いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『庵野秀明展』(大分県立美術館)感想

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www.annohideakiten.jp
www.opam.jp


 大分県立美術館に『庵野秀明展』を観に行ってきました(2022年3月24日)。
 勤務先での新型コロナの感染拡大もなんとか一段落し、まん延防止条例もひとまず解除。会期が4月3日(日)までと終了が近づいていたこともあり、なんとか平日に都合をつけて日帰りで。

 東京・国立新美術館での展示は2021年10月1日から12月19日まで行われており、ブログ的な「旬」はすでに終わっているのかもしれませんが、個人的な備忘録として感想を書いておきます。

 ちょうど春休みに入るタイミングの大分で、平日の昼下がりに、どのくらい人が来るのだろう?と思いつつ館内へ。
 ちなみに、ほとんどの展示物を急かされず、絵コンテに庵野監督が書いたコメントも近くでじっくり見られるくらい、それでいて、密にはならない程度に人がいる、という混み具合で、個人的には「ベストな状況」でした。
 大混雑は論外としても、展示室内に自分と監視のスタッフの人だけ、というのもそれはそれで緊張しますし。

 僕のような中高年のオタク崩れが多いかと予想していたのですが、けっこう若いカップルの割合が高かった気がします。
 と思えば、『ふしぎの海のナディア』の魅力を熱く同行者に語っている40歳前後の女性や、特撮で実際に使われたメカの模型に見入っている僕と同世代の中年男性も見かけて、けっこう嬉しくもあったのです。

 この展示、一部著作権上の問題がある作品や映像を除いては、写真撮影が可能だったんですよ。
 懐かしいアニメ作品のキャラクターや、庵野監督が若い頃に書いていたアニメの感想の文字を結構撮ってしまったなあ。

 多くの人にとっては、やはり、庵野秀明エヴァンゲリオン、なのだと思いますが、この『庵野秀明展』では、庵野監督自身の作品が、少年・青年期から展示されているのと同時に、庵野監督を作ってきた特撮・アニメに関する資料もたくさん紹介されているのです。昭和の時代に子供たちをワクワクさせてくれた特撮の技術や使われたメカ、ミニチュアなどがどんどん失われていることに対して、庵野監督も協力して保存のための活動をされているんですよね。


www.ntv.co.jp

 これが開催されたのが、2012年(東京展)。僕はその後の巡回展を熊本で見ました。


 庵野監督は1960年生まれで、僕より干支ひとまわりくらい年上です。
 僕自身は『ウルトラマン』や『仮面ライダー』を、再放送でよく見ていた記憶があるのですが、庵野監督はリアルタイムで観ていた「直撃世代」なのです(『ウルトラマン』が1966年に放映開始だから、まさに「直撃」ですよね)。


 庵野監督の実家にあったという昔のスケッチやアニメ作品への感想文、学生時代に作っていた自主制作映像などをみていると、「三つ子の魂百まで」という特撮愛と共に、僕も『火吹き山の魔法使い」に影響されてゲームブックを自分で書いたり、同人誌を作ったり、ラジオに投稿したりしていたことを思い出しました。
 子供の頃、若い頃は同じようなことをやっていたのに、庵野監督は世界的なクリエイターになり、僕はこんな「創作」とは縁がない人生になってしまった。正直、ちょっと切ない気分にもなったのです。
 庵野監督が書いている、習字的に上手いとは言えない文字をみながら、僕は「なぜ自分は庵野秀明になれなかったのだろう」なんて傲慢なことを考えてしまいました。

 やっぱりそこには、才能だけではなく、「自分が創ること」への衝動・エネルギーの強さの差があったのだと認めざるを得ません。

 庵野監督が学生時代に撮ったという、自らがウルトラマンに扮して撮影した映像が流れていたのですが、「庵野秀明」という人への予備知識なしにこの映像だけ見たら、「こんな『痛い』映像を恥ずかしげもなく撮れる大学生がいるんだな」と僕は感じたと思います。
 でも、そこで「恥ずかしい」とかよりも、「創りたい」が勝ってしまうのが、クリエイター気質なのでしょう。
 
 2022年だから、庵野さんだから、「昔からこんな映像撮っていたんだなあ、好きだったんだなあ」と好意的に解釈してしまうけれど、当時、これを観た人たちは、一部の好事家を除けば、「うわっ、気色悪いオタクだなあ!」という反応を示したはずです。
 オタク以外の目に触れる機会も少ない時代ではありましたが。

