いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「映画上映中にスマホいじりする若者」vs「どんなに面白い映画でも時計が気になる私たち」


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 僕はこの記事を読んで、以前、『怒り新党』で、有吉弘行さんとマツコ・デラックスさんが話していたことを思い出しました。
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 2017年1月11日の『怒り新党』での、23歳女性からの「どんなに面白い映画でも時計が気になる私」という「国民の声」。

映画を観る際、どんなに面白い内容だったとしても「あと何分で終わるのだろうか」と残り時間が気になってしまいます。
映画館でも、周りの食べる音や会話などはまったく気にならないのですが、時計だけは外せません。
知り合いに同じような人がいないため、自分だけ映画に入り込めておらず、楽しめていないような気がします。

これを観て、「僕だけじゃなかったんだ……」と思ったんですよね。
番組内では、有吉弘行さんもマツコさんも「えっ、周りにいないの?」って驚いていて、ふたりとも「時間が気になる」と仰っていました。

いや、僕も「時間を忘れるくらい面白い」映画であっても、「いまどのくらい経ったのだろう」「あとどのくらいで終わるのだろう」と、けっこう気になってしまうんですよね。
マツコさんも有吉さんも「最後まで楽しみたいけど、早く終わってほしい!」そうです。
有吉さんは「映画だけじゃなくて、舞台もコンサートも、どんなに楽しくても早く終わってほしい!」と力説しておられました。
有吉さんは自宅で観る映画のDVDやドラマでも「すぐ残り時間を見てしまう」のだとか。

この番組内での10代から60代の男女500人へのアンケートでは、「どんなに面白くても時計を気にする」という人が、34.2%もいたのです。
そのアンケートによると、「なぜ時計を気にするのか?」という理由として、「その後の予定が気になる」「今がクライマックスかどうか予測する」などの意見があったそうです。
そうだよなあ、どんなに面白い映画でも、観ながら、「終わったあとのこと」を考えてしまったり、「まだこのくらいの時間だから、この今いちばん怪しそうな人が犯人ってことはないな」なんて思っていたりするのですよね。
こういう観かたって、「登場人物に感情移入して楽しんでいる」わけじゃなさそうです。
もちろん、それが悪いというわけじゃないけど、「評価するために観ている」というのには、なんだか「まっすぐ」じゃないような罪悪感はあります。


切り分けて考えると、「2時間を我慢できない」というのは、時代の流れというか、常に情報にさらされることに慣れている現代社会では、致し方ないことだと思うんですよ。
その一方で、「2時間我慢できないから、スマートフォンをいじって画面の明かりで他の観客を興ざめさせる」というのは、困った話ではあります。


そんなにスマホを我慢できない(あるいは、2時間映画館で観ているのがつらい)のなら、別に映画館で観なくてもいいのに、と言いたくはなります。
ただ、映画館では、この「スマホ被害」=若者の不作法、と受け取られがちなのですが、僕が映画館で過ごしているときの実感としては、スマホの問題よりも、上映中に声を出して同行者とその映画のストーリーをいちいち確認したり、ネタバレをしたりしている中年以降の観客のほうが鬱陶しくもあるのです。

よく、「アメリカでは観客は映画を観ながら感情を露わにし、笑ったり怒ったりしている」という話を耳にするのですが、それが「映画の観かた」だとするのなら、日本の映画館はまるで修業みたいだ、とも思うんですよ。思うんだけど、私語やスマホ使用には、やっぱりイラっとしてしまう自分がいるわけで。


しかしながら、「映画は集中してみなければならない」という「制約」がゆるくなることによって、日本の映画産業は「回復」してきた、という面もあるのです。

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踊る大捜査線』の「仕掛け人」であるフジテレビの亀山千広プロデューサーは、『踊る大捜査線』大ヒットの理由をこのように分析されています。

 当時はシネコンがちょうどでき始めたころで、映画館そのものが身近になりつつあったということ。
 それから映画界全体では「タイタニック」や、ジブリの「もののけ姫」などの大ヒットがあった直後で、巨額の興行収入を上げる作品が多くなっていた。つまり「踊る」は、映画街が閑散としているところで封切られたのではなく、映画館が混むという現象がある中で世の中に出ていったということ。
 それからもちろん、この作品がテレビから出ていったということも有利に作用しました。
 僕たちはテレビシリーズの放送終了後、すぐに映画化したわけではありません。テレビドラマを映画化するにあたり、全11話の放送が終わったあと、『踊る大捜査線 歳末特別警戒スペシャル』(1997年12月)、『踊る大捜査線 番外編 湾岸署婦警物語 初夏の交通安全スペシャル』(1998年6月)、『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』(1998年10月)、『深夜も踊る大捜査線 湾岸署史上最悪の3人!』(1998年10月)というスペシャル番組を作って放送しています。
 つまり公開まで約1年かけて温めていった。
 それは、そうやって気運を盛り上げていかなければ、映画の公開までたどり着けないのではないかという不安があったからなのです。
 このようにいろいろな条件が重なったおかげでヒットに結びついたのですが、作った本人が一番大きい成功要因だったと思うのは、言い方がよくないかもしれませんが、テレビとほとんど同じことを堂々とやってのけたことだと思います。
 映画を作るからといってあえて膝を正したり、大上段に振りかぶったりしなかった。テレビでやってきたことをそのまま、もっとコンパクトにして、もっと楽しませようとしたのが、観客にとって見やすかったのではないかと思います。


