗するしかない」のです。

 エボシ様は、自然や動物たちに対して傲岸不遜ではあるけれども、人間で癩病によって差別されているものや虐げられてきた女たちには、公正で温かい接し方をしつづけています。
 世の中には、100%の悪人とか完璧な善人なんて、いない。その人のどの面をみるかで、評価は大きく変わります。
 その「弱者への優しさ」がエボシ様の本心からなのか、為政者としての慈悲深さをアピールするためのふるまいなのかは、断言できないところはありますが、エボシ様は、個々の事例ではひとつの命に対して薄情なところを見せる一方で、タタラ場全体にとっての「最大多数の最大幸福」を徹底して目指しているようにみえます。

 しかし、この「最大多数の最大幸福」というのは、スケールが大きくなればなるほど、「そのために見捨てられる人たち」の存在も増えていくのです。
 『銀河英雄伝説』でのヴェスターラントの惨劇(ラインハルトたちが敵対する勢力の残酷さをアピールするために、事前に情報を得ていた彼らの自分の領地への核攻撃を阻止せずに実行させ、それを宣伝に利用した事件)に対して、オーベルシュタインは「あれで、結果的に我が軍の勝利は早くなり、戦役全体の犠牲者は減った」と述べていましたが、多くの「凡人」は、人の死を「数字の多寡」だけでは判断できないのです。

 「広島と長崎への原爆投下のおかげで、日本の降伏が早まり、結果的に戦争の犠牲者は少なくなった」という主張も、やはり、「理屈ではそうかもしれないけれど、受け入れがたい」ものですよね。

 シシ神さま、とかディダラボッチのような超常現象的な存在がない『もののけ姫』の世界があるとするならば(そんなのは『もののけ姫』の世界ではない、のかもしれませんが)、そこでは、エボシ様やタタラ場の人たちは「生き延びるために、戦いつづける」か、「どこか大きな勢力に属して、鉄を供給する変わりに守ってもらう」しかないでしょう。そして、その大きな勢力は、鉄を自由にするために、エボシ様を排除してタタラ場を直轄しようとしたり、働く人たちの待遇を極限まで厳しいものにする可能性があるのです。

 僕は「なんで、アシタカは元の村に帰らずにタタラ場で生きることを選んだのだろう?」と思ったんですよやっぱり。
 あれだけ「サンは人間だ」と庇護者たちを説得しようとしていたのに、最後に、サンに対して「一緒に行こう」とも「人間として暮らすべきだ」でもなく、「ときどき、森に会いに来る。共に生きよう」と言ったのか?
 考えてみれば、「別々の場所で生活することを選んだにもかかわらず、『共に生きよう』と言った」のですよね。結局のところ、「お互いに生きていくのはつらいだろうけれど、それぞれ、自分が生きるべき場所で生きよう」ということなのか「別々の場所で生きることが、『人間の場所』と『自然の場所』の棲み分けと調和にとって必要なのだ」という大局的な判断なのか。


www.fusakonoblog.com


 このブログを読みながら、アシタカの選択の意味を考えていたのですが、僕には正直、「これが正解」だという解釈はわかりませんでした。
 アシタカ自身にも、はっきりとした答えはなくて、ただ、「この先を、この時代に生きる人間として見届けてみよう」という気持ちだったのかな、という気がするのです。

 アシタカ自身やタタラ場やサンの考えも、たぶん、ずっとこのままではない。

 だからこそ、生きてみる。


 いやほんと、良い映画ですよね。『もののけ姫』。いろんな要素が散らかりまくっていて、まとまっていない感じもするのですが、あえてわかりやすくしなかったところもまた魅力であり、2020年に観ても(ある意味、公開時よりも)心惹かれる作品だと思います。

 ああ、でもやっぱり今回も、これだけは言っておきたい。

 ヤックル萌え!!


もののけ姫 [Blu-ray]

もののけ姫 [Blu-ray]

  • 発売日: 2013/12/04
  • メディア: Blu-ray
「もののけ姫」はこうして生まれた。 [DVD]

「もののけ姫」はこうして生まれた。 [DVD]

  • 発売日: 2001/11/21
  • メディア: DVD
スタジオジブリの歌 -増補盤-

スタジオジブリの歌 -増補盤-

ハウルの動く城 [Blu-ray]

ハウルの動く城 [Blu-ray]

  • 発売日: 2011/11/16
  • メディア: Blu-ray

アクセスカウンター