 僕自身は『エヴァンゲリオン』はTVシリーズを観たのも『新劇場版』が公開される数年前くらいで、TVシリーズがリアルタイムで話題になっている時期には「大学生がアニメで傷だらけの女の子を見て喜ぶなんて、なんだかなあ」って思っていたんですよね。


 この展示を見ていたら、庵野秀明という人は、『エヴァンゲリオン』よりずっと前から、僕の人生と「併走」してくれていたのだなあ、とも感じました。
 
 小学校高学年(1980年代前半くらい)から、マイコン少年だった僕は、当時『ログイン』や『コンプティーク』を愛読していました。学校とかは「憂鬱な体育の時間や一部を除いて気の合わない同級生に耐えて、なんとかやり過ごす時間」でしかなくて。
 
 当時のマイコン(パソコン)雑誌は、アニメやSFとの親和性が高くて、『コンプティーク』にも新作アニメを紹介するコーナーがあったのです。


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 ああ、『トップをねらえ』、コンプティークでけっこうとりあげられていたなあ……でも、当時は「女の子とメカとか、オタク狙いすぎてあざとい、と敬遠していたよなあ、と思い出したりとか、赤井孝美さんの名前を見つけて、「あっ、『プリンセスメーカー』の人だ!」と嬉しくなったりとか。

 そもそも、庵野秀明さんを初めて知ったのは、中学時代の同級生が「面白いものがある」とカセットテープで『愛國戦隊大日本』のテーマ曲を録音したものを聞かせてくれたとき、だったのです。



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 庵野さんは、『風の谷のナウシカ」の巨神兵のシーンを描いていたりとか、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作にも関わっていたりするんですよね。
 僕にとっては、『エヴァンゲリオン』よりも、それ以前の庵野さんのほうが、思い入れが深いかもしれない。

 
 この『庵野秀明展』、庵野さんが関わった作品の設定資料や絵コンテなどがたくさん展示されているのです。
 それを見て、庵野さん自身のディテールへのこだわりと共に、アニメや特撮の現場というのは、監督や演出家のラフなスケッチや絵コンテの擬音語的な指示から、あんなに精緻な世界観やビジュアルを生み出しているのか、と驚かされました。
 こんな指示で伝わるものなのか!って。
 先日放映されたNHKの密着取材番組でも、庵野監督の「細部へのこだわり」がとりあげられていたのですが、これまでの庵野監督の作品の歴史を考えても、「庵野秀明がやりたいことを理解している長年の付き合いのスタッフ」の力も大きいのだと思います。

 庵野監督の作品も、全部が興行的に大成功、というわけじゃないんですよね。
 『エヴァンゲリオン』後に庵野監督が「アニメはやり尽くした」ということで挑戦した実写映画では『ラブ&ポップ』や『キューティーハニー』など、僕にとっては(そして、「エヴァンゲリオン的なもの」を求めていた多くの観客にとっても)「なんか違う」感じではあったんですよね。
 でも、今回の展示を見ていると、その「寄り道」みたいに当時は見えていたものも、庵野監督にとっては全てつながっていたのです。
 のちに、庵野監督は『シン・ゴジラ』で、実写映画でも大成功を収めていますし、2022年5月に『シン・ウルトラマン』、2023年3月には『シン・仮面ライダー』の公開を控えています。


 「三つ子の魂百まで」とは言いますが、現実的には「子どもの頃やりたかったことを、一生かけてやり続けられる人間」は、ごく一握りしかいなくて、庵野秀明監督のいちばんの凄さは、「それをやり続けたこと」にあるのではないか、と、展示とともに庵野監督の半生をたどってきて感じました。

 『エヴァンゲリオン新劇場版』での映像の進化には感動したのですが、庵野監督にとっては、「子どもの頃から自分が見たかったものを創るために、新しい技術を取り入れていった」だけなのかもしれません。
 「とにかく新しいことをやりたかった」というよりは、「元々やりたかったことにたどり着くために、手段を進化させてきただけ」なのです。


 僕にとっては、久しぶりに『コンプティーク』の袋とじとかを忍んで見ていた頃の自分に戻ったような気持ちになる時間でした。

 「オタクとみなされることが死刑宣告だった時代」は遠くなり、若いオシャレな恋人たちが、ニコニコしながら『庵野秀明展』にやってくる世界線に我々は到達しました。

 中学生だった僕に、この世界を見せてやりたいよ。
「で、僕はその頃、どうなっているの?」って昔の自分に尋ねられたら辛いけど。



庵野秀明展」次は2022年4月16日から、6月19日まで、大阪・あべのハルカス美術館です(庵野監督の地元・山口での巡回展も決まっているそうです)。
www.aham.jp


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