 「映画」を神聖視しないで、「テレビドラマの延長」にすることによって、「空き時間に気軽に入れるシネコン文化」が生まれたのも事実なのです。
 「シアター内でスマホをいじることに抵抗がない観客や、そういうスタンスで観ることができる映画」のおかげで、映画産業が生き延びた、という面も否定はできません。


 実際のところ、今の映画館には高齢者がけっこう多いし、2時間トイレを我慢するのだってけっこう大変ではあるんですよね。
 別に映画館で観なくても良いのだろうとは思うのだけど、「スマートフォンを切って、物語に集中できる環境」を求めて映画館に来ているはずなのに、やっぱり時計が気になる、ということも僕にはあります。


 制作側も、こういう「2時間集中していられない観客」に対応してきているように思われます。

『ベスト・オブ・映画欠席裁判』という本があって、町山智浩さん(=ウェイン町山)と柳下毅一郎さん(ガース柳下)のふたりの映画評論家の対談形式で、さまざまな映画が語られています。


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ALWAYS 三丁目の夕日』の回より。

ガース:いや、どうも監督は「全部セリフでわかりやすく説明してやらなきゃ観客にはわからないんだ」と信じてるみたい。だって、子供が自動車に乗せられて去った後、吉岡は少年が書き残した手紙を見つけるんですが、そこには「おじさんといたときがいちばん幸せでした」って書いてあって、それが子供の声で画面にかぶさるんですよ!


ウェイン:そんなもん、金持ちの息子になるのに憂鬱そうな子供の顔を見せるだけで充分だろうが! どうしてセリフで観客の心を無理やり誘導するんだ?


ガース:誘導どころか無理やり手を引っ張って、「ハイ、ここが泣くところです!」って引きずりまわしているみたいなもんです。観客に自主的に考えさせる隙をいっさい与えないんですよ。


ウェイン:最近の小説やマンガもみんな同じだけどね。「悲しい」とか書き手の感情がそのまま書いてある。それこそ夕日や風景に託して言外に語るという和歌や俳句の伝統はどこへ行っちゃったんだ?


僕も『三丁目の夕日』を観て、同じように考えていたのです。
「こんなに過保護だと、誘導されているみたいで気持ち悪いな」って。

でも、これを書きながら、思ったんですよ。

ああ、この「過保護なまでの説明的なセリフや演出は、映画に集中できていない観客でも、ストーリーが『わかる』ようにしているのか」って。

小津安二郎監督や是枝裕和の映画って、観客の側も俳優たちの仕草や表情、セリフから「行間を読む」ことを求められるじゃないですか。
そういう映画は、いまの多くの観客にとっては「じれったい」だけなのかもしれません。

うちの長男が、短時間ですぐにクライマックスを見せてくれて、なんだったらテロップで説明をしてくれるネット動画を観ながら、テレビゲームをやっているのをみて、僕は「頭がこんがらがらない?」って言うのですが、本人は「どっちかひとつだけだと、何か物足りないし、時間をムダにしているような気がする」そうなのです。
時代とともに、人間の情報処理能力が、変わってきているのだろうか。

僕自身も、家で映画のDVDを観ていると、スマホをいじりたくなることが多いのです。
だから、あえて映画館に行っているところもあります。


処世術としては、「とりあえず、よっぽどつまらなくなければ、映画館で過ごす2時間くらいは、スマホに触らずにすむ練習」をしておいたほうが良いのではないか、とは思うのですけどね。

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「映画を最初から最後まで観て理解する」っていうのは、ネットなどで「物事の要点だけをまとめたものを、次から次に取り込んでいく」ということに慣れてしまった現代人にとっては、けっこう難しいことではありますし、冒頭のエントリへの反応をみていると「公共の場でのスマホ使用」は、事情はどうあれ、他人からみると、不快に思われやすいのは確かなので。

映画館側も、「応援OK上映」みたいに、スマホいじりOK上映」を、一度試してみてはどうかなあ。案外ニーズはある、というか、「自由に触っていい」っていうだけで安心して、かえって落ち着いて観ることができるような気がします。


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